公開書簡フェア

時間になった。

絲山さんを真ん中に「公開書店フェア」に参加した10書店のうち,6書店の書店員さんが登壇。どのような進行になるのか参加者も手探りの感じで始まった。フェアの経緯,手紙の内容などを中心に,まるで,その場にいることを承認されるかのような和やかな雰囲気でやりとりが続く。

交わされた言葉が再び,ここでもあり,どこかでもある棚に並ぶことを夢見て,メモを取ろうとなど思いもしなかったので,流れに身をゆだねるのみ。いちいち感覚を止めて記憶にとどめるなんて,もったいない。

それでも絲山さんの「棚は売り上げを出す場だから」という意味合いの言葉が強烈な印象だった。物見遊山よろしく高円寺に出かけてきたものの,そのあたりどんなふうに切り分けているのかとても興味があったのだ。

手紙はとてもパーソナルなもので,それを「公開」前提で,売り「場」に置いて共有する。手紙を書く「私」は職業としての書店員なのか,仕事を抜きにしての「私」なのか。フェアで読んだ手紙はそのあたりよくも悪くも虚実皮膜という感じがした。参加してみて結局は,それぞれだな,というのが実感だ。ただ,仕事と私をきちんと区切らなくても書店での仕事が成立しうることを皆さん,身をもって示してくださった気がする。もちろん個人が担うべき責任だけで「場」の持続性を保証することなどできない。それでも,なお。

「ベストセラーばかりを並べる」⇔「ベストセラーは並べない」という天秤から降りて,「売り場」で利益をあげる可能性を探る。ならば買う方だって,スズキさんよろしく「この書店ではメルセデスが手に入る。あの書店で売っているのはベンツだ」という面白がり方をしてもよいはずだ。体力をもって物を手に入れる愉しみを逃す手はない。

場だから,動き,体験が生まれる。そのただ1つが場の一生でいちばん美しい体験だなどと,他のだれにも言わせまい。

公開書簡フェア

文禄堂書店高円寺店は,高円寺駅北口の向かいにある。あゆみブックスのうちの一軒で,先日,リニューアルして店構えばかりか店名まで変えた。入り口左側にカウンターがあり,ドリンクのオーダーもできるようだ。iPhoneでPeatixを開き,受付を済ませる。1ドリンク付で,メニューにはアルコールもあった。ハートランドを瓶のままもらい,会場に入った。ハートランドを瓶で飲んだのは,10年くらい前六本木ヒルズに開いていたバァ以来かもしれない。

会場は,普段なら棚が並ぶスペースを片づけ誂えられていた。三方を文庫とマンガの棚が囲む。土曜日の13時から15時が書店にとってどのような意味をもつ時間帯かイメージできないけれど,トークイベントを含む今回のフェアの根本にあったのが,“場を使う”ことに対する敬意だったと理解するまでには,2時間が必要だった。

すでに参加者は集まり始めていた。中に入ると2階まで打ち抜きのスペースになっていて,右手に長机,中央に椅子が置かれていた。階段をあがった2階にも棚が据えられてあり,そこにも手すりに沿って椅子が並んでいるようだ。1階に入ってこられたものの2階に移った人が数名いた。

絲山秋子さんの小説は「イッツ・オンリー・トーク」から読んでいる。デビュー作との出会いはログのどこかを探せば出てくるはずだ。キング・クリムゾンの連想からページを捲ったのだけれど,そのときはたとえば清水博子さんの小説を矢作俊彦絡みで手にするのに似ていた。最近まで,その後の作品について記した記憶はほとんどない。小説は手にしながらも,次に印象的だった「下戸の超然」までのしばらくの間,私にとってはときどき読む若手作家の一人だった。

久しぶりに文芸誌で読んだ「下戸の超然」が面白かった。この小説に登場する「QとUの関係」については,その後,さまざまなところで使わせてもらいもした。北杜夫や石森章太郎を読んできた身にすると,「知的好奇心をくすぐるところが1つは盛り込まれている」作品が好きで,「下戸の超然」は久しぶりに,そのことを感じた小説だった。

文章の上手さはデビュー作から感じていたものの,それは必ずしも私が好きなタイプの文章ではなかった。単行本『妻の超然』を手に入れてから読み返すと,たとえば1行で半年を飛び越えるような文章にすっかり驚いてしまった。たぶん,私が少しは成長したからに違いない。年をとるごとに,少しずつものごとを受け入れるキャパシティが広がっていく,というか,小さなこだわりがどうでもよくなっていくのだ。その後しばらく読まなかった時間があるものの,今年はデビュー作から意図的に読み返している。ただ,『スモール・トーク』の次に『不愉快な本の続編』に飛んでしまい,このまま『忘れられたワルツ』に進むか『ニート』に戻るか考えている。

