近況

このところ,古本屋に出かけても何も買わずに帰ってくることが多い。『侍女の物語』を読み終えなければならず,実家から持ち帰ってこなければならない本もそれなりの量がある。ある程度の本,雑誌は処分することに決めたにもかかわらず,だ。それも,すでに第一弾の処分で書棚の本の半分以上は処分した残りでの話。さらに自宅の本を整理していたら,さすがに持ち続けていることをためらってしまう本がかなり出てきた。

生涯,読み返さない本のほうが多いに違いない。さすがに半世紀を折り返し,自分のこの先と「もの」とのバランスを見直すことが少しはできるようなった。

ところが,そうなるにつれ,新刊書店で雑誌,本を買う割合が増えた。

昨日は『善き女の愛』(新潮社)を購入,ここ1週間で手に入れた雑誌の数もそれなりになる。それって,おかしくはないか?

今日は西日暮里で打ち合わせを終え,千駄木まで歩いてブックオフと古書ほうろうに。『アイルランドに行きたい』(新潮社),吉本隆明・プロジェクト猪 『尊師麻原は我が弟子にあらず オウム・サリン事件の深層をえぐる』(徳間書店)が100円だったので買って帰ってきた。

友人が社会人になる前の数週間,ホームステイと称してアイルランドへ出かけていたと聞いたことがある。『ダブリン市民』くらいは読んでいたものの,その頃,アイルランドと聞いて思いつくことはあまりなかった。映画『ブロンテ姉妹』の荒涼とした印象くらいのものだ。

『アラン島』を手に入れ,ウィスキーをめぐるエッセイを読むつれ,少しずつアイルランドへの興味が沸いてきた。友人がどうしてアイルランドへ向かったのか,聞いたかもしれないのだけれど,すでにどんな理由だったか覚えていない。ただ,よいことばかりだったと楽しそうに話す,その様子だけは今も記憶に残っている。

山甲

中学時代のこと。定期試験前になると,特に社会科は試験範囲のなかかから友人と問題を出し合った。もちろん感覚としては,なぞなぞを出し合っている以上の志の高さなど何一つなかった。

休み時間になると,机のまわりに集まってくる。地理の対策と称して,とりあえず地図帳を広げる。出題者は,できるだけわかりづらい地名を問題としてノートに記す。他のものは,競い合って地名を探すのだ。

回数を重ねるほど,いきおい回答時間は早まる。さすがに工夫の使用がないと思った頃のことだと思う。関西圏の地図を広げ,友人の一人がノートにこう記した。

山甲

私たちは血眼になって「山甲」を探すものの,一向に見つからない。休み時間が終わろうかという頃,ようやくピンときた。

「これ“岬”だろう」

私がいうが早いか,友人が“岬”という地名を指差す。

「きたないな。岬じゃないじゃないか」

「誰も山甲なんていってないぜ。君たちが勝手に山甲って読んだんじゃないか」

 

新本格化以降の推理小説,メタフィクションを読んで感じるのは,“岬”を“山甲”と書くような技法だ。一度は何がしかに楽しみはあるものの,それは続きはしない技法だ。

BSフジ

WORLD HAPPINESS2014,今頃,BSフジで放送されたので,録画して見た。

この時期に放送されるので寒そうに見えるけれど,真夏なので寒さというよりも衣服が濡れて纏わりつく気持ち悪さのほうが強かった。まあ,あんなことでもないかぎり,この歳になってずぶ濡れになることはないので,楽しい経験だった。

放送は,高橋幸宏絡み以外の演奏は1曲のみ。

ねごとは“カノン”,真心ブラザーズは“ENDLESS SUMMER NUDE”,赤い公園は“風が知ってる”,くるりは“WESN”が見たかった。特にこの日の“WESN”は,とても気持ちよかったので,何かの機会があればぜひ。

あらためて,すごい天候のなかでの開催だったのだと,画面に映る風雨の様子に思わず笑ってしまった。

近況

年末から矢作俊彦の『フィルムノワール』を読み返している。思いのほか,前後のつながりはきちんとしている。初校で数百枚削ったからといって,この小説家の真摯な姿勢に穿った見方をするものではない。『THE WRONG GOODBYE』の初刷で死因を書き忘れていた衝撃が,いまだ記憶のどこかに残っていたのだろう。とはいえ,初刷では犯人を特定する情報を書き忘れた探偵小説って,なんだか恰好よい。

その合間に,すぎむらしんいちの『ディアスポリス』を買い直しながら読み(一度,10巻くらいまで一括して売り払ってしまったのだ),さらにその合間に角田房子の『閔妃暗殺』まで読み始めてしまっているので収拾がつかなくなってきている。

で,読書会のテーマが『侍女の物語』で,これがなかなかすすまず難渋している。

初詣と,レコード・本の売却の流れでSNSへの書き込み頻度が増え,時間がいくらあっても足りない状況が続く。

年明けから,なんだかせわしない。

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