King Crimson

トレイ・ガンをコパイロットのように使い始めてから,ロバート・フリップが接点を持ち始めたミュージシャンは言葉が悪いけれどハズレが多い気がする。1969年から74年までのキングクリムゾンにおいても時に,なぜこのミュージシャンを? と思うメンバーは数名いたけれど,それでもトレイ・ガンと10数年にわたって連携をとってきたフリップには,どこか期待はずれな面を感じることが多くなった。

その起用法は凍結前P-MODELの平沢進に似ている。ただし,P-MODELは偶然かもしれないが,起用が奏功した。一方,他のユニットはさておき,キングクリムゾンは混迷を続けた。トレイ・ガンとパット・マステロットを加えたダブルトリオ期に2人が果たした役割はどういう類のものだったのだろう。ビル・ブラフォードとトニー・レヴィンが抜けたダブルデュオの時期は役不足をただただ感じるだけだった。

トレイ・ガンとエイドリアン・ブリューがいない現体制で,ドラマーについては決して悪くはない。ただ,ジャッコ・ジクスとメル・コリンズに対しては何というか,他に誰かいなかったのかと感じてしまう。ジャッコのアルバムがリスタートの契機になったことを思ってもなお。ビル・リーフリンはすばらしかったものの,彼に頼ることはもはやできない。

フリップのただ演奏をたのしむコンサート,たぶん今に続くラインナップが始まったときから,キングクリムゾンはそういうバンドになったのではないだろうか。その意味では,今回のコンサート前半は2018年よりもよかった。”Level5″で一区切り,あとは”21CSM”あたりまでで,第2部については,フリップの演奏が曲に寄与する(そんなことはこれまで考えるまでもなかったのだけれど)割合は減っていく。そのことがさびしい。

2021年12月8日のコンサートで,この体制は,ということはキングクリムゾンの活動に区切りがつくそうだ。何というか21世紀に入ってからのキングクリムゾンに関しては,前回の来日のときにも書いたように,テクノロジーとの折り合いがいまひとつよくないのではないだろうか。テクノロジーに追い越されてしまった感がぬぐえない。かといってテクノロジーを味方につけるまでもなく,微妙な距離感でテクノロジーと並走している感じ。

それは40年以上聴き続けてきたバンドの活動にピリオドが打たれるといわれれば,なにがしかの感慨が起りはする。ただ,1984年にも1997年にも似たような気持ちにはなったのだ。どちらが強烈だったかと振り返れば,今回ではないことだけははっきりしている。

ビル・ブラッフォードがいた頃のライブで,彼がいかにライブをかき回していたか検証した文章を読んだ記憶がある。ある意味,フリップ以上に面倒くさいミュージシャンなのだ,ブラフォードは。そうした癖のあるメンバーが今回のラインナップにいなくなってしまったことが明らかにクオリティに反映してしまっている。

もう少しだけ続けて書くかもしれない。

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