昨年末,絲山さんがツイッターで『イッツ・オンリー・トーク』をドアストッパー代わりにしている写真を見てから,数回,やりとりさせていただいた。ツイッター上で今回のフェアが生まれる様子は,だからリアルタイムで眺めていたように思う。(つづきます)

公開書簡フェア

野方から高円寺まで歩くのは初めてだと思う。

新井薬師に住んでいた頃は,会社帰りにときどき自転車で高円寺に出かけた。子どもが小さかった頃は,家内と連れ立って買い物にきたこともある。当時は阿佐ヶ谷の七夕祭りにも出かけたし,中野から吉祥寺あたりまでは週末の散歩がてらの買い物コースだった。

仕事が忙しくなったこともあり,ここ10年くらいはほとんど高円寺に行くことがなかった。

Twitterで昨年の12月31日に動き始めた「公開書簡フェア」のクロージングトークイベントが,高円寺の文禄堂高円寺店で開かれた。あゆみブックス小石川店と大盛堂書店へ書簡を読みに出かけたこともあり,参加しようと思った。

野方駅南口を降り,短い商店街をいくつか越えて,環七沿いに歩く。早稲田通りを右に入ると,会社帰りに寄っていた頃の記憶が蘇る。

しばらく西に進むと,高円寺駅に向かう通りの角に昔,古本屋があった。その頃は,ここで自転車を降り,店を覘いてからこの通り沿いの古着屋,中古CD屋をチェックした。その後,南口から線路沿いを下る。ゴジラやの向かいあたりに軒を並べていた何件かの古着屋は新し目のジャケットが充実していたので,何度が利用したことがある。最近まで秋になると袖を通していたTAKEO KIKUCHIのブリティッシュグリーンのジャケットは,そのあたりで手に入れた記憶がある。

その通りを見つけたものの,角にはすでに古本屋はない。通りの両側には当時から営業していた店が何軒もそのままあった。イベント開始まで時間がある。記憶にある古本屋の均一棚を覘きながら,十字路を右に入る。さらに右に折れ,そこから左斜めに入ると,高円寺駅北口の東側に出る。迷いはしなかった。このルートが最短かどうかわからない。早稲田通りから高円寺駅前まで出るルートというと,これ以外思いつかなかった。(つづきます)

アマ☆カス

彼が本棚から取り上げたのは,家庭用のVTRテープだった。
「陣ちゃん(陣内尚武)の映画です。『大戦団』,――陸軍がオクラにしちゃいましたからね。世界でも,見た者は五十人といないはずです」

(↑第18回,↓第19回)

窓からは戦場が見えた。
しかし,暗い土造の一室に穿たれた銃眼のようなその窓は,あまりに小さく,カメラは,絶えずそこにのぞける光景を意識しているくせに,決して寄っていこうとはしないのだった。
おまけに,戦場は遠く砲声はもっと遠い。敵兵の姿はどこにもない。

(中略)

「師団本部! 師団本部を呼べ!」
電話に叫んだ。
開巻以来ずっと,彼はたった一人,この室内をうろつき回り,せわしなく煙草を吸い,電話をかけまくり,窓の外,戸の外,実際には見えない伝令兵に檄を飛ばしているだけだった。
矢作俊彦「眠れる森のスパイ」(1985)

桐郷の第一作は,“銃眼”というタイトルで,舞台は最初から最後まで,あるトーチカの中に限られていた。九二式重機関銃を一丁据えただけの小さなトーチカの中で,連隊長が電話をかけまくり,伝令を飛ばし,無線に叫び続ける。トーチカの銃眼からのぞける外の世界では,昼も夜も延々と戦闘が続く。
矢作俊彦「アマ☆カス」(2016)

矢作俊彦の「アマ☆カス」後編掲載されているはずなので,週末,用事に出かける途中で「小説トリッパー」を探すため伊野尾書店に行った。直前のネット広告は特集の案内が中心で,連載の情報までは掲載されていなかった。小説家のツイッター上の投稿を見ると,脱稿したのかどうかあやしい。

棚で見つけすぐさま目次を開くと,最後の最後に名前を見つけた。初手から脱稿を危惧して連載最後に台割していたのかもしれない。そのままページを捲るとかなりのボリュームで掲載されていた。

「アマ☆カス」はもともと,「百愁のキャプテン」として「論座」誌上に2001年から連載が始まり,一,二度の休載程度で完結したものだ。連載終了の翌年,新年の朝日新聞出版局広告に『アマ☆カス』のタイトルで刊行が予告されたものの,それから10年を過ぎ,いまだ単行本として纏まっていない。

