Twitterに貼り付けるため,「ヨコスカ調書」掲載の「ミステリ・マガジン」1979年4月号をスキャン。ビリー・ルゥが飛び立つところで中断。その後,角川の「別冊野性時代」で加筆され発表されるまで15年近くの時間が必要だった。まだ若かった私にとって,それは気の遠くなる時間だった。とはいえ,さらに同じくらいの時間が経過している。



近況。
相変わらず読み終えないままに,次々本を購入の日々。本ブログは,いくつかのテーマで書き進めていくつもりが,テーマがこれまた広がってしまい,なかなか着地に至らない。
このところ一番聴いているのは赤い公園の“木”。出だしのドラムソロから,ラスト前のギター,ベースの絡みの裏で鳴るドラムまで,つぼを押されまくる。ロックはテクニックよりもセンスなのだと痛感する。
毎朝の髭剃りの手持無沙汰に,北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』を捲っていたところ,この本がリフレクションをテーマにしていたことに今頃気づく。ただ,東浩紀ともども,想像力の乏しさが決定的だ。これまではネタとかベタとかをひねくり回した本というイメージしかなったものの,リフレクション(反省)をたよりに読み直しはじめたら,“自己批判”のあたりでひっかかる。
折よく仕事で話をうかがった先生から,大学生がエリートだなんておかしい,これから10年もしたら大学進学があたりまえになると動きを見据えた層が1970年代には確実にいて,彼らのとりくみが70年代から80年代をけん引していった,とのこと。
取り散らかったブログはなかなか進まない。
小林信彦の書いたもののなかに矢作俊彦が出てきた記憶はなかったのだけれど,『地獄の観光船』(集英社文庫)に,このようなくだりがあった。
大衆に知られたヒーローを他の作家が登場させるのには,二つのケースが考えられる。
一 パロディの場合。(それでも人名を変える要あり。)
二 自分で魅力的なヒーローを作り出せない場合。
河野氏(典生「アガサ・クリスティ殺人事件」のこと)の場合が,二でなければ幸いである。
これがいいとなれば,矢作俊彦氏はフィリップ・マーローを書けるし,栗本薫氏はネロ・ウルフを使えるのだ。(p.166)
後に“あ・じゃ・ぱん”でとった手法は広義では「一」に入るかもしれないが,それとは似て非なるものだと思う。
実家を片付けていたところ,高校時代の友人からの手紙が出てきた。大学時代,電話のない貸家に住んでいたので,いきおい外部との連絡は手紙・葉書,もしくは電報になる。時は昭和60年代。巷ではもちろん電話は普通に繋がっていたものの,それほど必要性を感じなかったため,結局,引くことはしなかった。
こ奴とは高校3年間,かなり長い時間,あれこれ話した。私より本式にニューアカに嵌ったため,1986年といえども,手紙の調子はこんな感じだ。
ベイトソンに多少傾倒しているようですね,最近(もっともここ数年だけれでども)は,ニューサイエンスとかヒューマンサイエンスとかでベイトソンも取り上げられる機会が多いですね。カプラの「タオ自然学」とかワトソンの「生命潮流」なんかで東洋的ホーリズムが西洋的還元主義に対して高らかにうたいあげられているけれど(フロイトからユングへなんてこともいわれている),面白いと思うけれど,反面,よくわからない部分が多い。個人的にはアーサー・ケストラーの唱えたシステム理論,つまり,部分と全体という考え方が一番納得できるような気がする。機会があったら読んでみるといい。無駄(功利的という意味じゃない)にはならないと思うから(アーサー・ケストラー「ホロン革命」工作社の一部と二部)。
精神分析学の社会組織内での位置づけについてだけれど,フーコーにいわせれば,精神分析学っていうのは,いわゆる「人間の発明」以後の発見なんだ。人間の 発明というのは,19世紀的歴史ということと不可分なんだけど,19世紀において歴史は「経験的」に規定されることになったんだけれど,この経験という分 野はまさしく人間のそれ以外のなにものでもないわけだ。そこで「経験」のもつ独特の存在形態から,「人間」自身が思考の対象となるとともに,同時に「人 間」はそうした思考そのものを可能にする先験的領野を形づくる主体でもあることになる。こうして客体としての人間が史上はじめて発明されたわけ。ここにお いて人間諸科学なるものを登場してくるのだけれど,これは常に,エピステーメを形づくる知の三角錐に包摂されて,人間が科学という名で排除されるような内 的危機をはらんでいて,それは,人間諸科学が「生き・語り・生産する限りの人間」にかかわるものであり,同時に「先験的‐経験的」次元を含んでいるからだ ということらしい(このあたりの議論が最終的に,あの有名な言語の支配と人間の終焉へと結びついていく)
まったく,面倒くさい時代。