Olympic

とタイトルをつけて,初めて入ったオリンピックは高円寺店で,と出だしを打つ程度のずらし方は手癖のようなものだ。矢作俊彦のように「手癖で文章を書くようになったらおしまいだ」とは言えないし,まあ,すき好んで更新しているのだ。にもかかわらず,この数日,この程度のずらし方が気になってしまう。

初期のSNSにページをつくり,学生時代のことを思い出しながら書き留めるようになってしばらく,自転車泥棒未遂をした友人二人について投稿したときのこと。今もかわらず,オープンアクセスが意味をなさないクローズドのようなサイトになってしまうなかに,めずらしく見知らぬ他人からレスがついた。いわく,自分は大事にしていた自転車を盗まれて悲しい思いをした,というものだったはず。2003年の春,私がそのレスにどう答えたか覚えていない。

数年前,踊ってばかりの国が”Boy”のPVをつくったときのこと。もともと賛否,いやどちらかというと否のほうが多かったこのPVのなかに,お店で万引きをする場面があった(記憶ではそうなっているけれど,実際どうだったか確認していない)。Youtubeだったか,某巨大掲示板だったかのレスに,万引きされた店がどれくらいの被害になるかわかっているのか,というものがあった。

広義のマスコミュニケーションをとおしての「出会い」が困難を抱えていることを思う。いくつかの偶然がその出会いを困難と結びつけるのだろう。矢作俊彦が原作を書き,谷口ジローが描いた「オフィシャル・スパイ・ハンドブック」の一篇は,中国残留孤児とスパイ活動を絡めて作品を仕立て,新聞沙汰になってしまった。司城志朗との共著(溝呂木省吾とペンネームをあつらえて発表した)『半島回収』では,北朝鮮から帰国した(という設定)人が洗脳を受けており,あるキーワードを耳にすると(たぶん,そのようなトリガーだったはずだ)日本国内で破壊工作を行なうという設定だった。私の知るかぎり,この小説が世間に何か波風をたてることはなかった。

あるタイミングが重なると,言葉で物語られた内容よりも,個人の負の体験がまさり,その結果,反応がメディアを通して増幅する。

ここ数日,ネットで数多くの言葉を飛び交わさせた小山田圭吾の言葉と記録はこれとはまったく次元の違う話だ。それについてこの先,書いてみたものの,結局,Deleteしてしまった。

週末

梅雨が明けたらしい。土曜日は昼過ぎに中井の事務所まで。本を整理。14時半くらいに久米君が来訪。16時半まで仕事の話をいろいろと。17時くらいに家内がやってきた。新井薬師前駅で降り,たこ焼きを食べた後,中野方面へ。中野ブロードウェイの一本手前を入った通りにできたLOU珈琲店に入る。ちょうど席が空いたので,座ってしばらく。買い物をして,中野ブロードウェイの4階に行き,文庫本を買う。あいロードにできた小洒落たリカーショップで夕飯を調達して帰宅。ワクチンの影響からか,昨夜,少し熱っぽかったので,予定通りになるか心配だったものの,その後は少しだるいくらいで日常生活に支障はない。

とはいえ日曜日は少しだるい。一度起きて朝食をとり,昼過ぎに1時間ほど眠る。15時くらいに家を出る。高田馬場で昼食をとり,事務所まで。18時過ぎまで仕事をして,大塚まで歩く。ブックオフで文庫3冊購入。池袋で降り,夕飯用にお弁当を買って帰る。家内と夕飯をとる。STORESに数冊登録。

自分で書いたTLを拾いながら,少し補足。

死語かもしれないが,サブカルは「過激」に集(たか)ったのだな。オーケンの1982年の日記,有頂天のライブでの「過激な割に盛り下がっていた」に漂う感じ。ここには単行本で読んだときから,居心地の悪さを感じた。それは当時の「過激」に集るさまが愚直に示されていたからだと思う。サブカルが集ったあたりはこの手の「過激」だった気がする。「過激」に集ったあたりでは、過激を通過儀礼、刻印されないタトゥーのようにとらえていなかっただろうか。にもかかわらず喜・悲劇なのは,社会的にはまったくそれが通過儀礼だというコンセンサスがなかったことだ。

いじめについては自分が把握する範囲で,場の整合性がとれることにだけに腐心していた気がする。同時代に,私の隣でそのようなことが起きていたかもしれないことについて,否定はできない。一方で,だから,弱い者いじめの出自についてはいまだ理解できない。映画「軽蔑(邦画の方)」の浜辺のシーン,特撮の「パティーサワディー」のPVがトラウマのように記憶から失せないのは,たぶん,いじめがある場の,あれがなれの果てだという認識がどこかにあるからだろう。

当時の「過激」に集った諸々ついて,数年後,オーケンは「モーレツ ア太郎」の歌詞でケリをつけているように思える。

Vaccine

前日にLINEで喬史や裕一,昌己などとCOVID-19ワクチンの話。高齢者になると副反応が軽くて済むらしいなどというやりとりで,私は高齢者フラグ立ってもいいので軽いほうがよい,と。仕事で行き来している人は週末に接種すると副反応が重く,明日,仕事だという状況では軽い,など,都市伝説のような体験を紹介される。

