1/14

熱はないし,咳込むこともない。ただ,話しているとときどき喉がいがいがとしてきて咳き込んでしまう。かぜ薬を飲んでいるものの,あまりぱっとしない。

ということで,19時くらいに事務所を出て帰宅。家内は娘と食事をして帰るというので,適当に済ませる。

Amazonプライムで,トーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」を観る。トーキング・ヘッズのライブというと1980年だったか81年だったか,FMで放送されたものを録音して,たまに聞いていたことがある。エイドリアン・ブリューがサポートしていた時期の音源だった。その後,レンタルCD屋でベスト盤を借りて,これもときどき聞いた。たまに聞くくらいで,長い間,熱心に聞くことはなかった。

それがクラウトロックの面白さをわかってから,トーキング・ヘッズの聞き方が変わった気がする。要はクリス・フランツのドラムなのだ。どれほど異化した(イカしたではなくて)リズムを乗せても,8ビート,表のノリでひたすらドラムを叩くクリス・フランツの前では,それこそモリッシーのボーカルを醤油に例えた永野にならえば,クスクスやガンボに醤油を垂らしたようなものだ。

「ストップ・メイキング・センス」でもクリス・フランツのドラムは変わらない。最近,当時,渋谷陽一が繰り出したトーキング・ヘッズ批判が批判されていたけれど,この映画を観ると,なんだか借り物さ加減が半端ないように思う。好意的にいうならば,ブラックミュージックのイディオムが感じられない演奏で,それがクラウトロックなのだろうとあらためて思った。黒人が演奏するとブラックミュージックになるというような短絡ではなく,いくら音を重ねてもブラックミュージックならない凄さ。

1/12

昼前から事務所で仕事。相変わらずシガー・ロスを流している。確かに70年代前半のピンク・フロイド風にも感じられる。

18時くらいに事務所を出て吉祥寺まで行く。家内と待ち合わせて買い物。ブックオフに寄ってから夕飯をとり,21時すぎに戻る。東中野で買い物の続きをしてから帰宅する。

会社のサイトの調子が悪い。WordPressかWoocommerceあたりのアップデートの関係かと思ったら,決済プラグイン絡みだった。今のご時世,専門家に対価を払わずにサイト立ち上げから本の販売までできるのはよいものの,それだけ管理上,手がかかる。

10数年前,WordPressにこのサイトを移してみてよかったとは思うのだけれど。あの体験がなければ,自力で会社のサイトをつくろうなんて思いもしなかっただろう。

 

1/9

昼,ひさしぶりにクリクリコーヒーまで買い物に出る。このところコーヒー豆の値上がりを実感するようなものを飲んでいなかったのだと思う。

学会関係の仕事をすすめながら,20時くらいまで事務所。数日前,生まれてはじめて生きた紙魚を事務所で見たため,ゴキブリ駆除用のキットをいくつか置いた。まさかとは思うものの,紙魚に増殖された日には商いへのダメージは強烈だ。

年明けにYoutubeで坂本龍一の作品を流しながら仕事を始めたところ,ここ数日はシガー・ロスばかりになってしまった。

連載「真夜半へもう一歩」第2回を読み終える。単行本化の際に加筆された米軍との絡みはなくてもよかったのではないかと思う。それが二村永爾シリーズを成り立たせる柱のひとつであったとしても。「キラーに口紅」の加筆で手応えを感じたのか,手の加え方がとても似ている。それがシリーズとして『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』に結実するとはいえ。と,どうしても保留付きで感じるのだ。

三人称

『マイク・ハマーへ伝言』の第2刷を読み返す途中で「真夜半へもう一歩」連載第1回を読み終えた。三人称で一人称のような文体。たぶん矢作俊彦の文章に打ちのめされたのは,こういう表現があるのだという驚きが一因だった気がする。もちろん,それ以外にもいくつもの要因があるのだけれど。

ただ,一人称のような三人称の文体が流行することはほとんどなかった。それがこの数年,二人の作家の小説を読んで,一人称のような三人称だなあと感じた。一人は藤岡陽子で,もう一人は伊与原新だ。

藤岡陽子はみずから一人称のような三人称の文体が好きだとどこかで語っていた。伊与原新がどう考えているのかわからないけれど,この二人の小説を読みながら,一人称のような三人称の小説の面白さというか,一人称にしないことで物語に神の視点とは違った視点が生まれ,読者はそこに吸い込まれていくのかもしれない。

1/6

本式には初出勤。とはいえ,1/2,4,5日と半日くらいは事務所で作業をしていたのだけれど,だいたいが年末に終わっていなかった片づけ中心だった。

銀行で入金を済ませ,結局は片づけの続き。本と請求書を発送し,メールでのやりとり。夕方,同業他社の方から電話があった。20時過ぎに帰宅。夕方から雨が降る。

「ミステリマガジン」連載の「真夜半へもう一歩」を読み返す。繰り返してばかりだけれど,タイトルからして誤植と思しきこの連載は衝撃的だった。後半,無理やりまとめてしまったと数年後の単行本化の際に矢作俊彦は書いているものの,最後だけ加筆すればよかったのに,と思う。1980年代半ばの文体はかなりキレを欠き,前半で加筆修正された箇所が磨かれてたかというと,あまりよくないというのが単行本を読んだときの感想だった。

福田和也が大熊一夫の『ルポ精神病棟』を読んでいないことは不思議ではないけれど,彼のミスリードのせいで,この小説が『ルポ精神病棟』から生まれたという読み方があまりさせていないのが残念で仕方ない。

当時アルバイトをしていた精神病院で,看護婦さん(たぶん准看護婦さんだったと思う)と夜勤のとき,この小説の話になって,私は単行本でいうなら矢作俊彦は『マイク・ハマーへ伝言』が一番で,『真夜中へもう一歩』は連載のほうがよかったと言ったものの,彼女はこの単行本がとても面白かったという。

「波止場でくらげ」や「刑事は七人」(→これは初出からのセリフだった。ただし,連載のときには違和感なく読めた。掲載が「リンゴォ・キッドの休日」が「サマーガール」として「七人の刑事」で放送される1年ほど前のことで,このあたりで放送されることが決まっていたのだったら,それはそれで面白いし,意味が生まれるのだけれども)の響きが冴えないように感じたのだった。単行本化の際に,「不思議の国のアリス」を下敷きにした加筆はそれでも悪くはなかった。ただ,どうにも中途半端な感じがしてならなかった。これも以前書いたけれど,後に角川文庫に収められた際にさらに加筆修正された箇所はとてもよかった。連載に少し戻った(文章を戻したという意味ではなく)ように読めるので,読み返すときは文庫本を引っ張り出していたのだ。というようなことを以前,何度か書いたのはまちがいない。

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