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午後,仕事の取材ということで徹がやってきた。1時間半ほどtotoruで話す。半分は仕事以外が話題だったものの。『一本包丁満太郎』文庫1巻~3巻を貸す。かわりにスカパラのライブDVDをもらった。学生時代,とにかく向上心のなさ加減がきっかけで仲良くなったことを思い出す。高望みせず,低空で居場所を見つけようとする志向の友人は,徹以外,いそうでなかなかいない。

一度,会社に戻り,入稿作業を進める。家内から調子悪いと連絡が入る。19時過ぎに退社。夕飯用のお弁当を買って帰る。娘とほとんど同じタイミングで帰宅した。夕飯をとって,Windows10のラップトップを立ち上げ,Yahoo!ボックスのデータダウンロード作業を少しだけ済ませた。

SNSのタイムラインがなんだかややこしい。しばらく様子眺めでいることにしよう。肉親の死の看取りのなかで,休憩室に行き,仮眠をとるような気分。てんびんを降りるというのは,そういうことだと受け取ってしまったので。

一昨日,会社帰りに伊野尾書店で,米本浩二『評伝 石牟礼道子』(新潮文庫)を買い,会社の行き帰りに読み始めた。石牟礼道子が育ったあたりと,あまり遠くない場所で,私の両親は戦後,暮らしていた。昭和50年代に祖父母が亡くなってから,数えるほどしか出かけていないものの,私がそのあたりに接した当時と,あまり変わらない景色が描かれている。

繰り返しになるけれど,当時,牛深から水俣まで高速船の航路があった。高速船は,波にぶつかって進むので,うるさいけれど,船酔いすることは少なかった。少し時間がかかる船も同じ航路をもっていて,こちらに乗ると災難だった。胃をひっくり返したこともあったはずだ。書店はバスに乗って,数キロかかるところにしかなく,プラモデルを売っている店となると,本渡までいかなければなかったのではないだろうか。

いなかの家の前は早浦で,石牟礼道子の生まれたところとは,ちょうど山を挟んだあたりになる。 みかん畑と海だけでは,子どもにはすぐに飽きてしまう。夏休み,同世代の親せきの子どもがくると,しばらくはたのしかったけれど,そのうち怠惰な時間ばかりが過ぎるようになる。大阪の親せきの家で夏休みを過ごすときも,そういえば似たような時間をやり過ごした気がする。違うのは,駄菓子屋があるかどうか。仮面ライダーやレインボーマンのカードを売っているかどうか,くらいかもしれない。

石牟礼道子の聞き取りの箇所を読むと,だから,その頃,やりすごした時間が繰り返されているような気がして,妙なおもしろさを感じるのだ。

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