連休

日曜日。高田馬場の100均で棚のパーツとブックエンドを買い,事務所まで。本を整理。14時過ぎに家に戻る。家内と国分寺まで行く。この連休,誕生日プレゼントを探しに吉祥寺に二度出かけたものの,めぼしいものが見つからない。西武線経由で,16時過ぎに国分寺に着く。北口カフェがいつの間にか閉店になっている。でんえんは開いていたものの,軽く昼食をとりたかったのでパス。胡桃堂喫茶店に入る。が,食事提供の時間は終わっており,夜のメニューがスタートする17時まで30分以上ある。おまけに飲み物もスイーツも値段が高い。以前,入ったときにも鼻につく感じがしたが,今日はタイミングも最悪。私はスイーツのみ,家内は珈琲をつけて頼む。パッと食べて出てしまった。

丸井まで戻り,18時に家内と待ち合わせる。紀伊國屋書店を覘いた後,エスカレータで降りていく。南口のまどそら堂を覘く。こんな品揃えの店はいいなと思う。お客としては手に取る本,手に取る本,高めの値付けで,なかなか手が出ない。何も買わずに出る。

丸井に行き,時間まで「ビッグ・スヌーズ」を読む。家内は品物を決めたようで,購入。化粧室前で待っていると,携帯に電話。かなりやっかいなことになりそう。胃のあたりが鈍く痛む。地下に降り,夕飯を調達。来たときと同じく西武線で帰宅する。

夕飯をとり,テレビを観る。オリンピック中継を選択肢からはずすと,いつも以上につまらない番組しか残らない。テレビ観なければいいものを。

連休

水曜日の会社帰り,家内と東中野のセコハンショップで家内と待ち合わせる。高さ2メートル弱,幅90センチの白塗りで書棚になりそうなものが入り口に置いてある。店の主人に尋ねるとまだ展示していないから2,900円でよいという。配送料1,400円。上がり框の前に置いた書棚をこれに変えてはどうだろう。中を見ていくと,窓際に置けそうなパイン材の棚が6,000円程度であった。これも使えそうだ。家内がやってきて,この2本を購入。明日届けてもらうことにする。

線路ぎわの珈琲店で休憩。大江戸線で中井まで。夕飯をとり,iMacの更新。無事終わる。

木曜日は昼に棚が届くので,まず本を持って事務所に行く。書棚を移動し,本を整理。12時半に昨日の店主がやってきた。書棚代わりにする白い棚を上がり框前に置く。イメージしていたよりも幅があり,いきおい入り口を狭く感じる。その後,文庫本を整理。結局,作者名順にまとめていくことにした。昼食は近くでカレー。量が多い。家に戻り少し眠る。18時前に家内と吉祥寺で待ち合わせ。家内がセールをチェックし,古本のんきで文庫1冊購入。向かいの蕎麦屋で夕飯。よみたやで文庫1冊購入し,東中野まで。ブックオフで本を買って帰る。

金曜日は昼から事務所で本の整理。その前に,棚を部屋のなかに移す。左奥にあつらえたようにぴたりと嵌る。15時過ぎに帰宅。家内と昼食をとり,また事務所まで。19時近くまで本を整理し,ようやく本の全貌がみえてきた。とはいえ,まだ文庫のみ。それももう数山,文庫本は家にある。帰宅後,家内と夕飯をとり,テレビをみる。五輪開幕。なんだか冴えない開会式。いや,ちょっと見ただけなので,全体どうだったのかわからない。「視聴率がよいから,批判のための批判だ」などという言説には辟易とする。身近なところでも,ときどき目にするのだ。

土曜日は高田馬場の100均でブックエンドを購入して事務所まで。本を整理し,その後,家内と待ち合わせ,東中野の珈琲店で昼食。ふたたび吉祥寺まで。コピスを家内がみている間にブックオフまで。川嶋先生と徳永先生の単行本を均一店からピックアップ。少し休憩し,キラリナを家内が見ている間に100均でブックエンドをチェックしたが,明日買うことにした。お弁当を買って帰宅。夕飯をとっていると眠くなってしまった。

棚が2本入って,少し事務所っぽくなってきた。パソコンまわりを整理し,ファクシミリと電話を入れれば,古書店と事務所の2つとして使えそうな手応え。5月に契約して3か月。まあ,のんびりとしたペースで,一時が万事,これくらいの速さだなと思う。

7/20

暑い。単行本の入稿準備と,営業の諸々。19時過ぎに退社。

今日から通勤用に連載「ビッグ・スヌーズ」の第1回から第7回くらいまでを鞄に入れている。何度目になるのかわからないが,第1回を読み返す。前に読み返したときにも書いた気がするが,「チャイナマンズ・チャンス」の第1回を何度も読み,「ルッキン・フォー・ビューティ」の第1回,第2回あたりも何度か読んだ。にもかかわらず「ビッグ・スヌーズ」第1回を読み,とてもおもしろい。読みながら,暗記していないなあと思えてくる。そんなふうにとらえたことはないし,これも以前,書きとめたことかもしれないが,矢作俊彦の小説はコストパフォーマンスがよい。

