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春。午後から打ち合わせ一件を済ませ,一度家に戻る。STORESの注文を梱包して郵便局まで持っていく。ついでに不在通知便(というのか)を受け取る。地下鉄からJR経由で吉祥寺まで。「空と虹と古本市」,Rainbow Booksさんから譲り受けたフォトモ本,ついでに『宇宙鉄人キョーダイン』を購入。日高屋で休憩して中野経由で帰宅。疲れてしまい1時間ほど眠る。夕飯をとり,MacBookAirのOSアップデート。今回もESETを一度アンインストールして。23日にBig Sur対応版が出るというのだけれど面倒くさい。

昼過ぎ,5月の赤い公園のチケット2枚当選の連絡がある。中野サンプラザで間引きしての席確保らしく,取りづらかったようだ。家内と娘と3人で行くとあと一枚足りない。一般も申し込まなければ。

昨日のエントリの後,徹とメッセンジャーでやりとりした。10数年前,徹が昔の記憶をほとんど覚えていないことがわかった。奥さんからは「思い出がない男」と呼ばれているらしい。ノンフィクション映画好きなのは,他人の想い出を代替にしているのだろう,と。そんなものだろうか。昔からノンフィクション好きだった気がする。まだ,想い出があった頃の話。

Rainbow Booksさんは同世代なので,好きな本がよく被り,本を交換したりする。唯一,違うのが手塚治虫への関心の度合いくらいだ。石森章太郎のマンガは好きでも手塚治虫のマンガをリアルタイムで面白いと思うようになったのは1980年代半ばくらいになってからのことだ。1970年代に「ビッグコミック」で描き継がれた長編あたりをようやく読むようになったということだけれど。

徹や昌己は,水木しげるに諸星大二郎,つげ義春,「ガロ」系マンガから入って,トキワ荘界隈では藤子不二雄の「ヒットラー叔父さん」あたりを読むくらい。メインストリームを妙な角度で避けながら80年代を折り返した。二人にも『銀河鉄道999』や『ドカベン』を読んでいた時期があったことを少しあとになってから知った。手塚治虫のマンガといえば『ブラックジャック』の「無頭児」の回のことくらいしか話題にのぼらない。

『アドルフに告ぐ』で手塚治虫のマンガに嵌ったのだ。とくに徹はそのあたりから手塚マンガを読むようになった。しりあがり寿がすでに『火の鳥』をパロディーにしていたので,もはやどちらを先に読んだのか混沌としてしまうような時期だった。思い返すと,声高に手塚治虫ファンと名乗る知人,友人にその頃まで会ったことがなかった。高校時代に美術部で一緒だった聡史は「手塚のヒューマニズム」と括っていたはずだし,シゲさんから正面切って手塚治虫のマンガの面白さを話された記憶はない。職場の上司は私より6歳年上だったので,マンガといえば手塚治虫だった。私が石森章太郎ファンだというと,「手塚治虫は背景まで自分で描くけれど,石森章太郎はじめ他のマンガ家はアシスタントまかせだからダメ」だと一笑に付された。まあ,手塚治虫だって背景はアシスタントが描いていただろうに。(5年半くらい前に似たようなことを書いていた)

同世代で,だからRainbow Booksさんは初めて,正面切って手塚治虫ファンを名乗る知人なのだ。

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