幼稚

年末に高知の友人から届いたプリントスクリーン。33年前の1月3日,キャラバンサライ@高知市のライブに参加したときの記録が大掃除で見つかったのだという。それは私たちのバンドの最初で最後のライブで,主催者である高知の友人が,都内で週末にスタジオに入っていた私たちに声をかけてくれたのだった。

アキバのセコハンショップでKORG T3を手に入れたのは前年のことだ。以来,シーケンサに同期させての曲作り。今も“M1”というと漫才ではなくKORGのオールインワンシンセの記憶が先に出てくるくらい,当時,KORGのキーボードから受けた体験は強烈なものだった。

画像データを眺めながら33年前を振り返ると,作った曲をライブで演奏するたのしさの一方で,スタジオで曲を完成させていくことは別の意味で面白かったのだと思い至る。

T3でシーケンサを走らせながら,上から生音を被せて曲にする。場合によってはデータに手を加えながら,そんなふうにして曲をまとめていく。そのプロセスが面白かったのだ。だから,できた曲を人前で何度も演奏することにはほとんど興味がなかった。30代を折り返すくらいまでの自分の幼稚さ加減に,還暦を過ぎてようやく気づいた。

矢作俊彦に関するサイトの更新があまり進んでいない。ここ数年は”What’s new”をアップデートしているくらいだ。

『ららら科學の子』が刊行された当時,文芸誌に掲載された何本かの対談を読み返していた。久間十義,高橋源一郎,石丸元章との対談あたり。久間十義との対談での発言から,傑に関するページをつくりたくなった。

映画「ザ・ギャンブラー」の主人公が傑であったことからも刺激を受けた。

流れとしてはこんな感じになるのではないだろうか。「レイン・ブロウカー」のJRに傑は登場する。ここでのJを傑,Rを翎として両義的なキャラクターとして想像してみる。デビュー作から登場する翎はこの作品で命を落とす(実際には「言い出しかねて」で死に,その後,『マイク・ハマーへ伝言』に登場するのだけれど)。

Jは「レイン・ブロウカー」発表後,マンガ『ハード・オン』で両性的なキャラクターとして描かれる。『死ぬには手頃な日』に収められたいくつかの短篇のなかに傑のイメージは投影されているかもしれない。

1988年,「歴史読本臨時増刊」に「東京カウボーイ」として書き始められた連作は,「すばる」に続き,単行本『東京カウボーイ』(1992年)としてまとまる(連作のうち,「ジャップ・ザ・リッパー」の初出だけはわからない。小説だから,この作品の最後で傑は生き延びたはずだ)。

同じ1992年,映画「ザ・ギャンブラー」の主役として傑は現れる。

1994年,「犬には普通のこと」に再び登場し,この作品(休載)で,マンガ『サムライ・ノングラータ』と似た時間軸の中に置かれる。『ポルノグラフィア』に登場した(はずの)傑も,パリでの物語だったように記憶している。

1997年,「ららら科學の子」の連載が始まり,傑は東京に戻ってくる。2003年,『ららら科學の子』がまとまり,その勢いで雑誌「enzine」誌上で「引擎 engine」が連載され,2011年単行化された。この作品における凶手が現時点で傑の物語の最新形ではないか,という流れを,そろそろまとめたいのだ。

この間,数回で休載になったマンガ「東京カウボーイ」もあり,何はともあれ,傑の道筋を押さえておきたくなった。

ということを以前,書いたような気がするが。

このところ

金曜日は学生時代の友人たちと大宮で飲み会だった。探偵歴9年を迎える喬史は仕事柄,都合がなかなか合わないので,数年ぶりに会った。大宮で飲むのもほぼ初めてのことだ。喬史の都合を考えて大宮にしたのだけれど,本人は大宮のビジネスホテルに予約をとったそうで,そうならば新宿や池袋でもよかったんだけれど。

ネット検索で見つけた韓国料理店は,ライブハウスに通っていた頃,通った道筋のビルにあった。大宮フリークスというそのライブハウスで,ただただP-MODELを観た。「ゼブラの日」前にあったライブで,店員が二人,「ゼブラって?」「新譜聴いた?」というやりとりをしていたことを覚えている。

19時から2時間制だったものの,なかなか居心地のよい店(といってもカラオケボックスのような個室に隔離されていたため,フロアの様子はわからない)で,料理もうまかった。

徹と昌樹,伸浩の5人であれこれと話す。和之を誘ったのだけれど都合がつかなくなったとのことでキャンセル。その前にLINEで兵庫県知事の件について活発なやりとりがあったことが影響しているのだろう,たぶん。喬史と和之は正反対のスタンスで,どちらも,それはよくデータをチェックしているなあと感心するばかりだった。数日前,和之がグループLINEを退出したようで,喬史は「悪い!」と,和之には届かないところで誤っていた。

