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遅出の週。起きてから紅茶を淹れ,パンを焼いて,ヨーグルトを用意してチーズと一緒に食べる。遅出初日だけはこの余裕がある。山手線が遅れていたものの,少し待っただけで動き出した。人身事故だという。18時過ぎまで仕事。高田馬場で休憩しながら『犯罪季評』を読む。帰宅後,1時間ほど眠る。家内と夕飯をとっていると遅番の娘が帰宅。テレビを観て,0時過ぎに眠る。

『犯罪季評』を読み返すと,1980年代の感触がところどころで蘇ってくる。70年代の「明るいだけではただのバカ」を曳き摺り,喜怒哀楽をずらした会話が成立する。ところで,いまや「喜」と「楽」の違いはすぐさま理解できない気がする。

90年代に入ると「狂気を帯びた明るさ」が市民権を得るようになる。もはや「明るいだけではただのバカ」ではない。80年代はその意味では過渡期だった。「狂気を帯びた明るさ」に洗脳の技術を絡めると,だいたい90年代の流行というか雰囲気が伝わるのではないだろうか。

80年代に浸かった沼からはい出ることがなかった私たちは,洗脳の技術について聞きかじっていたことと,それはどう聞いても不幸自慢にしかとらえられなかったことが幸いした。とりあえず絡め取られそうな状況から距離を置き続けた。そのよしあしはさておき。

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