9/19

朝の頭痛は悩ましい。いや,そうじゃなくて悩みの種。なんとか起きるところまでもっていくのに一苦労だ。気圧が落ち着いてくれないと,たまったものではない。

午後から,目白で昼食を兼ねて定例の打ち合わせ。といっても団塊世代のおじさんは,一昨年リタイアし,今年いっぱいまでは悠々自適の生活を送るという。来年は部分的にでも仕事をするかもしれないそうだ。

職場で初めて会ったとき,私はまだ20代で,おじさんは40そこそこだったはずだけれど,結局のところ,話すことは変わらない。もともと映画好きだったので,暇をもてあまして撮るあてのない映画のシナリオを書いているとのこと。出だしは「ANOTHER GAME」(本サイトのカテゴリーをたどると,その文章の途中までが現れる。もちろん未完)をパクッたといわれ,最初,何のことだかしばらくぴんとこなかった。1988年ころからスケッチをはじめ,1993年くらいには,全体の半分くらいできあがっていた。当時,プリントアウトした原稿をおじさんに読ませたのだった。その後,できあがっていたところにときどき手を入れ続け,あげく,それだけで飽きてしまい,続きはいまだまとまっていない。

放送・広告業界の仕事を一時していて,そこで耳にした洗脳の話を背景に,当時は凍結していたP-MODELへの郷愁から書きはじめたようなものだったけれど,この前,森真沙子の『悪魔を憐れむ歌』が出てきて,ぺらぺら捲っていたところ,これに影響されたのかもしれないと思った。捲っただけで読み返していないからよくわからないが,たぶんそんなところだった記憶がある,というか,記憶はないものの,私のことだからそんなところだろう。

一か所立ち寄って,事務所に戻り,打ち合わせと原稿整理。20時前に会社を出て,高田馬場で家内と待ち合わせ夕飯をとる。ブックオフで少し本を買う。

宮内悠介の新刊『遠い地でひょんと死ぬるや』を読み始めて,もう少しで終わるというところ。第1章の文章の密度がよかったので,これは代表作かもと思ったものの,第2章以降,もう少し手を入れればもっと面白くなりそうなところが目についてしまい,文章を中心に読むことをやめ,物語を追いながら読み進めている。

主人公の一人称が,第1章ではとても,らしかったにもかかわらず。第2章以降,いまひとつ決まらない。そこにエピソードが追いかけてくるものだから,説明的になってしまい,その場面に対して起こった感情がおいてけぼりになってしまう。宮内悠介はもっと書けるはずだと,新刊をよむたびに感じる。ベースを矢作俊彦に置いてしまうから,それはハードル高くてしかたないだろうが。

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