Rock and Roll Circus


どこかでスージー・スーが,ロックンロールサーカスについて語ったインタビューを読んだ記憶がある。内容はまったく覚えていないけれど,「狂気じみたロックンロールサーカスから逃げる」云々と言っていた気だけはする。

それはもちろん,ローリングストーンズの映画ことではなく,バンドが各地を回って演奏する様をサーカスに喩えたのだ。ザ・ポリスはそうやって米国での人気を得たけれど,YMOは同じように回るには体力が続かなかった,というときの「そうやって」は似たようなものだろう。

1980年代のロックバンドは,ほとんどがロックンロールサーカスをせざるを得なかった。小体なサーカスよろしく楽器車で各地を回る。興業にまつわる面倒なことや,ライブハウス,案内,チケット販売などなど,数百人規模の観客でライブを続けていくシステムが雨後の筍のようにつくられていった。それを,しかし二人三脚と言ってよいものかどうか。

既成のものには属さずに,自前で事務所を立ち上げたP-MODELであっても,凍結まで,結局のところ,小体なロックンロールサーカスから逃れることはできなかった。

「キング・クリムゾンのインプロヴィゼーションが数多のバンドと何が違うといって,伴走付きのソロという志向がまったくないところだ」と,どこかで北村昌士が書いていたはずだ。キング・クリムゾンはフロアからダンスを一掃し,「情緒的なギターソロを成立させてしまう伴走のようなロック」ではない文法を生み出した。そう称された5年の活動期間から7年の間隙を経て,再結成後の活動が続いたのは3年間だ。英米ではロックンロールサーカスではないしくみが模索されていた。それは,1つのバンド活動に24時間,365日を費やすことなく,いくつかのユニットを並行して動かしていく方法だ。

70年代終わりから80年代の最初の数年間,ビートに乗らない,ロックンロールではない,ブルースでもない,そうしたロックに魅入られたファンにとって,ロックンロールやブルースはあえて聴かない類の音楽だった。その選択には好き嫌いが入り込む余地はなかった。

ロックンロールサーカスでは,ジャムや古いロックのコピーを交えてたのしむことを是としていた面があるのではないか。だからP-MODELが,あえて聴かないところからはじまった曲をもって,各地のライブハウスを回るのには,たいそうなストレスを抱えていたのに違いない。P-MODELのブートレッグで唯一,ジャム風の流れに入るのは,横川理彦在籍時のライブで,トラブルのつなぎに弾いたベースに,平沢がそれふうのスケールで合わせる場面くらいだ。トラブル解消後,自虐的に,めずらしい演奏をしてしまった,もうこんな演奏をすることはない,という趣旨のMCを平沢はしていたように記憶している。

平成からこっち,わが国でもロックンロールサーカスではないシステムをつくったところに,実は平沢のオリジナリティはある。もちろん恐竜のようなシステムを動かしホールコンサートを打つ興業とはまったく異なった地平でつくったのだ。数日前から,本式のサーカスに関する本を読んでいて,ふとそんなことを考えた。

解凍P-MODELはバンドがメンバーの活動を拘束せず,バンド以外の活動を並行すると謳った。活動の幅は広がったかのように見えたものの,結局,本式のバンド活動から何かが失せた。

そうではないシステムをつくった後より,ロックンロールサーカスのなかでもがいていたときのほうが遥かに共感できたのはどうしてだろう。

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