伊藤計劃

息子が,今から七年前,右足の膝から下を司る神経に癌が見つかり,手術をしまして,右足の感覚を失いました。それから三年ちょっとは癌もお となしく(し)てたんですが,今から二年ちょっと前に両肺に転移が見つかりました。そのとき息子は,「両足がなくなってもいいから,僕はあと二十年,三十 年生きたい。書きたいことがまだいっぱいある」と申しておりました。『ハーモニー』は,苦しい抗癌剤と放射線の治療の中で書き上げられたものでございま す。

三月二十日に亡くなるだいぶ前から,食事も水もあまり摂れない状態になっておりましたけれど,亡くなる日の夕食に大好きなカレーが出て,少し食べてみる と言いまして,スプーンに十杯くらい食べたんですね。それから一時間ぐらい経ってから,床ずれを防ぐために姿勢をちょっと変えたとたん,すーっと意識がな くなって,そのまま亡くなってしまいました。

お腹が空いたまま逝ったら,三途の川も渡れなかったんじゃないかと思いますが,最後にカレーを食べたので,今帰ってこないところをみますと,なんとか向こうにたどりついたんじゃないかと思います。応援くださった皆様,おつきあいしてくださった皆様,本を読んでくださった皆様,ほんとうにありがとうございました。

夭逝した小説家・伊藤計劃の『虐殺器官』(ハヤカワ文庫)を捲っていて,大森望の解説に記されたこのくだりが,小説にも増して胸を打つ。まねできはしない。

池内了

「グラフィケーション」で,池内了の連載を読み始めてから,かなりになる。そのたびに,武谷三男たちが積み重ねてきた論理をしっかり継承していることを感じる。まとめて単行本を読み返している。最近,金森修の『科学の危機』をめくっていて,この違いは何なのだろうと思った。

池内にあって金森にないものの最たるものは「技術論」で,ということはつまり,科学と技術の関係をどう認識しているかだと思う。

「1954年,政府が決定した突然の原子力予算(いわゆる中曾根予算)に驚いた日本学術会議は,激論の末,自主・民主・公開の三原則の下に原子力の平和利 用に踏み切ることにした。一切の情報の公開とともに,民主的で自主的である運営によってこそ研究の自由と国の技術の発展,そして国民の福祉を増進させるこ とが可能になる,との高邁な精神が込められていたのである。原爆という恐ろしい兵器を作りだした物理学者が,人々の役に立つ原子力エネルギーの民生利用の ための研究開発を行う中心となった。贖罪の意味もあったのかもしれない。

この原子力三原則は,翌年成立した原子力基本法に取り入れられたが,実は最初から空文化する危険性があった。政府見解によれば,民主の原則とは国会で承認 された原子力委員会が研究開発を指導することであり,個々の機関はそれぞれの方針と規律に従う,自由の原則とは国会の討議によって決定されることであり, 公開の原則は成果の公開であって一切の公開ではなく,それも個々の機関の判断に委ねる,というものであったからだ。研究の自由が保証されている大学では三原則は守られたが,電力会社ではほとんど無視されてきたことは(中略)明らかだろう。

(中略)

もう一つの問題点は,原理や法則性に主要な関心がある物理学者は基礎研究から始めるべきだと主張したが容れられず,応用・開発を優先する政府・経済界が主 導権を握ったことである。その結果,物理学者は一斉に手を引き,実用研究を行う工学者の手に委ねられた。原子力工学があっても原子力理学は存在しないので ある。工学者は早く実物を操作したい,より大型化したいとの欲求が強い。たとえ輸入技術であっても,それを洗練させれば外国を凌駕できると考える傾向があ る。技術輸入からのし上がってきた明治以来の習性だろうか。これが原子力ムラを形成する原因となった。技術の推進一色となり,外部からの批判を許さない状 況が作られたのである。

さまざまな分野の科学者の相互討討論・相互批判があればこそ正常な科学の発展が可能になるのだが,それが欠けていたと言わざるを得ない。国策という名目で の社会の要請,膨大な原子力開発予算,電力会社の宣伝力,マスコミの甘さ,それらが合わさって安全神話が形成されてきた。これも社会が課した科学の限界な のだろうか。」

池内了:科学の限界,p.167-169,ちくま新書,2012.

