盛岡

町中のマッサージ店を利用するようになったのは父親のマンションを片づけている時で,それは2013(平成25)年,総務省が「リラクゼーション業」を日本標準産業分類に加えて早々の頃のことだ。 以後,町中で雨後の筍のようにマッサージ店を目にするようになる。という経緯を盛岡で知った。

15時過ぎにチェックイン。しばらく休憩した後,フロントにマッサージ師を頼んだ。ちょうど1年前,同じ要件で名古屋に泊まったときにもマッサージ師を依頼した。70歳近くのおばあさんがやってきたので,力は大丈夫なのか心配になったものの,それは慣れたもの,体中のコリをほぐしながら,私の生活から日頃の姿勢(文字通り)まで正された。マッサージが終わり,10分近く,向き合って,両腕をぐるぐるぐるぐると交互に回すことを強いられた。70歳前後のおばさんと向き合い,腕を回す。それはなかなかシュールな光景だった。少しでも回す向きを誤ると叱咤が飛ぶ。これじゃ「バタアシ金魚」じゃないか。50歳を過ぎてやることじゃないな。やっかいなことになったなあと思いながらも,しかし,おばあさんが帰った後はかなり体が軽くなっていた。

ホテルでマッサージ師を頼むと,やってくるのはおばあさんかおじさんだ。ところが,今回は30前後の女性がやってきた。整骨院と契約しているようで,そこからの訪問だという。

1年前のおばあさんのように叱咤が飛ぶようなら面倒だと思ったものの,実際は逆だった。青森育ちで盛岡の整骨院にやってきたマッサージ師は,モノローグとダイアローグを同じテンションで語りはじめた。

フロントから17時くらいには到着しますと連絡があった後,17時を過ぎてもなかなかやってこない。10分ほどして電話が鳴る。ノックしたものの返事がないので,しばらく前からドアの向こうで待っていたという。開口一番,「寝てましたか」。まったく気づかなかったが,それは申し訳なかった。

肩と腰を中心にマッサージをお願いする。最初,本をつくる仕事をしているというと,「さわや書店,知ってますよね。有名なんですって」。それ以外,何か尋ねられた記憶はない。こんな感じでマッサージが進めば,非道い肩こりやしばしば指摘を受ける自律神経失調症などに話がいかなくてすみそうだ。ここは話を聞くことに徹しよう。

青森で育ち,整骨院に就職。東京でしばらく研修を受けたという。「東京は視野に一軒はコンビニがあるし便利だけれど」。暗に東京で暮らしていることをディスっているのかなと思いながら相槌を打つしかない。

「盛岡は都会で,住みやすい」と話し始め,途中からは整体で必要な解剖学や生理学,リフレクソロジー,鍼灸の知見を説明してくれるのだけれど,ただ考えていることを口に出しているのか私に向かって話しているのかわからなくなってくる。このモノローグとダイアローグが同じテンションで続く語りが妙に魅力的だった。京都の人の方言を聴くのとどこか似ている。青森の方言はこういうものなのか。これまで私はほぼ接点がなかったので,とにかく新鮮だった。

もちろん臨床で日々マッサージしているから,体重をうまくのせながら肩の凝りをほぐしていく。

足裏のマッサージの際は,消化器は沈黙の臓器といわれ,不調のメッセージが自分でわかる頃には病気が進行していることが少なくない。エビデンスははっきりしていないものの,足裏と臓器の神経が繋がっていて,足裏を押すことで,沈黙の臓器の疲労の度合いがわかれば,病気を早期に,また,病気になる前に対応できる。このあたりの説明はモノローグのようで,内容ともども面白かった。

途中,震度4の地震におそわれ驚いたが,全体,これまで受けたマッサージのなかでいちばん印象的だった。いや,名古屋のおばあさんに次いで。

夕飯はホテルに併設した居酒屋で済ませた。炭火の煙がまとわりつくのはたまにきずだが,リーズナブルで美味しかった。

翌朝,カートを引っ張りながら駅まで歩き,プロントで朝食をとる。9時くらいに会場に着き,打ち合わせなどなど。昼に終えて,行きと同じくやまびこで大宮まで。昼食は駅で調達した駅弁と地ビール。大宮駅のサザコーヒーで豆を買い,17時くらいに家に着いた。

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