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曇り。雑誌の校正戻し,原稿作成するが,方向がなかなか固まらない。20時くらいまで,あれこれと手を入れてみるが,全体が見えてこない。寄り道せずに帰宅。テレビをみながら夕飯をとる。娘は4月1日から仕事が始まるというものの,のんびりとした様子。自分の就職前,どんな様子だったかは覚えていない。あ,徹と合宿免許をとりに行ったのだった。それで卒業後の予定はほぼ埋まってしまった。その後,ほぼ使うことのない免許とはいえ,あのときにとっておいてよかったとは思う。

志村けんの訃報。それも新型コロナウイルス感染によって。

昭和60年代から数年,ザ・ドリフターズを再評価する動きがあった。徹は,ドリフのバカ兄弟のコントが気に入っていて,あれはいかりや長介と中本工事によるものだったけれど,ドリフはチーチ&チョンの影響受けているよな,と当時,そんな話をした。高円寺に,われわれが「バカ兄弟の店」と呼び,とはいえときどき利用した店がある。 十五時の犬の近所で, 今もシャッターだけは開いていて,ときどき覗きたくなる。すでに平成に入っていた気がするが,徹は会社帰り,その店に立ち寄り,あれこれ調達したはずだ。

再評価されたドリフも,しばらくするとテンションが落ち,個々の活動が目立ってきてフェイドアウト。その後,いつ頃のことだっただろう。志村けんがテレビで「師匠」と呼ばれるようになったときに覚えた違和感は忘れられない。彼らは徒弟制度と違う枠で活動していたように,私には思えたのだ。

大手芸能プロダクションに属し,よくも悪くも芸能人だったのだなあ,と感じてからは,ザ・ドリフターズや志村けんのテレビ番組にチャンネルを合わせることはなくなった。

私が世の中のしくみをただ知らなかっただけのこととはいえ,1980年代に起きたもろもろが,なんだかそうしたしくみを一度,壊したようにどこかで理解していたようなのだ。それはもちろん,誤りだった。

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