カルテット

“カルテット”というと,ウルトラヴォックスのアルバムやイザベル・アジャーニの映画を思い出す。

午前中のよどんだ思考は17時を過ぎた頃からクリアになってきた。20時過ぎまで仕事をし,家に戻る。このところ定常化している遅めの夕飯をとり,家族と一緒になってテレビを見ている。

年末まで毎週,「逃げるは恥だが役に立つ」を同じように見ていた。脚本家でドラマを見るパターン。新番組「カルテット」は,軽井沢を舞台にした音楽サスペンスらしい。この脚本家が手掛けた作品どころか,名前さえも知らない。という状況ではじまった。

高橋一生という俳優が登場したとき,誰かに似ているなと思った。「スタジオボイス」を編集していた頃の佐山一郎だ。実際に会ったことはないものの。

どこか昔の映画,「ときめきに死す」あたりを思い出す質感だ。どのような物語が展開されるのかわからないけれど,こういうドラマが放送されるのか,と第1回を見た感想はとても漠然としている。

イッセー尾形の芝居がドラマのなかで展開されていた。芸術家風のせこい詐欺師という役はぴったり。昭和60年代のイッセー尾形の変化,それはまわりが変化させたのだろうけれど,については,誰かが書き留めておいたほうがよいと思う。NHKが掬い上げ,打ち上げ花火のように人気が出て,変質せざるを得なくなった数年間について。

死すべき定め

一日中,事務所で仕事。

東京は寒いだけで済んでいるからありがたい。ニュースに映る各地の様子は雪と闘っているかのようだ。

宮内悠介「カブールの園」を読み終えた。後半,ふと鶴見俊輔やハーバート・ノーマンのことを思い出した。『日米交換船』を読み直してみようか。併載された「半地下」を少し読み始めた。いつもと文体が違っている。こちらのほうが読みやすい気がする。そしてパッと読んだだけで記憶に残る。

船橋で手に入れたアトゥール・ガワンデ『死すべき定め』を捲り始めた。この内容を医師に書かれてしまうと,看護師の立つ瀬がないな。ただ,全体に漂う高級な匂いはどうしても拭えない。先日,北千住で打ち合わせをしたときに,武谷三男はスピノザの神に思いを寄せるけれど,同じ意味合いをたとえば大衆文学のなかには見出せないのが致命的。その点,鶴見俊輔はすごいと伺ったことを思い出す。

何年か前。医療職の組合関係の集まりを取材するため,浜松町のホテルに出かけたときのこと。懇親会まで出た記憶はないので,それがどのような状況で行なわれたことかわからないのだけれど,若手とベテラン看護師が合同で,当時流行っていたKARAの“Mr”のカラオケに合わせてダンスする。いや,実行委員会が詰所代わりに使うスペースで練習する姿を目にしたのだ。「あれは何か」と問われ,私と同世代の男性看護師が年長の看護師に「KARAですよ」とあたりまえに答えていた場面が印象的だった。

看護師があのままで,医師と渡り合ったとしたら,それはそれは強力だと思うことがあるものの,どうしても学問的な体裁から入っていく。「べき」論を振りかざして論争しても,勝ち負けは自己満足に陥る危険性をはらんでいる。医療職の自己満足ほどたちの悪いものはない。

致命的といわれた武谷三男はそれでも,「許容量の概念」という,ある種,大衆文学的なとらえかたを打ち立てる。大衆文学そのものと置き換えることはできないが,「べき論」に一度立ったうえで,そこからすべてが日和見でも妥協でもない地点を探りそこに立とうとする。

SNSを眺めながら,許容量の概念の不在を考える。

Saji+Yoji

午後から事務所で少しだけ仕事。家に持ち帰って済ませればよかった。

遅めの昼に娘が事務所近くまでやってきた。totoruで昼食。一度事務所に戻り,何通かメールを打って一緒に帰ることにした。東中野のブックオフに寄るために総武線に乗り換える。このところ代々木乗り換えで待ちぼうけをくうことが少なくないのでどうしようか思いながらも,新宿駅で向かいのホームに中野方面行き電車が停まっているのを見て,代々木まで行くことにした。向かいの総武線はすぐにやってきた。ただ,この,通称“つばめ返し”,乗り換えは楽だけれども,それで時間が短縮されるわけではないことをようやく理解した。

