記憶

もともとは記憶をたよりに打ち込んでいた本サイト,たぶんWordpressに移行する前のWindows版日記フリーソフトを使いはじめたあたりから明らかに日記になっていったような気がする。その前のClover Diaryも途中から日記化していたとはいえ,打ち込む環境で内容が左右される面はあるように思う。

スネークマンショーのアルバムでサティの「ジムノペディ」が取り上げられてからしばらく,イーノではない環境音楽の一環としてサティの家具の音楽が流行った時期がある。もちろん1980年代前半だ。1980年代前半というのは年単位どころか月単位で流行が変わったりすることもあったので,それがどのような時期だったかとはうまく説明ができない。

ラインベルト・デ・レーウのピアノをはじめて聴いたのはその頃のことだった。NH-FMで2時間くらいにわたりサティを特集した。「ジムノペディ」は高橋悠治の演奏がかかったと思う。「オジーヴ」がやたらとゆっくりしていて,これがラインベルト・デ・レーウの演奏だった。

次に聴いたのは,メシアンの「世の終わりのための四重奏」で,この曲はいまだにラインベルト・デ・レーウがピアノを弾いたアルバムが一番気にいっている。

この前までチェット・ベーカーをランダムに流しながら仕事をしていたのだけれど,ここ数日はラインベルト・デ・レーウのピアノをかけながら仕事だ。

今朝,事務所にくると,NASが立ち上がらないというか電源が入っていない。ネットで調べたところ,ACアダプタが壊れてしまったらしく,慌ててAmazonで注文をした。今日中に届くのだそうだけれど,徹曰く「クラウドにしたほうがいいんじゃないか」というのも確かにそうだとは思う。

週末

金曜日にデザイナーと飲む予定も含みおいて,前日,昌己に声をかけた。3名で川向こうのミートボール居酒屋に予約を入れた。

デザイナーの都合が悪くなってしまい,急遽,徹に声をかけて3人で飲むことになった。仕事の話はあったりなかったりで,あっちに話が行ったり,こっちに飛んだりで,まあたのしい飲み会だった。

帰宅して1時間ほど経てから眠ってしまった。家内は友だちたちと旅行だ。4時くらいに起きて,ふたたび眠る。酔っぱらっていたこともあって結局,9時間以上眠ったのではないだろうか。10時前に起きてシャワーを浴びる。事務所に寄ってから先日,検査を受けたクリニックに結果を聞きに行く。血液検査の結果はすべて正常範囲内で,血圧,心電図検査の結果と合わせて問題ないとのこと。この2年くらい,健康診断を受けていないので,結果に安堵した。

事務所に戻って仕事をして,夕方,マッサージを受けに出る。無茶苦茶凝り固まっていて,どうにかほぐれた感じだった。夕飯はぺいざんでとって帰宅。昨日の話よろしくあっちの本を捲り,こっちの本を読んだりしていつの間にか眠ってしまった。

日曜日は昼前から事務所に行く。著者と電話で1時間ほど打ち合わせ。少し作業をして帰宅。徹から借りてきた原一男の『水俣曼荼羅』第2部を観る。本を読みながら昼寝。夕飯を食べ終わった頃に家内が帰宅。

水俣病については,石牟礼道子の作品ではなく,原田正純が記した新書を通して理解したことと,吉田司の『下々戦記』の影響が強いのだろうな。水俣病問題を通して,いまだに解決がされ得ない状況は,なんだか第二次世界大戦後の解決がされ得ない状況に似て,矢作俊彦が言うところの,この国の曖昧を欺瞞で糊塗する尻ぬぐいのしかたに由来するのだろう。被害者を悪く言うつもりはまったくないものの,「水俣曼荼羅」を観ながら,1980年代はこうした力動から離れようとばかり感じていたことを思い出した。

このところYouTubeでラインベルト・デ・レーウの演奏を聴いていたので,なおさら学生時代に戻ったかのような感覚なんだろうな。

連休明け

慌ただしさの真っ只中で犬死するための方法序説,ではないものの,バタバタとしている。

今日の話。午前中,信用金庫と打ち合わせ。諸々の契約書を30分ほどでまとめ,必要な書類を確認してもらう。で,税金関係の書類が必要になった。

何の書類が必要かまったく考えないまま,なぜか法務局をめざす。事務所から法務局へは国際興業バスで行くのが便利だ。ただ,行きに踏み切りを渡ることがなんとかできたタイミングを待ってしまった。結果,上り下り2本の電車を待った後にバス停にたどり着く。いやな予感はした。案の定,バス停を1メートルほど過ぎたところで踏切待ちをするバスに遭遇する。もちろん乗せてはくれない。その後,同じようなことを繰り返す準備は整っていたのだ。

