サイボーグ009

完結編の第3巻を購入。物語がくるくると回っていくので,昼に読んだりしながら最後まで捲ってしまった。なぜだろう。吉本ばななの小説を思い出した。

最後の自筆であろう手紙のサインが「石森章太郎」になっていたのが感慨一入。

Cinema

午前中,仕事の打ち合わせに出て,昼過ぎに終わったので新宿で「009 RE:CYBORG」を見た。

始まるまで時間があったので,ビールを飲みながら三好徹の短編集を読んでいたら,映画が始まってからしばらくして眠たくなってしまった。

映像は凄く,物語はカットアンドペーストをやるならば矢作俊彦レベルとまではいかなくても,もう少しやりようがあったように思う。

ここ数日,あれこれ抱え込もうとしていたのだけど,昨日のライブと今日の映画を見て,なんだか抱え込んでいた方向を変えられそうな感じがしてきた。

O.T.O

いまだ,80年代のライブハウスで聴いたP-MODELのライブでの音の質感が身に付いている。この前,思いついた言葉を使うと,音の鳴り方までコントロールしてしまう表現力の凄さとでも言えばよいのだろうか。

90年代に入ってから,当時のように音に魅了されたライブはあまりない。あぶらだこでさえ,80年代のクアトロに比べ,90年代のリキッドルームで聴いた音の質感には違和感があった。

ブリッツ横浜で聴いた,くるりのライブ。表現力は凄いし曲も好きなのに,ドラムの鳴り方(演奏ではなくて)が残念だった。アンコールの「すけべな女の子」なんて,飛び跳ねたくなってしまうくらいのテンションで音が響いていたのに。

娘と家内はライブハウスで音楽を聴くことに慣れていないので,2階のシートを取ったのだけど,最後まで立ち上がる客はいなくて,アンコール前にトイレに立ったのをいいことに,そこから先,私は壁にもたれてリズムをとりながら見ていた。

1階フロアもときどき動きは出てくるけれど,おしなべておとなしい。何が何でも飛び跳ねるのかと問われれば,たぶんそうではないのだろう。

いいライブであったことに変わりない。ときどきはライブに出かけよう。

ソクラテスとコインロッカー

『アラン島』を読み始めたものの,ブックオフで『ソクラテスの弁明』が105円で売っていたので購入し,ページを捲っている。

意外と飽きもせず,朝の通勤中,読み,帰りに高田馬場に着いた途端,ライブハウスにコインロッカーが出来たのはいつごろだろうかと思った。

新宿西口にあった頃のロフトはもちろん,渋谷ライブインにもラ・ママにも,たぶん渋谷クアトロにもコインロッカーはなかったと思う。インクスティック芝浦にはあったのかもしれないが,1988年の4月に,P-MODELのライブの帰り,水を被ったかのようなTシャツを着たまま,田町の居酒屋でビールを飲んだ記憶があるので,たとえあっても使いはしなかった。

6,7年前,ブンブンサテライツを見たのはどこだったろう。チケットを奢ってくれた九枚君は,コインロッカーで着替えると,フロアへ飛び出した。へえ,そうやってライブを見るのか。

しかし,それが何の学習にもならなかったのは,それから少しして昌巳とSHIBUYA AXでみたマッドネスのライブの後,20年前のインクスティック芝浦帰りよろしく,着替えをもってくることもなく,水を被ったかのようなシャツを着て高田馬場で担担麺を食べた記憶があるからだ。

金曜日に横浜でくるりのライブがある。着替えをもっていく予定はない。

週末に部屋を片づけていて,『個人的な雑誌1』(片岡義男)が出てきた。こんなふうにWebページをつくると面白いかもと感じながらページを捲っていたのだけれど,LP7枚で物語をつくるというくだりで,7枚のなかにJohnny Hartmanの“I Just Dropped By to Say Hello”があるのだけど,そのくだりが奇妙だ。

この七枚には,ヴオーカルがないのですね。
ありませんね。
(p.87)

えっ??

外付け

正確を期するために文章を打ちながら検索し,事実関係を確認する。間違いはなくなるものの,自分の記憶とどこか乖離が起こってくるような気がする。外付けの記憶だ。

記憶は正確でないが,少なくとも記憶するに足る引っ掛かり(痕跡)があることを文章にするのと,事実関係を検索し確認して記した文章が混在する。

1975年から78年くらいの記憶は学校生活以外,あまりない。音楽も小説も漫画も映画も,なんだかピンとこない時期で,この時期に発表された少ないない作品が嫌いなのは変わらないけれども,このところ,この時期の記憶を掘り起こしてみたくなってきた。

サイボーグ009をあれこれ捲っていて思った。

つまり子ども相手の商売を,そのまま年齢に応じて持ち上げていけることに,この時期,気づいた人たちが出てきたのだ。懐かしさが商売になることに。懐メロという言葉はいつ登場したのだろう。

Top