ビッグ・スヌーズ

19時前に退社し,中井の伊野尾書店で「新潮」2021年1月号他2冊を購入。日高屋で休憩して「ビッグ・スヌーズ」を読む。iPhoneを会社に忘れてきたことに気づく。帰宅後,夕飯。テレビを観て,少しだけ早めに眠る。

「ビッグ・スヌーズ」は『大いなる眠り』の構成に擬えると,4回前あたりで終わっていてよいのだけれど,積み残しの回収をきちんと進めている印象だ。毎月書いているとおり,矢作俊彦の文章を読む機会があるという理由で,連載が続くことにNoを唱える気にはなれない(確認すると,ほんとに先月も同じことを書いていた)。「チャイナマンズ・チャンス」と同じ轍を踏んでいるわけではないので,なおさら。

いわゆるハードボイルドの文体とは,登場人物(おもに主人公)の行動を描いて物語をすすめていくものだと,字面では理解していたものの,今月号を読み,ようやく腑に落ちたことがあった。二村永爾シリーズで,とくに「ビッグ・スヌーズ」は,なぜそこに行くのか,そういう行動をとるのかわからないことにしばしば遭遇する。単行本のほうの『真夜中へもう一歩』も思い返すと,その手の描写はあったのだけれど,当時はツギハギしたような印象を受けた。つまり一貫した主人公(二村)の行動原理を把握できないまま,行動のみがポンと目の前に置かれた気がしたのだ。行動の理由は理解し得るものであっても,キャラクターに一貫性が感じられない気がした。

今世紀に入ったあたりから,たぶん矢作俊彦の小説の変化は,行動の理由をほとんど書かないまま(痕跡は残してある),行動を描くようになった点ではないだろうか。親切に理由を書くことをやめたため,読者はただ,主人公(二村)の行動に添っていくだけだ。主人公が事件の全容を把握してから先は行動に拍車がかかる。読んでいると,ただただ振り回されている感じがする。それが面白い。

一人称でそれを試みるからなおさらのこと。そう感じるのはただ,私の読解力が乏しくなったからのような気がするものの。

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