以前書いたとおり(最近,こればかりだな),同誌には同じ時期,河合隼雄の「ナバホへの旅 たましいの風景」や山本一力「欅しぐれ」が連載されていた。何でそんなことを覚えているかというと,「百愁のキャプテン」の連載分を読み返すと,扉や最終ページの裏側にこの2作が載っているからで,その後,新古書店の100円均一棚(文庫)で,同じくこの2作を目にして何度か途方にくれてしまったことがある。こちらは連載終了早々,単行本化され文庫本になり,新古書店で売られ,あげく定価の半額どころか100円の棚に並べられるのに十分な時間を経ているのに,一方,「百愁のキャプテン」はといえば,いまだ単行本刊行のアナウンスさえ聞こえてこない。世界一周の旅早々に浦賀水道あたりで右往左往しているようなものだ。竜宮城を過ごすことなくコールドスリープのままの浦島太郎なんて悲しすぎる。

ただ,同じような目に逢って後,刊行されたいくつかの小説・エッセイが,経年劣化の軋み音を発することなく,時代を超えて読まれていることを思うと,悲しむよりも目覚めのときをただ待ち望んでしまうのだからやっかいだ。

「小説トリッパー」に連載(といっても前編/後編の全2回)された「アマ☆カス」は昭和20年8月20日の数分間のなかに甘粕事件から満映までを映画のようにカットで繋ぐ。マンガでは晩年まで石森章太郎が試みた手法で,小説ではトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』と伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』などが浮かぶ。「小説トリッパー」掲載だけで終わるとは思えないから,今度こそは単行本化されるのだろうけれど,「百愁のキャプテン」は1,000枚を超す長編だ。連載の形(映画を観ながら,さまざまなエピソードを回想していくもの)では纏めないのかもしれない。

矢作俊彦の小説「眠れる森のスパイ」に登場する映画監督でありシュルレアリストの陣内尚武という架空の人物がいる。小説のなかで彼が戦争中に撮った映画の描写がある。同じ映画が今回,別のタイトルで紹介され,その作者は「桐郷」という名でアマカスの前に現れる。「桐郷」というと,『フィルムノワール/黒色撮片』の裏の主役とも言える映画監督と同姓で,キルゴア・トラウトに由来すると小説家本人が語っている。本意はわからないけれど,“遊び”ではなく,自らの小説を「人間喜劇」になぞらえようとしているのかもしれないなどと思った。

で,何を書きとめておきたかったかというと,「アマ☆カス」前編/後編とも,「百愁のキャプテン」の原稿がかなり使われている。ということは,一度書いた原稿で2回,それも同じ出版社から原稿料をせしめているということで,そういう久生十蘭のようなこの小説家の姿を,誰かきちんと残してほしいのだ。

夜と霧の隅で

多くの人にとってそうであるように江戸川乱歩は別にして,北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』とヴェルヌの『八十日間世界一周』で文庫本を読む楽しさに目覚めた。夏目漱石はまた別として。私は中学生になったばかりだった。

北杜夫は新潮文庫がかなりカバーしていて,どくとるマンボウもので住み分けた中公文庫,角川文庫でも数冊刊行されていた。文春文庫は遠藤周作との対談くらいで『怪盗ジバコ』はまだ出ていなかったような気がする。集英社文庫には『船乗りクプクプの冒険』だけがあった。講談社文庫の記憶はまったくない。しばらくして潮文庫で『人工の星』が出たときは妙な感じがした。

『どくとるマンボウ航海記』は角川文庫で読んだ。だからその後,ざらついた紙の手触りと匂いが記憶に染み付いてしまっていて,いまだに角川文庫版を手放せずにいる。たぶん私の手元にある本のなかでもっとも読み返したものだと思う。

短編集『夜と霧の隅で』も,中学時代に読んだ。どんなふうに感じたのかはすっかり忘れてしまったけれど,エッセイはもちろん,初期の短編から『まっくらけのけ』あたりまでは,中高6年間でどれくらい読み返したか覚えていない。

昨日,「夜と霧の隅で」について書いた後,少し検索してみたところ,結局,T4作戦をテーマに小説を書くというアイディアが世界的にみて早すぎたのだという側面もあるのだと思った。記憶のせいだからなのだろうけれど,ネットにあがっている情報はこと,事実について不正確だなと改めて感じた。もちろん,人のことを言えない。

今年のはじめに読み返し,印象に残った箇所(の一部)。

一人の医師として,気の毒な患者さんたちの生命が不要な廃物のように篭に投げこまれてゆくことを傍観したくはなかった。しかしSSの命令を同時に彼は知っていた。一人二人の生命を僥倖によって救ったとしても,それはほんの正面の戦線をむなしく死守するようなものではないか。それならば方法はあるのか? あった。たった一つあった。一刻も早くこの誤った戦争を終わらせることである。誤った? 戦争に誤ったも正しいもないのではないか? いずれにせよ戦争は終結させねばならないものだ。

そうした絶望的な状態を反芻しながら、ケルセンブロックは建物の前だけきれいに雪のかきのけられた舗道を辿っていった。もう駅は遠くなかった。

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