4/28

次号の対談のセッティングで前半は終わり,並行して進めている書籍の打ち合わせ,雑誌の見本出し,発送で金曜日が終わる。

火曜日はもう一度だけ早稲田通り沿いのブックオフに寄り,文庫本中心に10冊くらい購入。石森章太郎の『八百八町表裏化粧師』を30年近くぶりに文庫で買い直した。で1980年代前半の,落胆が続く時期に発表されたこの作品が,コマによっては70年代前半の絵柄に見えたり,構図も凝っていたりしてびっくりした。連載当時,読んでいたはずだけれど,『さんだらぼっち』で荒れた構図がそれ以前のものに戻った印象だ。

水曜日は仕事を終え,家内と光が丘に行き,古本市で少しだけ購入。すがやみつるが石森章太郎に関する解説のなかで,半村良の小説が面白いと言ったときのエピソードを紹介している(といっても20年近く前)のを読み,すがやみつるは『さんだらぼっち』を半村良風と紹介しているように思えるものの,ここは『Knight andN day』のほうが半村良そのままだろうと突っ込みを入れたくなる。いい意味で。

4/25

また1週間が過ぎた。

月,火と下版作業で動きはない。水曜日に出張校正で次号の作業は終わる。その後,単行本のデータ登録,週末には仕事用に新しいサイトをつくりはじめた。これをやりだすと,家でもアイキャッチ画像をつくったり,細かな修正を加えたりできりがなくなる。

土曜日は午後から少し事務所に出て,夕方から家内と中野まで出る。早稲田通り沿いのブックオフで1,000円分くらい本を購入(本を購入冊数ではなく購入金額で記録したことはあまりない気がする)。

日曜日は家で本棚をつくる。半日もかからずに終わり,寝室に積んである本を入れたものの,もう1つ分くらい入らない本が残った。

今期後半に向けて,すべきことがいろいろ出てきたものの,その手前のところでさらにすべきことが出てくる。いきおい全体が止まっているように感じるものの,なんだか水面で足を回しているかのうような感じ。その動きが事業の推進力になることを信じてというか,なんというかわからないが。

連休中に日帰りで京都にまた行くことになりそうだ。もちろん仕事でなんだけど。

4/16

週1度程度の更新で支障ないほど,同じことを繰り返していた。ここ1週間はそれでも校正PDFが頻繁に届くので,著者や関係各位とのやりとり。注文も少しはあるので,発送したり倉庫に依頼したり。

五木寛之の『にっぽん三銃士』は下巻の終わり近く。もっとあちこち動けばよいのひ九州にまだとどまっている。まあ,長崎あたりのところ。さっと読めるので読み終えてしまえばよいのだが。

作業用にBGMプレイリストをつくった。リフ中心の曲で邦楽縛り。”Long Season”はPink Floydの”Echoes”とつなげるのがしっくりくるんだが。まあ,それではただ長くなるだけだし。

このところ

インタビューやら録音データのテープ起こしに時間がかかり,新刊の搬入に関する作業や請求書作成など,あちこちにしわ寄せが出て,忙しいったらありゃしない。

坂本龍一の訃報以後,仕事をしながらキャリア全体にわたる曲をかけている。坂本龍一はリフなんだなあとあらためて感じる。「Esperanto」あたりは本当にすばらしく,ただ,音楽を聴きながら感情が揺さぶられる感じを受けるのは,上野耕路などによるオーケストレーションとのコラボによるところが大きいように思う。YMOへの距離感はまったくなくなってしまったけれど,ギョーカイっぽさと一線を画した当時のニューウェイヴの感触をあれこれと思い出す。

土曜日は午前中,マンションの管理組合理事会に出席し,終わってから事務所に。仕事を片づけ,夕方から家内と高円寺まで買い物に出た。高架下の工事が部分的に終わり小洒落た店が入っていた。蟹ブックスに久しぶりに行き,「ユリイカ」の「総特集/マヒトゥー・ザ・ピーポー」を購入。雨が止んだのでルックの方まで上がっていき,折り返して買い物。古本サンカクヤマで1983年の「スタジオ・ボイス」が200円で売っていたので2冊購入した。夕飯をとり帰宅。寒くなってきた。

日曜日は午後から事務所に行く。さすがにインタビューも録音データ起こしにもめどがついてくる。夕方早めに帰宅し,とはいえデータ起こしの続きを1回分だけ済ませる。

「ユリイカ」は下津光史が寄稿していたから買ったので,全体にそれほど期待はしていなかったものの,面白かった。表現者というよりも仲介者の側面に,自分がやりたいことが重なって,にもかかわらず,そう簡単には仲介者がめざすことはできないのは日頃痛感しているので,なおさらに。

『にっぽん三銃士』は上巻最後の電凸のあたりからしばらく低調で,下巻100ページくらいから持ち直してきた。

4/4

坂本龍一の訃報。芹沢俊介の訃報。で,1980年代を折り返す前,1982年からの数年間,あの時期に身に着けた所作をずっとそのまま更新せずにいることを感じる。知識との距離のとりかたや,吞み込まれかたなど,それは幸せな経験だったのだと思う。

ミュージシャンとしての坂本龍一は第一にリフの人であって,だからもしかするとマーク・ボランやロバート・フリップに通じるところの人なのだろうと思う。メロディやオーケストレーションはたぶん共同作業のうえのもので,そこにオリジナリティを感じたことはあまりなかった。

それよりも「IN☆POCKET」誌上で村上龍と続けた対談・鼎談のほうがはるかに影響を受けた気がする。ミュージシャンが小説家や批評家,学者と共通言語を通して話し合うことの面白さを,この連載でまだ10代だった私は感じたのだ。

その後,何人ものミュージシャンが同じような立ち位置で登場したものの,坂本龍一(と村上龍)のようなアウラはなかったように思う。それはまた高橋幸宏や細野晴臣でも代替し得ない,坂本龍一独自のものだ。北山修はときどき似たようなポジションに立つことがあったものの,彼は音楽家としてはアマチュアリズムのみで立ち続けた人だから,坂本龍一とは違うのだった。坂本龍一がたぶん,あの対談・鼎談で語ったなかで印象的だったのは反戦フォークに歌詞としてのメッセージは感じるけれど,音楽に反戦というメッセージを感じないことへの違和感についてのものだった。レトリックとして切り取って援用できる言葉が,あの対談・鼎談ではいくつも登場した。私が固有名詞に弱いのは,あの時期のこのような対談を通過したからだと思う。

まったく話を飛ぶけれど,宮内悠介がときどきみせる含羞,それは本,古本を通して出会った人とひょんなことから一緒に演奏する場面で見せる含羞は,本,古本の人が歌に乗せる意味はあくまでも歌詞にしかなくて,曲が付け焼き刃のように思われるからではないかと思う。あの居心地悪さを目にするたびに(数回,ネット上で見ただけだけれど),坂本龍一の言葉を思い出すのだ。

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