帰宅後,家内と夕飯をとり,コーヒーと桃でテレビを眺める。月末に家内が出かけるコンサートのチケット,ダウンロードのしかたがわからないと。メールをみると,同じサイトであっても,ローソン,イープラス,チケットぴあ,などプラットフォームごとにアカウントがつくられている様子。それぞれでパスワードが異なる。そのサイトプロパーのアカウント設定もあるようで,一度ログアウトしてから,購入したプラットフォームに合わせてログインをしなければならないのだ。ただただ頭の悪いつくり。わが国では,この手のばかなしくみが,ただただ増殖しているのではないだろうか。

Olympic

とタイトルをつけて,初めて入ったオリンピックは高円寺店で,と出だしを打つ程度のずらし方は手癖のようなものだ。矢作俊彦のように「手癖で文章を書くようになったらおしまいだ」とは言えないし,まあ,すき好んで更新しているのだ。にもかかわらず,この数日,この程度のずらし方が気になってしまう。

初期のSNSにページをつくり,学生時代のことを思い出しながら書き留めるようになってしばらく,自転車泥棒未遂をした友人二人について投稿したときのこと。今もかわらず,オープンアクセスが意味をなさないクローズドのようなサイトになってしまうなかに,めずらしく見知らぬ他人からレスがついた。いわく,自分は大事にしていた自転車を盗まれて悲しい思いをした,というものだったはず。2003年の春,私がそのレスにどう答えたか覚えていない。

数年前,踊ってばかりの国が”Boy”のPVをつくったときのこと。もともと賛否,いやどちらかというと否のほうが多かったこのPVのなかに,お店で万引きをする場面があった(記憶ではそうなっているけれど,実際どうだったか確認していない)。Youtubeだったか,某巨大掲示板だったかのレスに,万引きされた店がどれくらいの被害になるかわかっているのか,というものがあった。

広義のマスコミュニケーションをとおしての「出会い」が困難を抱えていることを思う。いくつかの偶然がその出会いを困難と結びつけるのだろう。矢作俊彦が原作を書き,谷口ジローが描いた「オフィシャル・スパイ・ハンドブック」の一篇は,中国残留孤児とスパイ活動を絡めて作品を仕立て,新聞沙汰になってしまった。司城志朗との共著(溝呂木省吾とペンネームをあつらえて発表した)『半島回収』では,北朝鮮から帰国した(という設定)人が洗脳を受けており,あるキーワードを耳にすると(たぶん,そのようなトリガーだったはずだ)日本国内で破壊工作を行なうという設定だった。私の知るかぎり,この小説が世間に何か波風をたてることはなかった。

あるタイミングが重なると,言葉で物語られた内容よりも,個人の負の体験がまさり,その結果,反応がメディアを通して増幅する。

ここ数日,ネットで数多くの言葉を飛び交わさせた小山田圭吾の言葉と記録はこれとはまったく次元の違う話だ。それについてこの先,書いてみたものの,結局,Deleteしてしまった。

週末

梅雨が明けたらしい。土曜日は昼過ぎに中井の事務所まで。本を整理。14時半くらいに久米君が来訪。16時半まで仕事の話をいろいろと。17時くらいに家内がやってきた。新井薬師前駅で降り,たこ焼きを食べた後,中野方面へ。中野ブロードウェイの一本手前を入った通りにできたLOU珈琲店に入る。ちょうど席が空いたので,座ってしばらく。買い物をして,中野ブロードウェイの4階に行き,文庫本を買う。あいロードにできた小洒落たリカーショップで夕飯を調達して帰宅。ワクチンの影響からか,昨夜,少し熱っぽかったので,予定通りになるか心配だったものの,その後は少しだるいくらいで日常生活に支障はない。

とはいえ日曜日は少しだるい。一度起きて朝食をとり,昼過ぎに1時間ほど眠る。15時くらいに家を出る。高田馬場で昼食をとり,事務所まで。18時過ぎまで仕事をして,大塚まで歩く。ブックオフで文庫3冊購入。池袋で降り,夕飯用にお弁当を買って帰る。家内と夕飯をとる。STORESに数冊登録。

自分で書いたTLを拾いながら,少し補足。

死語かもしれないが,サブカルは「過激」に集(たか)ったのだな。オーケンの1982年の日記,有頂天のライブでの「過激な割に盛り下がっていた」に漂う感じ。ここには単行本で読んだときから,居心地の悪さを感じた。それは当時の「過激」に集るさまが愚直に示されていたからだと思う。サブカルが集ったあたりはこの手の「過激」だった気がする。「過激」に集ったあたりでは、過激を通過儀礼、刻印されないタトゥーのようにとらえていなかっただろうか。にもかかわらず喜・悲劇なのは,社会的にはまったくそれが通過儀礼だというコンセンサスがなかったことだ。

いじめについては自分が把握する範囲で,場の整合性がとれることにだけに腐心していた気がする。同時代に,私の隣でそのようなことが起きていたかもしれないことについて,否定はできない。一方で,だから,弱い者いじめの出自についてはいまだ理解できない。映画「軽蔑(邦画の方)」の浜辺のシーン,特撮の「パティーサワディー」のPVがトラウマのように記憶から失せないのは,たぶん,いじめがある場の,あれがなれの果てだという認識がどこかにあるからだろう。

当時の「過激」に集った諸々ついて,数年後,オーケンは「モーレツ ア太郎」の歌詞でケリをつけているように思える。

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