キャリア

徹は子どもの頃,相撲部に入っていたことをときどきネタにする。はじめて就いた仕事は営業職だ。喬史は水球部で,仕事はほとんど営業っぽさを前面に出したものばかり。伸浩は剣道部で営業職。昌己は天文部で営業職。裕一は文芸部で教職。和之はブラバンで大学教師。その後,徹はデータ解析~企画,喬史は探偵,伸浩は編集,昌己も編集,裕一はミュージシャンを生業としている。体育会系と営業職でふるいにかけると,友人はこんな具合だ。

父親に昔,仕事をするのだったら営業を経験しなければと説教された記憶がある。しかし,当の本人の職歴は技術職からはじまり,最後は研究所に潜り込むという,およそ営業とは縁遠いものだった。学生時代は柔道部だったと聞いた記憶はある。

私は美術部で,社会に出てから一度も営業の仕事をしたことがない。この歳になって,今後,営業の仕事をすることはない気がするけれど,たぶん,世の中に出ていく上で,体育会系に属したことがなく,世の中でほとんど営業の経験がないことは,得られるかもしれないアドバンテージを初手から放棄しているに等しい。そんなふうに想像するときがある。よくわからないけれど。

昌己の友人は,ダムドのコピーバンドでギターを弾いていた。20代後半の頃,アンティノックのチケットノルマの厳しさを聞いたことがある。それでも彼は,ライブハウスの厳しいマネジャーの態度について「自分は研究者で社会人体験がないので,これはこれで,よい機会なんだ」とひとりごちた。これは,なんだかわかる気がした。

にもかかわらず,四半世紀かけて,私は結局,営業のスキルを身につけず,経験することさえほとんどしなかった。

一箱古本市を営業ととらえるならば,ここ5年ほど,年に数日,ようやく営業ゴッコをするようにはなった。もちろん,ゴッコだ。傍からみると「何もしないで売れるのだからいいじゃない。うちなんて,声かけて話して,ようやくこれだけだもの」,数年前のオリオン☆一箱古本市でのこと。隣になったお店で,娘さんと一緒に店を張っていた90歳くらいの方からそういわれたときは,ただただ頷くしかなかった。これは営業と名乗るようなしろものじゃないのだろうな,と。「売れてほしい」と「売りたい」はイコールではないのだ。

今さら体育会系のなにかに加わる気にはなれないし,まあ,このまま行くしかないなあ。

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