赤い公園

とりあえず一区切り。

くるり,キュウソネコカミと一緒のライブで初めて赤い公園を観て,その後,HAPPYの対バンだった踊ってばかりの国を観たあたりまで,この10年くらい,くるりをメルクマールにバンドのライブを観てきた。くるりは同期とクリックなしを行き来し,同期なしの演奏は主にアウトロで延々とあおる感じだろうか。踊ってばかりの国は曲の長さがどれくらいになるか始まってみなければわからない。同じ時期に通った3つのバンドのライブのなか,赤い公園は同期をはずし,無茶苦茶すればよいのにと何度も感じた。「ふやける」でさえ,ある種の型からはみ出ない行儀のよい印象だった。一時期のアコースティックセッティングにはバンドの可能性が透けてみえたように思う。

ゲストが退場し,メンバー3人で演奏された曲のなか,たとえば「YO-HO」での藤本のシンセベースは,フォーマットを変えざるを得なかったバンドに見えがちなぎこちなさを微塵も感じなかった。

後半に入り,ソロ回し(これまでの赤い公園のライブで行なわれていた記憶がない。あったのかもしれないが)に驚き,石野のボーカリストとしてのステージングはますます冴える。

MCについては詳細に起こされた記事がWeb上にいくつもある。ひつと感じたのは,このバンドは喪失とともに歩んできたということだった。「黄色い花」は(たぶん)喪失に向けたエールであろうし,いや,その前やその後の喪失さえもバンドの楽曲として取り込んできた。最後の喪失については語ることがない。ローレン・バコールの自伝を引っ張り出せば,引用できる箇所くらいは見つけられるだろうが。

本編ラストは「オレンジ」。で,その後のアンコールの拍手がすさまじかった。これまで何度か観た赤い公園のライブはもとより,くるりや踊ってばかりの国,P-MODELやキング・クリムゾンなどのライブで感じたことのない音圧。そのうえ,リズムが崩れない。

アンコールを3曲演奏して赤い公園のラストライブが終了した。

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