大阪

打ち合わせ用にもってきた資料のほとんどは相手先に渡したものの,それで荷物が軽くなったのは束の間のこと。結局,事典を携えていくことになってしまった。

阿倍野のあたりをぶらついたのは初めてのことだ。帰りの新幹線の時間が気になるので,あまり遠くまでは行かずに,駅の近くを右往左往しながら夕食をどこでとろうかと悩む。

出張先の大阪で,実のところ旨いものにありついた記憶はほとんどない。神戸では定食屋,中華からフレンチまで,あたりはずれはあるもののさまざまな店に入ることができるのに比べると,大阪はここでも面倒臭さが絡みついてくる。思い出すのはせいぜいギョウザ屋や喫茶店のランチ程度だ。昼食抜きだったその日もだから,居酒屋でそこそこ飲もうと思ったものの,躊躇ってしまう。結局,商店街にオープンして間もないラーメン店で,からあげをつまみにビールを飲み,ラーメンと半チャーハンで〆た。

天王寺から大阪を経由して新大阪駅に着いたのは20時を回っていた。缶ビールとつまみを調達して席にたどりつく。ボディブローのように事典の重さが背中にきいてくる。ぐったりして席についてもしばらくプルを開ける気にはなれなかった。京都を過ぎたあたりでようやく缶ビールを飲み始めた。『アメリカ最後の実験』を捲り,しばらくすると眠ってしまった。

大阪

はじめて大阪に出かけたのは生後半年のことだそうで,当然,記憶にはない。新幹線開通の前日に特急で親戚の家に向かったのだという。

小学生の頃までは,夏や冬になると親戚のうちを根城に,半月から1か月は大阪で過ごした。一人で出かけるほどの土地勘はなくて,親戚の家のまわり以外では,甲子園球場のある尼崎や枚方パーク,豊中,千里ニュータウンの記憶があるくらいだ。阪神電車と阪急電車の印象はそれでも強烈で,特に阪急梅田駅のホームへ上る階段とその途中にある書店の光景は覚えている。そこではじめて自動改札を通ったこととともに。

子どもと電車に乗ることに慣れていなかった叔母は,あるとき,私の分も切符を買ってくれたものの,それは運賃が半分の大人用切符だった。もちろん自動改札は閉じてしまった。

母親は結婚するまで大阪で勤めていて,梅田の地下街にあったカレー屋でたぶんドライカレーだと思うのだけれど,玉子を落としたカレーが美味しかったと聞いたことが何度かある。ただ,私はそのカレー屋に連れて行かれたことはない。

大阪には父親と母親それぞれの親戚が住んでいたので,なんというか面倒臭い町という印象が強い。それは他社との合同野球部の納会で,おしぼりをマイクに見立てて挨拶をさせられるのに似たような面倒臭さだ。

関西に出張するたびに面倒臭さのようなものがついて回る。

日帰りで大阪に出張した。環状線で天王寺まで行き,近鉄南大阪線に乗り換え藤井寺まで。環状線から見る大阪の町並みはかなり趣きがあって,まったく嫌いではないのだけれど,近鉄線に乗り換えて阿倍野から離れるにつれ,だんだん普通の町並みに変わっていく。

10年くらい前に同じように藤井寺まできたことがあって,当時はまだ球場跡が残っていた記憶があるのだけれど,今回は見当たらない。とにかく寒いなか,偏頭痛まで出てきてしまったので,打ち合わせ場所へ向かう前に薬局を探して薬を確保した。食事をとることもなく,そのままタクシーで打ち合わせ場所へ向かった。

帰りは古市駅から乗車。終点の阿倍野まで行き,そのまま古書さろん天地へ。『科学史技術史事典』が1,200円で並んでいたのでつい買ってしまった。(つづきます)

Walk

ここのところ,しばしばアクセスする日記サイト。管理人の歩く範囲が並大抵ではない。先日は,池袋から中井・落合を経由して中野まで歩き,その後新宿に着いたときまで徒歩のようなのだ。徒歩記などと謳っているのとは次元が違う。