ブックオフで,1981年から数年にわたって刊行された本の雑誌の増刊3冊がまとまって並んでいるのを見つけ購入。東中野に戻り高田馬場まで行くか,歩くことにするか少し悩む。気温がかなり低いものの風が収まっているので,途中休憩しながら娘と歩いて帰ることにした。

カフェ傳にはじめて入ったのは落合・東中野界隈で開かれた「Saji+Yoji展」のときだった(当時のサイト)。娘は小学校に入ったばかりで,地図をたよりに2人でやってきたのだった。家の近くでは,とろとろに溶けたチーズをスプーンですくって食べたり,いくつかの展示を眺めたりしながらカフェ傳まで辿り着いた。当時の日記はこのあたり。サイトのなかに記憶が残っているのは何だか不思議な感じだ。

あのときと同じように娘と2人で飲み物とケーキを頼んだ。この時期,毎年友だちの家で集まる新年会へ出かけた家内に連絡し,駅前のタイ料理店で待ち合わせることにした。閉店の19時近くまでいて,帰りに店の写真を撮った。

山手通りをわたり伊野尾書店に入りふたたび休憩する。中西敦士『10分後にうんこが出ます』(新潮社)を見つけたので購入した。仕事の関係で読んでおこうと思ったのだ。

タイ料理店で家内と合流して夕飯をとる。ソフトシェルクラブと玉子を和えたカレーが遅れたからというので生春巻きをサービスしてくれる。美味しかった。くだらない話をしながら家に戻った。

タンギー

寒い。関東の雪の記憶は,1月のこの時期と,3月中旬に固まっている。

この週末は家内とともに千葉の墓参り。娘は昼までのアルバイトを終えてから塾で試験官のバイトを掛け持ちするという。高田馬場から西船橋でJRに乗り換えて船橋まで。千葉の内房線沿線で降雪があったようで全体,電車が少し遅れている。シャポー船橋で昼食をとる。まわりは女性客ばかりで,かなりにぎやか。バスでお寺まで行く。

戻りのバスの時間を確認しておく。昨年までは,年始,お彼岸2回,お盆と合同でのお参りを企画し,毎回150~200名近くの参加があった関東近郊では珍しい浄土宗のお寺が,昨年後半からそうした会を取りやめた。人が集まりすぎたのか,僧侶の手配ができないのかわからない。お堂の前あたりの様子がこのところ変わってきていた。不法侵入者に手を焼いたのかもしれない。お世話になっている身とすれば,線香は無料で使わせてもらえ,とても助かるのだけれど,何がきっかけで変わったのかは知りたい。

風が少し強い。昨日までとは違い,一面をタンギーの絵のような空色だ。バスで船橋まで戻る。東武百貨店の旭屋書店で,ガワンデ『死すべき定め』(みすず書房)と「新潮」2月号を購入した。家内と喫茶店で休憩して夕飯用にお弁当を買って帰る。

『死すべき定め』「新潮」とも一昨日,高田馬場では手に入らなかった。そのことについてあれこれ考えた。

「新潮」には岸政彦の「背中の月」が掲載されている。福田和也は評論の世界に帰還した。「背中の月」を読んだ。ヘミングウェイのような文体。意味も象徴も意図しない日常それ自体になぜ意味が伴ってしまうのだろう。記憶あることのしかたのなさ。

終えていない

午後から虎ノ門で打ち合わせ。その前に本郷三丁目で途中下車して,他の仕事の調整をする。定時プラス1時間程度で事務所を出る。高田馬場の芳林堂書店で在庫検索では「あり」と出るにもかからず,棚・平台に見当たらなかった宮内悠介『カブールの園』(文藝春秋)を池袋地下街の東武ブックスで見つけて購入した。本のあり/なしは売り場面積に比例するものではないのだ。いや,どちらも等しく「書店」だから,売り場面積で貴賎を問う話ではない。夕飯用に弁当を手に入れて家に帰る。

三日連続で社外打ち合わせが続く。ところが,このところ新しい仕事が現れるばかりで,仕掛の仕事が終わった感じをもてない。もちろん,ルーティンな仕事のいくつかは手元を離れている。何だろう,この停滞感は。

半世紀生きて後の,この堆積感はボディブローのようにきいてくる。2月にはくるり,4月には11年振りにマッドネスが来日する。へたしたら12月にはキング・クリムゾンの再来日だったあり得る。まずは,西川きよしのように小さなことからコツコツと潰していかなければ。まあ,それができれば苦労しないのだが。

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