陽性なのか白なのか

先週土曜日から家内がせき込むようになった。熱はまだ出ていなかったものの,夜の眠れないほどのせき込みだったので日曜日に新宿医師会の休診センターを受診してはどうかといった。

結果は陽性で,今のルールでは12日までは外出禁止だという。外出できるほどの体力はない様子だからその後もしばらくは体調との兼ね合いで外出を控える必要はあるのだろう。

日曜日の段階で私に別条,体調の変化はない。月曜日は単行本の下版作業を済ませて,ただ印刷所の担当者が感染リスクのある人なので,白焼きチェックなどは対面での受け渡しはせずに行うことにした。

火曜日の午後,白焼きが届き,チェックを済ませた。このころから少し熱っぽくなり,喉の痛みを感じるようになってきた。まあ,自宅から事務所での行き来の間,人とすれ違うことがない時間帯だってあり,事務所内には私ひとりだ。知り合いの医師からは検査は受けた「ほうがよい」。脱水にならないよう水分はよく摂取して,との助言。

症状が現れたとはいっても,熱発(家内は39℃越えで私は38℃前),喉の痛み,咳はほとんど出ない,と症状はクリアには重ならない。検査を受けたほうがよいのはわかるものの,だるさへの対処を優先し,薬で対症的に行くことにしてしまった。

水曜日は朝に白焼きを戻し(入口に置いておくパターン),11時からイラストレーターとweb会議。トマトが贈られてきたので,一度家に戻り,夕方まで事務所で事務仕事を済ませる。

木曜日は午前中いっぱいで仕事を終え,午後から自宅に戻り眠る。還暦間近というのに,病気になると平気で10数時間眠れるのはよいことなのだろう。眠っては起き,少し本を読んで眠るのくり返し。この前,京都で買ってきたノベルズ版島田一男の『検視捜査官』を読み終えた。もう少し他の本を読むべきだったかもしれない。『アポカリプス殺人事件』の再読(というこの前読み終えたのだけれど)もおかげでかなり先まで進む。

金曜日は一日自宅で過ごす。踊ってばかりの国のライブは当然,キャンセル。よかったらしいのだけれど,この調子ではライブハウスには行けまい。木曜の夜くらいから喉の痛みが非道くなってきた。熱は相変わらず37℃台を行ったり来たり。アマゾンプライムで「トリック」を3本くらい見て,あとは眠り,本を読む。

というわけで何とか今日あたりから通常の生活が戻ってきた。

横長

以前の事務所から抱えてきたモニターをこの2年,使ってきた。不自由はしなかったものの,変えようかと思ったきっかけはツイッターの閲覧制限だ。インターネット上の規制に対してはどうにもなじめなくて,自主的に閲覧を制限してサーバーを維持するような状況にはかかわってもよいのだけれど,環境管理的なしくみのもとで使う気にはなれない。

数年前からVivaldiをメインブラウザーとして使っているのは,このブラウザーに環境管理的な構造を感じることがほとんどないからで,そのVivaldiはVivaldiSocialというMastodon機能が搭載されている。これをツイッター代わりししてみようと,アカウントを追加していたところ,数日でいい按配になってきた。VivaldiSocialはモニター左1/5くらいのスペースに常駐させることができて,ただそれには昔のモニターだと左右幅が短いのだ。

Amazonのタイムセールで23インチと少しの大きさのモニターが1万円ほどになっていたので,つい購入してしまった。不要になったラップトップやルーターを処分する段取りをとっていたところなので,モニターもついでにお願いすることにした。

ただ,週末,新型コロナの濃厚接触者になったため,予定をあれこれと調整し始めることになり,処分の段取りは少し遅れそうだ。

masto

たかがSNSのプラットフォーム? ごときに四苦八苦するのはおかしいとは思うものの,この10年で情報のルートがさらに変わってしまったのだ。

さらにというのは,検索エンジンが登場してしばらくの頃,素人のサイトはアクセスしない前提でネット情報をあたっていた時期があるからだ。ネット上の情報はその程度の量と質だったのだ。素人のサイトから情報を引っ張るくらいならば図書館などで新聞や雑誌,書籍のあたりをつけて足を運ぶほうがどれほど効率的か,いや,効率的ではなく,選択肢としてじかに足を運ぶことで得られる情報のほうが圧倒的に秀でていたのだからしかたない。ライコスあたりで検索すると,ゴミのような情報までフラットに引っかかってきた。今にして思うと,それはよい時代だったのだ。優劣なく,フラットに情報は並んでいた。数年が経つと,アクセス数やなにがしかの量によって情報に傾斜がかかるようになった。足を運ぶことよりもネット上の方が秀でているかのように感じることがあたりまえのようになる。

検索サイトの選択ではGoogle一強になり,環境に管理された質が目の前を行き来するようになった。

そのほかの選択肢としてSNSが登場したような形になり,にもかかわらず質が問われるのは量の後ろ盾あってのことというのは変わりない。

Mastodonで量は分散され,とはいえ質の問題は一朝一夕に展望が開けるようには思えないな。

Don

ツイッターに規制がかかったので,以前にアカウントはつくっておいたVivaldi Social(マストドン)の環境を調子し始める。ツイッターのフォローアカウントの何分の一かとは同じようにつながることができ,しばらくするとタイムラインがよい感じに流れるようになってきた。このくらいの利用者であれば,発信しながら,様子を眺めていくのがよいかもしれない。アカウントを実名アルファベットで登録したので,まあ,いろいろとしがらみはあるのだけれど。

6/26

京都出張予定を急遽,変更。明日以降に手を着けるはずの作業が少し片づく。夕方,家内と高円寺で待ち合わせて買い物。8月に閉店だという庚申通りのDRAMAはほぼ半額まで値が下がっていた。ごんがしばらく前から再開したので,入ってみた。オムライスを食べる。

『アポカリプス殺人事件』はこの前読み終えたというのに,普通に読めてしまう。最近出た本であっても同じように読める本はあるし,あるのだろうけれど,何が違うのかよくわからない。

週末,仕事のことで慌てた件はおさまり,あいかわらず課題が目の前にある。

土曜日には,娘の結婚のことで向こう(という表現でよいのか?)のお母さんとともに昼食。同世代なのかよくわからないけれど,話はしていけそうな感触だ。

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