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本式には初出勤。とはいえ,1/2,4,5日と半日くらいは事務所で作業をしていたのだけれど,だいたいが年末に終わっていなかった片づけ中心だった。

銀行で入金を済ませ,結局は片づけの続き。本と請求書を発送し,メールでのやりとり。夕方,同業他社の方から電話があった。20時過ぎに帰宅。夕方から雨が降る。

「ミステリマガジン」連載の「真夜半へもう一歩」を読み返す。繰り返してばかりだけれど,タイトルからして誤植と思しきこの連載は衝撃的だった。後半,無理やりまとめてしまったと数年後の単行本化の際に矢作俊彦は書いているものの,最後だけ加筆すればよかったのに,と思う。1980年代半ばの文体はかなりキレを欠き,前半で加筆修正された箇所が磨かれてたかというと,あまりよくないというのが単行本を読んだときの感想だった。

福田和也が大熊一夫の『ルポ精神病棟』を読んでいないことは不思議ではないけれど,彼のミスリードのせいで,この小説が『ルポ精神病棟』から生まれたという読み方があまりさせていないのが残念で仕方ない。

当時アルバイトをしていた精神病院で,看護婦さん(たぶん准看護婦さんだったと思う)と夜勤のとき,この小説の話になって,私は単行本でいうなら矢作俊彦は『マイク・ハマーへ伝言』が一番で,『真夜中へもう一歩』は連載のほうがよかったと言ったものの,彼女はこの単行本がとても面白かったという。

「波止場でくらげ」や「刑事は七人」(→これは初出からのセリフだった。ただし,連載のときには違和感なく読めた。掲載が「リンゴォ・キッドの休日」が「サマーガール」として「七人の刑事」で放送される1年ほど前のことで,このあたりで放送されることが決まっていたのだったら,それはそれで面白いし,意味が生まれるのだけれども)の響きが冴えないように感じたのだった。単行本化の際に,「不思議の国のアリス」を下敷きにした加筆はそれでも悪くはなかった。ただ,どうにも中途半端な感じがしてならなかった。これも以前書いたけれど,後に角川文庫に収められた際にさらに加筆修正された箇所はとてもよかった。連載に少し戻った(文章を戻したという意味ではなく)ように読めるので,読み返すときは文庫本を引っ張り出していたのだ。というようなことを以前,何度か書いたのはまちがいない。

買い物

昼過ぎに家内と外出。荒井薬師まで行き,毎年変わらない初詣をしてから中野南口の丸井に向かう。家内が予約していた品物を引き取り,MUTO coffee roasteryで休憩する。これもだいたい例年通り。

吉祥寺で買い物。ミノリティアマスで半額セールが始まったというので出かけてきたのだ。ここ数年,たぶん古本防破堤ができてから,店の手前に入っているアパレルショップでときどきセールをしていることに気づいた。夏物のセールのときにはじめて入って,個性的な店主の話にしばらく耳を傾け,2,3点を購入する,という流れで数回続いた。出かけるたびに,運送業者の就労時間規定だとか気候温暖化だとか職人さんのこととか,新しいネタを振ってくるので,話はあまり苦にならない。冬物の長袖パーカーとスウェットシャツを買った。古本防破堤を覘き,パルコまで行く。

古本市を覘き,矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』の2刷を購入した。年末,家内と娘が買い物にきた際,『リンゴォ・キッドの休日』と『マイク・ハマーへ伝言』のサイン本(菅野圀彦さん宛)があることを教えてもらう。故人の蔵書が値付けされて並んでいるのはよいものだ。以前,高田馬場のブックオフの均一コーナーに『半島回収』の贈呈本が並んでいて,宛名が小学館の編集長(二代目を襲名された方宛だったはずだ)を見つけて鼻白んでしまったことの比べれば,どれだけ清々しい光景だろう。

サイン本を眺め,その下の棚に差されてあった第2刷をみつけて購入したのだ。これで,修正箇所が第何刷以降だったのかを見つける手がかりになる。帰りの電車でページを捲りながら,あれだけ読んだはずなのに「ジャケツ」という表記があったことに今更気づいた。

パルコ,アトレ,コピスと家内の買い物につきあい,コピスの地下で夕飯をとって帰宅する。

録画していたテレビ版「ミステリと言う勿れ」の続きを観る。映画版が放送されてはいるのだけれど,テレビ版のほうがおもしろい。録画り忘れがあって,1話分をスキップしてTverで最終回前まで観る。

 

幼稚

年末に高知の友人から届いたプリントスクリーン。33年前の1月3日,キャラバンサライ@高知市のライブに参加したときの記録が大掃除で見つかったのだという。それは私たちのバンドの最初で最後のライブで,主催者である高知の友人が,都内で週末にスタジオに入っていた私たちに声をかけてくれたのだった。

