よいこと

世の中には悪者とかいい者なんていないんだよ。お伽の中にしかいないんだ。悪いこととか良いことなんてのもないんだ。あるのは悪いことをしようとすることと,良いことをしようとすることだけなんだ。

矢作俊彦:スズキさんの休息と遍歴,p.43,新潮文庫.

10年前にも引用していたこの一節の意味が,まったく違う形で理解できるようになった。それは『悲劇週間』刊行時のこのインタビューとようやくつながったからだ。

彼(堀口大學)は,歴史をお伽話のように感じるわけだよ。でも歴史ってしょせんはお伽話だから。歴史がいくつもの人の口に咀嚼されてお伽話になったわけでしょ。
閔妃暗殺事件に関して言えば,問題は稚拙だってことなんだよ。海江田少佐が言ったことがすべてだよね。政治とは善悪ではなくて,巧拙だと。あれはあまりに稚拙だから,人から非難されてる。
(中略)
勝海舟が言ったように,政治の方途に倫理はない。悪い方法か良い方法か,つまり巧拙はある。朝日新聞が言うような「善意」だとか「良識」では歴史は動かな いんだよ。時代ってのはもっと意志のない無味乾燥なもんで,泥だらけの道に雪だるまを転がすようなもんだよ。そこには意のつくものはないんだよ。力学の問題でしかない。その簡単な事実に,大學が気付くという話だよ。
なるべくドロのない雪の沢山残っている坂を転がせば,雪だるまは白く大きくなるでしょう。メキシコ革命で,九萬一は上手にふるまうんだよ。で,逆に大學はその巧さに違和感を持つわけだ。皮肉なことにね。父親が十余年で学んだ技術に鼻白むんだ。

矢作俊彦(インタビュア:月永理絵):新作『悲劇週間』について語る,nobody,No.19,p.33,2005.

『THE WRONG GOODBYE』の最後のフレーズやもろもろをもう一度整理して,矢作俊彦を読み直してみる。

情報

FMヨコハマが開局したときに矢作俊彦がゲストとともに対談する番組「アゲイン」がスタートした。プレ放送第一回目,本放送一回目のゲスト宍戸錠を皮切りに,メジャー・マイナー交えたワンクール。結局,スポンサーはつかずに,最後は2度目の登場の東郷隆だっただろうか。

南伸坊がゲストに出てきたときは,赤瀬川原平についての話が半分,残りがダダ,篠原有司男にニューヨークで奢ってもらった話,当時は荒川修作に否定的な話で盛り上がったと記憶している。

今日のFBで矢作俊彦がコメントしているとおりの話(矢作俊彦は赤瀬川原平の一番弟子だというくだり)を南伸坊相手にしているのを聴いて,だから私は赤瀬川原平の作品を見たり読んだりしてみようと思った。当時,すでにトマソンは刊行されていて読んだ記憶はあるし,それまで読んできた雑誌に赤瀬川原平が登場した記事なども目を通した。けれども,この対談を聴いてはじめて意識的に赤瀬川原平の作品に関心をもつようになった。

同じような経緯で村上一郎の本をこの頃,数冊手に入れてページを捲ったものの,こちらはまだまだ内容に追いついていくことはできなかった。

結局,昨日の情報は事実だった。今年は人の死についてあれこれ考える時間が長い。

情報

バリケフホニウムのライブは1回しか見たことがない。身長の高いボーカリストが,平沢ばりのメロディラインを無理して歌っている素人さ加減に目を瞑れば,当時の平沢ソロ(「ソーラ・レイ」とか「アモールバッファ」「死のない男」とかあの手の曲を除く)よりも,数段格好の良いバンドだった。一度,吉祥寺のバウスシアターでライブがあったとき,チケットを手に入れていたにもかかわらず仕事の都合で出かけられなかったことがある。一緒に行く予定だった昌己から「すごかったよ」と聞くにつけ,惜しく感じた。

ことぶき光のフレーズサンプリングと,十八番の裏から入る絡み合ったリズムパターンが決定的で,少し後だったかに三橋美香子の“Grace”でことぶき光の編曲を聴いて,昔からこのパターンだったのだなと思ったことが懐かしい。