西武新宿駅まで行き,職安通りをおとなしくコの字通りに横断歩道を渡り,新大久保の裏通りから大久保を過ぎ,法務局へ行く。当然,そこで書類が出ることはない。行くべきは税務署だ。税務署って,国税と都税とで分かれていて(この区別も心もとない),必要なのは法人事業税で,これは都税事務所で発行される。にもかかわらず,次に私が訪ねたのは新宿税務署だ。受付をし,用紙を記入して待つものの,必要な書類が発行されるのはここではない。ようやく行くべき場所を確定したので,このタイミングで必要なものを電話で確認してみた。最初にすべきだろう,これは。

で,必要なものが揃っていないことがわかる。都税事務所はここから歩いて10分もかからないにもかかわらず。今日は歩いて駅に戻り必要なものを取った後,最初から行くべきところまで向かう気力はすでに残っていない気がする。タクシーを止めて事務所の前までつけてもらい,必要なものを取って小滝橋通りまで戻る。

ようやく落ち着いてきた。必要な書類を受け取り,西武新宿駅まで戻り昼食をとる。下落合まで行き,出張所でさらに必要書類をとり,事務所に戻ってきたのは15時前のことだ。

半村良の『うわさ帖』を読み直す。

連休

後半に入って,ようやく少しだけ休む。とはいえ,3日は昼前から仕事のミーティング。結局,15時近くまでかかってしまい,そのあと家内,娘と池袋で待ち合わせ。初夏に義理の息子? 予定の彼もきて,4人で夕飯をとる。LOFTで買い物をして帰宅。

4日は徹のところまで行く。拝島経由で八王子まで行き,横浜線に乗り換えて駅から20分ほど歩き,13時過ぎに到着。「水俣曼荼羅」の第1部のみをみる。本当に病像論だけで2時間分にまとめるだけの取材したのだ。17時前に八王子まで戻り,古本まつりを覘く。家内がくるはずが場所がわからずに遅れている。先に徹は帰り,家内と落ち合ってから喫茶店で休憩する。19時まで本をチェックして,マンガ数冊と仕事用の本を購入した。徹と言っていたのだけれど,なんだか80年代からタイムスリップしてきたような品揃えの店がいくつもあり,ああ,本は残っているんだなあと思う。夕飯を買って帰宅。

5日は昼前から事務所にきたものの,気圧のせいか調子がよくない。14時過ぎに家内と待ち合わせ,新宿に買い物に行く予定にしていただのだが,この分だとやめたほうがよいかもしれない。とりあえず近くで昼食をとり,偏頭痛の薬を飲むと楽になる。西武新宿駅まで行った頃には落ち着いた。明日の出張用にチケットを購入し,そのあと収納家具を探しにIKEA,東急ハンズ,ニトリとまわる。

6日は京都で対談収録。8時前に家を出て事務所で準備をしてから東京駅まで行く。ふつうは品川で新幹線に乗るのだが,連休の混雑が非道いというニュースを聞き,東京駅で乗ることにした。席を確保して昼前には京都に着いた。たしかにかなりの混雑だ。収録場所まで行き,15時過ぎに終わる。寄り道をせずに,なにせ自由席での行き来なので,早めに改札を入り,必要ならば列車を何台か待って乗ることも考えた。幸い,来た列車に席が確保できた。結果,18時前には東京駅に着き,中央線で中野まで行くことにした。古本屋を覘いて少し買って,東西線で折り返し,事務所に戻る。荷物を片づけてから仕事をしてサワディーで夕飯をとる。

7日は昼前から事務所で仕事。夕方に池袋で家内と待ち合わせ,ブックオフで本を数冊購入。

出張に行きかえりに「スピン」創刊号を最初から読む。「IN☆POCKET」の創刊当時をどうしたわけか思い出した。

4/28

次号の対談のセッティングで前半は終わり,並行して進めている書籍の打ち合わせ,雑誌の見本出し,発送で金曜日が終わる。

火曜日はもう一度だけ早稲田通り沿いのブックオフに寄り,文庫本中心に10冊くらい購入。石森章太郎の『八百八町表裏化粧師』を30年近くぶりに文庫で買い直した。で1980年代前半の,落胆が続く時期に発表されたこの作品が,コマによっては70年代前半の絵柄に見えたり,構図も凝っていたりしてびっくりした。連載当時,読んでいたはずだけれど,『さんだらぼっち』で荒れた構図がそれ以前のものに戻った印象だ。

水曜日は仕事を終え,家内と光が丘に行き,古本市で少しだけ購入。すがやみつるが石森章太郎に関する解説のなかで,半村良の小説が面白いと言ったときのエピソードを紹介している(といっても20年近く前)のを読み,すがやみつるは『さんだらぼっち』を半村良風と紹介しているように思えるものの,ここは『Knight andN day』のほうが半村良そのままだろうと突っ込みを入れたくなる。いい意味で。

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