痛飲

サワディが改装するとのことで,週末,昌己と待ち合わせて夕飯をとりにいった。

四半世紀前,このあたりはタイ料理店よりもミャンマー料理店の方が多い場所だった。妙正寺川沿いには数軒のミャンマー料理屋が開いていた。住人でなければ立ち寄る場所はなさそうな駅前の様子を,その10年くらい前から通り過ぎただけだ。住んでみると,居心地は決して悪くない。

ミャンマー料理店よりもサワディに先に入ったと思う。20世紀の終わり頃,タイ料理店で飲む機会が増えた昌己を誘って,急な階段を上っていたのだろう。昔の「東京おとなクラブ」の情報によると80年代半ばくらいはレンタルビデオ店が入っていた場所にサワディはある。

当時は,おばさんがひとりで店を営んでいて,入ってから出るまで,他にひとりも客が入ってこないときはめずらしくなかった。日によって味にばらつきはあったような気がするけれど,パッタイを美味いと思ったのはサワディで食べてからのはずだ。タマリンドの実をもらい,あのソースがこの実由来であることを教えてもらった。

6,7年後,おばさんはタイに帰国することになった。当時の私たちとおばさんの年齢差は実のところ,大したことがないことを週末に出かけた帰りに知った。当時,今の私たちにいくつか歳を加えたくらいの年齢だったのだそうだ。

かなりコストパフォーマンスがよかったサワディは,このところ,少しコストパフォーマンスがよい店に変わった。変わる前は,ハイボールなどが1杯200円代で頼めたのだ。今は倍くらいになったので,その日はワインをボトルで頼み飲んだ。帰り際に,お店の人と昔話をしばらくして,線路を渡った先にできた焼き鳥屋に流れた。二人でワインを1本空けた後だというにもかかわらず,そこで1時間以上,あれこれと話をした。もちろん,何の話をしたのかすっかり忘れている。

おとなしく仕事をした一日が過ぎ,日曜日の夜,築地で打ち合わせがあった。私を含めて4名で,日曜日の築地で営業している貴重な居酒屋で,3時間半くらい飲んだ。打ち合わせをざっと済ませて,それでも最初はビールを少しずつ飲んだ。ところが途中からワインをボトルで頼み,それでも4人いるから大したことはないだろうと踏んでいたものの,なかなかのピッチですすむ。

デキャンタを追加して,テーブルをきれいにして店を出たときにはすっかり酔っぱらってしまった。週末に痛飲が続いたのは久しぶりだった。

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