21時に店を出ると,通りはコンサート終了後の東京ドームよろしく,並んで進めないくらいに混雑している。何もなくて,ただ飲み会流れでこの人数がたむろする大宮って,わけのわからない町になっていたのだな。

二次会で2時間くらい飲んで散開。

このところ

11月10のみちくさ市への参加前後あたりに書こうと思ったものの,多重課題の日々でなかなかポストが埋まらない。

みちくさ市は前日に並べる本を選び,値付けしながら,持ち運べる量に抑えていくという,このところの段取りに沿ってすすめた。

文庫本の蔵書が非道い量になっているので,減らそうと思って選ぶものの,次の読者の手には渡りそうがない本ばかり目につく。結局,単行本と雑誌をそこその冊数増やした。

当日は曇り空のなか,半年ぶりにカートを引っ張りながら目白駅経由で雑司ヶ谷まで行く。受付を済ませ,本と雑誌を並べ始めるとぽつりぽつりと雨が落ちる。全体を軒のほうに移動させて11時前にはセッティングを終えた。

最初に売れたのは平井呈一の『真夜中の檻』。その後は少し売れては閑散とするを繰り返す。12時過ぎに家内が助っ人にきてくれたので,明治通りの方まで昼食を取りに行く。帰ってくると娘夫婦がやってきた。

16時少し前まで店を張って撤収する。30冊くらい売れ,春よりは金額は低いものの,コロナ前よりはよい感じで本が手離れする。

娘夫婦と池袋まで歩き,喫茶店で休憩して別れる。夕飯用にお弁当を調達して帰宅。

と,このくらいなら翌日にでも書けたものを。

ザ・ギャンブラー

洞口依子映画祭 パート2で矢作俊彦監督作品「ザ・ギャンブラー」が上映されるというのでチケットを予約した。当日は矢作監督も登壇されるというのでたのしみだ。

とはいえ,月曜日の下版が朝2時までかかってしまう。22日に出張校正が終わってからは手持ちの仕事があまりすすまない。

24日の木曜日は単行本の作業に区切りをつけて17時くらいに家を出た。渋谷に着いてから地下を通って文化村通りに出る。ところが東急本店がないものだから,ただでさえ斜め上下に交差する通りばかりの円山町で,すっかりユーロスペースを見失う。コロナ前,LOFT9で古本市をやったのと同じ場所にもかかわらず,オン・エアが左右に見えるあたりをいつの間にか超えてしまった。どうにもこれは違うなと思い,来た道を戻ると,すっかりユーロスペースの前を通りすぎていたことに気づく。

軽く夕飯をとってからユーロスペースに向かった。1階のカフェで洞口さんと矢作さん,他数人が話している様子を眺め,エレベーターに乗る。

「ザ・ギャンブラー」はレンタルビデオが出たときに観て,その後,セコハンのビデオを買ってから観た。シネスコサイズのスクリーンを日活は埋められないようになったと矢作俊彦はどこかで書いていた気がするが,ビデオで観たときの感想は,間隙の多さだった。人の溢集を描くには,予算があまりに少なかったのだなあと上映後の座談で知ったけれど,人いきれが感じられたのは,カードゲームの後半,徹夜明けの場面,人が少なくなってからだった。

主人公は傑という名で,演じた俳優はどこか,あぶらだこのヒロトモに似ている。ドラッグで捕まり,その後の道を閉ざしてしまったように記憶しているが,活舌が手慣れてくれば,おもしろい俳優になったのではないかと思った。洞口依子映画祭とはいえ,誰も主人公について一言も触れないというのは不思議な気がした。

島田一男の『珊瑚礁殺人事件』のネタバレをしたからと言って,誰も困ることはもはやあるまい。1985年に書かれたこの小説の背景にあるのは1997年の香港返還だ。マリアナ諸島のロタ島に香港をそっくりもってこようと画策する一派が,島の土地を買い占めようとする計画の中で殺人事件がいくつか発生する。

犯人のひとりが時速85マイルでグアムの米国空軍基地ゲートのインターセプトのバーをぶっ飛ばして突っ込み,T字路で前半分,アコーディオンのように縮んだ状態で発見される。小説では,ここがラスト前に当たるのだけれど,この後から始まる小説を矢作俊彦が書けばよいのになあと,読みながらずっと思っていた。

島田一男の小説だから,登場人物の造形や動機などは側物的なもので,いかようにも仕立てられる。そんなことを思いながら,昔の「Title」を捲っていたところ,しばしばキューバに通っていた頃の矢作俊彦のエッセイが掲載されていた。というか,エッセイが掲載されているから,今も書棚に収まっているのだが。

ロタ島ではなくキューバではどうだろう。1980年代半ば,香港返還を前にキューバに香港をもってこようとする一派。共産キューバに移るのはおかしなことではあるものの,グアムあたりの島よりも面白くなりそうな気がする。

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