近況

なかなか定期的に書く時間が確保できない。 某日 鳥取日帰り出張。起きたのは午前4時過ぎ。7時前の飛行機で鳥取空港へ向かい,一日取材して6時過ぎの便で帰る。この便には,阿川佐和子さん,谷川俊太郎さんのほかにも,私の仕事の世界で著名な方お二人が同乗されていた。この便に何か起きたら大事件だなと思った途端,日ごろの飛行機への恐怖心が緩んだ。 某日(とっいっても5/17) 雑司ヶ谷みちくさ市の一箱古本市に参加。暑い。人出がいま一つで,隣の出店になった漫画屋さんにサインをもらいながらあれこれ話す。 「不忍は出たの?」 「いいえ,遠いので」 「客層がぜんぜん違うよ。高くても売れるから,次回は出たほうがいいよ」 「そんなに違うんですか」 「今年は知り合いが10万売ったよ。棚貸しには出してないの?」 「そこまでは……」 「西荻はよく動くよ。神保町のかんたんむにも出してるんだけど」 「かんたんむって昔,小岩にありませんでしたか?」 というような話を一日して終了。 売れたのはこんな具合。漫画屋さんも言っていたけど,片岡義男がやけに売れるそうだ。私はエッセイ以外,読んだことはないので,片岡義男の小説については何も言えないものの,エッセイは面白い。

    1. 大原富枝, 岩崎ちひろ (イラスト):万葉のうた,童心社,1970.
    2. 清水崑:ぼんやり山のぼんたろう,学研カラー絵ばなし1,1972
    3. 清水崑:まいごくじらとぼんたろう,学研カラー絵ばなし 6,1973.
    4. 横山隆一:かぼすけのふんすい,学研カラー絵ばなし 12,1974.
    5. 前川康男, 那須良輔:ふたりのにんじゅつつかい,学研カラー絵ばなし,1974.
    6. もりひさし, きくちさだお (イラスト):じてんしゃこぞう,学研カラー絵ばなし10,1974.
    7. 吉田健一:東京の昔,中公文庫,1974.
    8. .E.クラップ, 仲村祥一, 飯田義清訳:英雄・悪漢・馬鹿―アメリカ的性格の変貌,新泉社,1977.
    9. ロジェ・カイヨワ, 三好郁朗訳:妖精物語からSFへ,サンリオSF文庫,1978.
    10. 少年少女SFマンガ競作大全集3,東京三世社,1979.
    11. 季刊みづゑ,No.950,1980.
    12. 片岡義男:町からはじめて、旅へ,角川文庫,1981.
    13. 遊,1981年10月号
    14. さとうち藍, 松岡達英 (イラスト):冒険図鑑―野外で生活するために (Do!図鑑シリーズ) ,福音館書店,1985.
    15. 松下竜一:潮風の町,講談社文庫,1985.
    16. 片岡義男:紙のプールで泳ぐ,新潮社,1985.
    17. 片岡義男:すでに遥か彼方,角川文庫,1985.
    18. 森雅之:散歩しながらうたう唄,ふゅーじょんぷろだくと,1986.
    19. 長 新太:ヘンテコどうぶつ日記,理論社,1989.
    20. 片岡義男:アール・グレイから始まる日,角川文庫,1991.
    21. アレイスター・クロウリー, 江口之隆訳:ムーンチャイルド,創元推理文庫,1991.
    22. 渡部雄吉, 中嶋和郎, 須賀敦子:ヴェネツィア,新潮社,1994.
    23. きたむらえり, 片山健 (イラスト):森に学校ができた,福音館書店,1995.
    24. 下川裕治:12万円で世界を歩く,朝日文庫,1997.
    25. 片岡義男:彼女が演じた役―原節子の戦後主演作を見て考える,ハヤカワ文庫JA,1998.
    26. 河野貴:金のホテル銀のホテル―DO NOT DISTURB,朝日文庫,1999.
    27. 五味太郎:ときどきの少年,ブロンズ新社,1999.
    28. 大塚英志, 藤原カムイ:アンラッキーヤングメン 1 ・2,角川書店,2007.
    29. 吾妻ひでお:逃亡日記,日本文芸社,2007.
    30. 市川哲史:さよなら「ヴィジュアル系」―~紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ,竹書房文庫,2008.
    31. 阿部紘久:文章力の基本,日本実業出版社,2009.
    32. おなかさとし:マドマド,土屋鞄製作所