で,15時過ぎからワクチン接種。SNSで混乱が話題になった以前のインフルエンザワクチン接種に比べると,粛々とすすむ。15時半には終わり,15分ほど休憩をとった後,接種フロアを出る。出る際に「体調だいじょうぶですか」と尋ねてきた男性看護師の深刻そうな声の調子にびっくりした。

早めに19時過ぎで仕事を終える。新井薬師前駅に寄り,文林堂書店を覘こうかと思ったところ休みだった。中井まで戻り,事務所で本を確認。昨日,STORESで丸尾末広の単行本,今日は眉村卓の文庫本が売れた。探していた文庫本は見当たらず,まだ事務所にもってきていないらしい。帰宅し,夕飯をとり,発送の準備など。

ワクチン接種後の副反応はいまのところ,接種箇所の軽い痛み以外はない。「副作用」ではなく「副反応」。今回で一気に一般化したな,「副反応」。高齢者フラグでもなんでも,軽いにこしたことはない。

五輪絡みで,小山田圭吾の過去のインタビュー記事がSNSで話題に。五輪に絡め取られると,厄介なことになるのは目に見えているのだから受けなければいいのに,と思う。これは90年代の問題というよりも,80年代から続いている問題もしくは抱えこんでいるなにものか,だろう。

人種や障害者に対する差別・偏見について,黒人サポートミュージシャンを入れてという視点からそれを「搾取だ」と批判をした渋谷陽一が持っていた人種のリズム感の差に対するある種の断定,巻上公一が映画「フリークス」の観方(とでもいうのだろうか)を発見したことを指して,いわゆる文化映画寄りの立場を確保したと評されたあたり,ひろげて考えれば,P-MODELはレゲエを取り入れないとしながら,そのかわりともいえるジャングルベッド2のタムアレンジ。大槻ケンジが昔の日記を収載したなかにあった,有頂天のケラがライブで「天皇云々」と叫んだのを何と表現していたのか忘れてしまったが,言っちゃいけないこと/やってはいけないこと,を超える表現を受け手がある種,礼賛していたかのような状況。矢作俊彦なら共同正犯とでも呼ぶ,場にいる者が負う責任の希薄さまで含めると整理して考えるのにどれほどの労力が必要だろう。それは,ただし行なうべきことなのだろうと思う。書いていくうちに,どんどんズレていってしまうけれど,見るなの禁止を見たものの責任が果たされないようなもやもやとした感じを受ける。

また,以前のように固有名詞を使えなくなった状況は,今回のSNSでの騒動(といってしまうと)でも感じた。小山田圭吾という固有名詞に,1980年代後半からの活動のなかで共有されるべき事柄が包含されているのではないということだ。誰もが加山雄三のように「知らなかった」で済ましているから,以前のように固有名詞を使うことがたぶんできなくなったのだ。

7/14

けがで自宅療養中の社長。わかる範囲ですべきことをすすめているものの,金庫の開け方ひとつとってみても初めてのことなので勝手が悪い。19時過ぎまででひとまず終える。高田馬場でブックオフに寄り,文庫本3冊に単行本1冊購入して帰宅。明日はワクチン接種。那智君でさえ,前日はアルコールを控えたと聞いたので,ノンアルコールビールで夕飯。0時前に眠る。

徹は渋谷のTSUTAYAでVHSまで,ブルーレイどころかDVDにもならなかったビデオを借りまくってくるらしい。そのためにVHSからDVDにダビングできるデッキをわざわざオークションで手に入れたのだそうだ。

ネットニュースで渋谷のTSUTAYAにVHSが集結している記事が載っていたので徹に送った。早速,返事があり,「10本借りて3本は再生できない」らしい。再生できないVHSはその旨伝えると無料券がもらえるらしいが,なかなかの確率だ。

以前,グローイングアップシリーズのヒットに,二匹目のどじょうを狙ったくだらない映画を借りてみたことをFBにアップしていた。徹のFBが数人しかアクセスできない様子で,ほんと,記録として使っているのだろう。こちらはフィギュアのデータをアップしている徹のサイト。独特の文体と特徴的な写真のカットが堪能できる。

天伯

事務所に天伯すいかが届く。人の頭を超える大きさ。パートの方と半分ずつ持ち帰ることにした。18時過ぎに会社を出た。半個とはいっても重い。届いた箱を抱えて地下鉄,電車を乗り継ぐ。中井の事務所にカートを置きっぱなしにしていたので,立ち寄って,カートに載せて帰宅。19時過ぎから晩酌しながらデータの整理。家内が帰宅し,夕飯をとり,データ作業の続き。

社長がけがをして不在に。15日はワクチン接種,土曜日には久米君が中井の事務所に来る。その間,著者校正の受け渡しに,通常号の入稿。五輪連休(本当に開催されるのだろうか)前,ほんとに慌ただしい。

諸般の事情で中途のままの件について,現状を見据えて,今後の方針が固まりそうだ。流通については可能な範囲で調整するしかあるまい。といっても,想定外のことが起こるのは常。法律を調べるのが面倒なので,近くで頼りになる弁護士をみつけなければ。

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