土地勘のないところで結果,歩いてしまうことならばある。数年前,名古屋へ出張したとき,宿泊先から会場まで,地下鉄で数駅を歩いた。名古屋というのは国際会議場と駅周辺の狭い範囲しか知らないので,たまに宿泊すると,結果,歩いてしまう。それにしても2,3キロのことだ。

中井から東中野だって往復で2キロ少しだろう。そのくらいの距離ならわかるのだけれど,池袋から新宿まで中野経由で歩いている人がいることに驚く。本を読むよりなにより,歩いていることがすごいなあ,と。

五木寛之の『風の王国』みたいだな。

Publishing

家内と妙正寺川沿いの喫茶店で昼食をとる。家内は受験帰りの娘と落ち合うため池袋へ向かう。そのまま東中野まで歩く。ブックオフを見て,折り返し落合のカフェ傳でひと休み。『アメリカ最後の実験』の続きを読む。帰りに地元の伊野尾書店で「ユリイカ」3月増刊号「出版の未来」,探していた「みすず」のアンケート特集号がレジ横にあったので(無料)一緒に。アンケート特集号はかなりのボリュームだ。

「ユリイカ」増刊号「出版の未来」を後ろの方から読んでいる。刺激と反射の話をされても,何の感興も催さないというのが正直な感想。「刺激と反射」と「巧拙」は違うのだけど。別に崇高な理念だとか何だではないし,たとえば誰かが電子書籍のアクセスのよさについて語っている箇所はそのまま電子書籍のアクセスの悪さとして示すことができるようなどうでもよいところばかりで,読んでいて,結局,こ奴ら何がしたいのだろうか,と想像力が殺がれていく。だってさ,目の前に本があれば,それを買ってすぐに読めるのだもの。端末にその利便性を明け渡して,そちらのほうがアクセスがよいといわれてもなあ。

百歩譲って「出版」を博打ではなくビジネス化するための刺激と反射であれば理解はできる。共感はしないけれど。求められてもいない本を好き勝手に作って帳尻合わせてきた業界はだからビジネスモデルにならないと思う。私は博打に染まっていることが嫌じゃないのだ。

BOOKS

年明けから自分に直接関係ないところで,さまざまなことが起きているので,なんだかせわしない。 このところ購入した本をまとめておく。これら以外にもさらに書店,古書店で手に入れた本がある。タイトルを並べならが,本の内容ではなく,その本を買ったときの記憶が蘇ってくるのが面白い。

  • 伊東俊太郎他編:科学史技術史事典,弘文堂,1983.(大阪出張の帰りに,阿倍野の「古書さろん天地」で購入)
  • 北杜夫:見知らぬ国へ,新潮文庫,2015.(池袋の文庫ボックスで購入。ウエルベック,佐藤亜紀の文庫を購入するかどうか悩む)
  • 宮内悠介:アメリカ最後の実験,新潮社,2016.(あゆみBooks小石川店で購入)
  • 絲山秋子:不愉快な本の続編,新潮文庫.(あゆみBooks小石川店で購入。往復書簡を見に行く)
  • 小松左京:復活の日,角川文庫.(ブックオフ高田馬場北店で購入)
  • 地球ロマン,復刊第二号.(中野での会議の帰り,古書案内処で購入。以前持っていたものはバンドメンバーに貸したままになっているので見つけてうれしかった。CBAについてはきちんとまとめたほうがよいと思った)
  • スティーブン・デスーザ他:「無知」の技法,日本実業出版社.(芳林堂高田馬場店で購入。それにしてもnot knowingがビジネス書に登場するとは)
  • 信原幸弘・太田紘史:シリーズ 新・心の哲学II 意識篇,勁草書房,2014.(往復書簡を見に行くついでにあゆみBooks小石川店で購入)
  • 絲山秋子:小松とうさちゃん,河出書房新社,2016.(地元の伊野尾書店で購入)
  • 現代思想,2016年1月号.(『小松とうさちゃん』と一緒に購入)
  • スピノザ:知性改善論,岩波文庫,1992.(芳林堂高田馬場店で購入)
  • スキナー:自由への挑戦,番町書房,1972.(池袋の古書店で購入)

 

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