彼らは廃馬を撃つ

某日 ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』が白水Uブックスから再発されるというので,休みに会社へ出かけるついで久しぶりに午前中の書店で本を探す。ところがまだ入荷していないとのことで肩透かしのまま事務所へ。
校正の発送作業を済ませ,夕方に事務所を出た。そのまま午前中に行った書店に入ると棚に並んでいる。一冊とって池内了の新書と合わせて購入。少しだけ部屋を片付けた。

某日 昨日やりのこした校正の発送,一件分を済ませるために午前中は事務所へ。早々に切り上げ,池袋で昼飯をとり家へ帰る。夕方に自宅から本・雑誌6箱が届くので,スペースを確保しなければならないのだ。夕方までかかって整理を済ませたところに箱が届いた。少し横になり,夕飯は高田馬場で初めて入ったビストロへ。

『彼らは廃馬を撃つ』は,矢作俊彦『神様のピンチヒッター』のタイトルの元になったと称される小説だ。ただ,サイトにアップしたとおり,この小説「NOW」初出時のタイトルは「神様の代理人」。ストーリーに若干の共通性はあるけれど,それはタイトルが示すところが共通なのだから「元になった小説」といわれると,どこまでそうなのかわからない。
長くない小説なので,読み終えた。その感じは矢作俊彦の小説とかなり違う。「ぼくはぼくだからぼくなんだ」という男の子のちっぽけな考えが,富と名声を求めてまったく無意味と化す不条理な世界とその幕引き。心底,アメリカ人とさよならを言う方法を探したくなる。そのやりきれなさを,そのまま抱えたままアメリカン・ニューシネマの一本として映画化されたそうで(未見),全体,アメリカン・ニューシネマって疲れるからあまり観たくないのだけど,これは観てみようかなと思った。

連休

自分で蒔いた種とはいえ,去年の連休の記憶,一日24時間では足りないくらいの,それも自分がもっていない知識を用いなければならない仕事を目の前に,さまざまな人の手助けで,まったく何とか乗り切った記憶がいまだ鮮明に残っている。

それに比べると今年は平穏に過ぎた。

某日 諸々の手続きのため,お寺に出かけ,その帰りにららぽーと船橋に寄った。私は隣の建物のブックオフで本を物色したものの,このところ本当にでかいブックオフほど,めぼしい本が見当たらない。半村良の文庫を1冊だけ買ってららぽーとで待ち合わせた家内と帰ってきた。

某日 久喜まで,知人から誘われた憲法フォークジャンボリー in 彩の国2015に出かけた。宇都宮に住んでいた頃,東北線で久喜あたりまでくると,ようやく東京が近くなった感じがしたものの,反対に都内から向かうと微妙な遠さだ。池袋から小一時間電車に揺られ,30年前の北越谷駅前のような光景の町に降りた。昼を過ぎていたので,食事を済ませてから会場に出かけようと店を物色しているうちに道に迷ってしまう。結局,ギャラリーショップに喫茶店を併設したところでやけにヘルシーな定食をとった。
コンサートは1組15分で弾き語りあり,朗読あり,発言あり,お笑いありの闇鍋状態。思っていたよりも聴き応えがあった。
17時くらいに会場を出て,15分くらい歩いてブックオフをのぞいたものの,ここでもたいした本はなかった。

某日 夕方まで会社に出て,夜は義父の家で一緒に食べた。90歳を過ぎた義父は20年前に初めて会ったときとほとんど変わっていないから驚く。

某日 千葉へ向かい,処分できなかった本・雑誌6箱を自宅へ送る手続きを済ませた。これで引渡し手続きさえ終えれば,印西にくることもほとんどなくなるだろう。夜は駒込で家内と待ち合わせてカレーを食べた。

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