ベースは秋元一秀で,平沢ソロ3部作の途中まで,ことぶき光とともにキーボードのサポートでステージにあがっていた。まだP-MODELが解凍になる前,下北沢のライブハウスでオールドテクノのカバーナイトのようなイベントがあって,当時はバリケフホニウムは解散,3人組でYMOのカバーをしたのを聴いたこともある。いかんせん,ベースのチューニングが甘くて,かなり気持ちの悪い音だった。一曲,P-MODELの“マーヴェル”をカバーしたのだけれど,なぜ,この曲という感じがした。

その後,CGアーティスト秋元きつねとして名を目にすることはあったけれど,音楽に関してはここ10数年,聴く機会がなかった。

少し前,SoundcloudでP-MODELを検索すると,秋元きつねの“Fish song”がひっかかった。さすがに勘所を押さえたアレンジと,最初から自分でボーカル担当すればよかったんじゃないかというくらい安定した歌だった。

Twitter界隈で,秋元きつねの訃報,夜になってからは赤瀬川原平の訃報情報が飛び交っている。

須賀敦子

20数年前,須賀敦子著作の最初のブームが起きた。私は当時刊行されていた何冊ものエッセイ集を読み漁った。にもかかわらず,須賀敦子の文体がいま1つくっきりとは浮かび上がってこないのが不思議だった。描かれている体験は好奇心をくすぐるものだったし,読みやすい。読みやすさが文体によるものなのか,いまだよくわからないものの,そのうち,文章を生業とする作家ではないのだなと,妙な納得のしかたで記憶の片隅に押し込めた。

著作,翻訳の数が増え,そのうちに小説を書き始めるかもしれないと思ったあたりで,突然の訃報だった。空気が変わったのはこのあたりからだと記憶している。河出で全集の刊行がアナウンスされたあたりからだ。関連書籍が次々と書店に並ぶ。まるで版権の切れた小説や音楽が〈装い新たに〉の枕詞よろしく,棚を闊歩する様にそれはどこか似ていた。

それにともない,文体をもたないエッセイストは随筆家に,さらに名文家とまで称されるようになっていた。

そのことに異をはさもうとなど思いはしない。

ただ,星野博美とどこか似た須賀敦子のエッセイを読みながら,ちょうどあの頃から出版業界の長い長い凋落がはじまったのだったと,ため息を吐く。

サイボーグ009

週末に「サイボーグ009大解剖―生誕50周年記念保存版(SAN-EI MOOK)」を購入。そのまま家の隣の喫茶店で小一時間かけて捲る。島本和彦のインタビューのこのくだりは,一字一句暗記してしまいたくなるくらい共感できる指摘。

好きなコマ割りはですね。「神々との闘い」で牛のマスクを被った男と戦っている時に,マスクを脱がしたはいいが,同じコマが3つ続くところですよ。あれはもう~最っ高~!! あとヒマラヤみたいな雪山を登るときに,見開きで雪山がドーンとあって,小さく009と004が描かれているコマとか。

(中略)

あ,あと,「神々との闘い」のピュンマの回が最っ高です!! (中略)「人間の体なんて精神(こころ)の入れモノに過ぎないんだ」って言って,最終ページも「そうだろうか」っていう台詞なんだけど,その最終ページには人間がいてザァーって血管の絵だけが描かれていて,「そうだろうか」って出るのよ。すっげぇぇぇー!!! わかる?

「そうだろうか!」って感じだよね(笑)。

ピュンマが女の子と恋に落ちるシーンがあるじゃないですか。未文明の女の子の親を薬かなんかで治して密漁を止めさせるの。「そしてぼくらは……」ってきて「恋に落ちた」っていうネームがあるわけ。で,キリマンジャロかなんかの山があって,地平線があって,2人が駆けあっていて,もうすばらしいでしょう!! 「そしてぼくらは……」ってネームが視線で風景を追っていくとこここにあるんだよね~って感じ。すごいでしょう!! 石ノ森ぃ~って感じ。すごいでしょう!! もうブラック・ゴーストとか全然関係ないね!」

最後の一言が最高だ。

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