あえて

寒く風の強い一日。花粉症の舌下免疫療法は1年程度で奏功するものではないようだ。風邪ではなさそうなのに,ときどきくしゃみ,目のまわりに違和感も少し。

20時前まで仕事。久しぶりに池袋で休憩。2月に年会費が引き落としになるクレジットカード,若い頃はお世話になったものの,ここ10年近くほぼ使っていない。さすがに解約しようと思うが,日常使わないものだから更新したカードは家のどこにあるのか把握していない。休憩がてら,カードの整理を検討する。

帰りの車中,SNSで橋本治の訃報。タイムラインは「橋本治」で埋まる一方,「日本のトレンド」では20位くらいに鎮座する。そのアンバランスさ。

橋本治と糸井重里は,あえて読まなかった時期が長くある。1980年代に入ってからこっち,頑なに読まなかった。「あえて」としたものの,実際は半分以上,関心がなかった。このあたりの温度差について,言葉にするのはむずかしい。たとえば,徹や私にとってNHK教育の「YOU」という番組は,とりあえず蔑視しておくものだった。たとえば,劇団関係の人や鉄道マニア,アニメファンはもちろん,とにかく彼らと接しない。そうすることで,まったくささいなアイデンティティのようなものを支えていた時期がある。橋本治や糸井重里は同じように距離をとっておく対象でしかなかった。

少し前に書いたとおり,音楽も同じだ。聴いていないことが誇らしい。今世紀になってSNSで同世代の人たちが,意外と広い範囲にわたって“聴いている”ことが不思議だった。このバンドを聴いていたら,こっちは聴かないだろう。その感覚が共有されないとは思いもしなかった。通行止めの標識のようなものをあちこちに立てながら,狭い世の中をさらに狭くしていたのが私たちだった。

同時代に生きたからといって,同時代に流行ったものを好きになる必要はまったくない。

「ガロ」は読んでも糸井重里は読まない。こうしたスタイルを,たぶん私は徹から少しだけ多く学んだのだ。チャクラは聴くけれどタモリや山下洋輔には関心ない。大林宣彦の映画は好きだけれど手塚真はダメ。昌己にも同じようなところがあったものの,40代になってあれこれ話していると,ああ,こ奴もあの頃,実は読んでいたのだな,という作家が出てくるのが面白かった。「銀河鉄道999」のコミックを古本屋で買い取ってもらえなかったとか,初めて買ったアルバムがEW&Fだったとか,70年代後半に負った傷を80年代に入ってからも背負い続けていたのだ。それこそ口が裂けても「読んだ」とはいえない,そういうスタイルで突き進むことに何がしかの恰好よさを感じた。

こうした強張りは平成に入ってからこっち,何ごともなかったかのように取れてしまった。とはいえ,知らないことで強がっていた頃のほうが楽しかったことに変わりはない。

橋本治の本で唯一読み,持っていたのは『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』だ。これだって倉多江美のマンガ評論がきちんとされているからであって,それ以上でもそれ以下でもない。

かなり後になって『「わからない」という方法』を読んだことは覚えている。その頃には,橋本治を読む/読まないなどと恰好つけている時期はとうに過ぎてしまっていた。『リア家の人々』は北杜夫の小説を意識したと知り,ちょうど矢作俊彦が掲載誌に連載していたので,初出時に読んだ。意外に癖がないのだなと思った。

訃報のたびに記憶を遡ることは癖にしてはいけないな。

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