アキバのセコハンショップでKORG T3を手に入れたのは前年のことだ。以来,シーケンサに同期させての曲作り。今も“M1”というと漫才ではなくKORGのオールインワンシンセの記憶が先に出てくるくらい,当時,KORGのキーボードから受けた体験は強烈なものだった。

画像データを眺めながら33年前を振り返ると,作った曲をライブで演奏するたのしさの一方で,スタジオで曲を完成させていくことは別の意味で面白かったのだと思い至る。

T3でシーケンサを走らせながら,上から生音を被せて曲にする。場合によってはデータに手を加えながら,そんなふうにして曲をまとめていく。そのプロセスが面白かったのだ。だから,できた曲を人前で何度も演奏することにはほとんど興味がなかった。30代を折り返すくらいまでの自分の幼稚さ加減に,還暦を過ぎてようやく気づいた。

矢作俊彦に関するサイトの更新があまり進んでいない。ここ数年は”What’s new”をアップデートしているくらいだ。

『ららら科學の子』が刊行された当時,文芸誌に掲載された何本かの対談を読み返していた。久間十義,高橋源一郎,石丸元章との対談あたり。久間十義との対談での発言から,傑に関するページをつくりたくなった。

映画「ザ・ギャンブラー」の主人公が傑であったことからも刺激を受けた。

流れとしてはこんな感じになるのではないだろうか。「レイン・ブロウカー」のJRに傑は登場する。ここでのJを傑,Rを翎として両義的なキャラクターとして想像してみる。デビュー作から登場する翎はこの作品で命を落とす(実際には「言い出しかねて」で死に,その後,『マイク・ハマーへ伝言』に登場するのだけれど)。

Jは「レイン・ブロウカー」発表後,マンガ『ハード・オン』で両性的なキャラクターとして描かれる。『死ぬには手頃な日』に収められたいくつかの短篇のなかに傑のイメージは投影されているかもしれない。

1988年,「歴史読本臨時増刊」に「東京カウボーイ」として書き始められた連作は,「すばる」に続き,単行本『東京カウボーイ』(1992年)としてまとまる(連作のうち,「ジャップ・ザ・リッパー」の初出だけはわからない。小説だから,この作品の最後で傑は生き延びたはずだ)。

同じ1992年,映画「ザ・ギャンブラー」の主役として傑は現れる。

1994年,「犬には普通のこと」に再び登場し,この作品(休載)で,マンガ『サムライ・ノングラータ』と似た時間軸の中に置かれる。『ポルノグラフィア』に登場した(はずの)傑も,パリでの物語だったように記憶している。

1997年,「ららら科學の子」の連載が始まり,傑は東京に戻ってくる。2003年,『ららら科學の子』がまとまり,その勢いで雑誌「enzine」誌上で「引擎 engine」が連載され,2011年単行化された。この作品における凶手が現時点で傑の物語の最新形ではないか,という流れを,そろそろまとめたいのだ。

この間,数回で休載になったマンガ「東京カウボーイ」もあり,何はともあれ,傑の道筋を押さえておきたくなった。

ということを以前,書いたような気がするが。

このところ

金曜日は学生時代の友人たちと大宮で飲み会だった。探偵歴9年を迎える喬史は仕事柄,都合がなかなか合わないので,数年ぶりに会った。大宮で飲むのもほぼ初めてのことだ。喬史の都合を考えて大宮にしたのだけれど,本人は大宮のビジネスホテルに予約をとったそうで,そうならば新宿や池袋でもよかったんだけれど。

ネット検索で見つけた韓国料理店は,ライブハウスに通っていた頃,通った道筋のビルにあった。大宮フリークスというそのライブハウスで,ただただP-MODELを観た。「ゼブラの日」前にあったライブで,店員が二人,「ゼブラって?」「新譜聴いた?」というやりとりをしていたことを覚えている。

19時から2時間制だったものの,なかなか居心地のよい店(といってもカラオケボックスのような個室に隔離されていたため,フロアの様子はわからない)で,料理もうまかった。

徹と昌樹,伸浩の5人であれこれと話す。和之を誘ったのだけれど都合がつかなくなったとのことでキャンセル。その前にLINEで兵庫県知事の件について活発なやりとりがあったことが影響しているのだろう,たぶん。喬史と和之は正反対のスタンスで,どちらも,それはよくデータをチェックしているなあと感心するばかりだった。数日前,和之がグループLINEを退出したようで,喬史は「悪い!」と,和之には届かないところで誤っていた。

21時に店を出ると,通りはコンサート終了後の東京ドームよろしく,並んで進めないくらいに混雑している。何もなくて,ただ飲み会流れでこの人数がたむろする大宮って,わけのわからない町になっていたのだな。

二次会で2時間くらい飲んで散開。

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