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STORESに入った注文の本は新事務所に移動していた。朝,少し早めに出て,本をピックアップして出社。昼休みに梱包して発送する。5月はこの1年でもっとも本が動いた。

20時くらいまで仕事。帰宅後,夕飯をとる。家内が踊ってばかりの国の新譜を買ってきてくれたので早速聴いてみる。よい意味でこれまでとは感じが違う。歌詞はディストピアを歌いながら平沢の3部作を遥か超えたかのように伝わる。比較するものではあるまいが。くるりが「本当/ほんとう」と歌ってからおよそ20年。「嘘」は「本当」の対極にあるのだろう。

北山修が,「ほんもの」と「にせもの」の間に「にほんせいのもの」があると書いた1980年代。「ほんもの」が「本当」で,「にせもの」が「嘘」かどうか何とも言えない。ただ,「ほんもの」と「にせもの」を一緒にまとめてみていく癖だけはついてしまった。それは「シェイクスピアのように」と言ってしまってよいのだろう。

岸政彦の社会構成主義に対する辛辣な指摘は,くるりや踊ってばかりの国の歌詞に登場する「本当」「嘘」のように感じられ,どこかに世代感が伴っているように思う。遥かに世代としては岸に近い私がそう感じるのだから,しかたない。

平沢進が指摘する距離感のほうに,もっとシンパシーを感じてきた私が,踊ってばかりの国の新譜で繰り返される「嘘」を抵抗なく,というよりもシンパシーを覚えたのは,バンドのもつ確信が揺らいでいないからだと思う。平沢のディストピア3部作は,もしかすると「あんたが悪い」にレイドバックしてしまった面があったのではないか。

別に,社会構成主義自体に肩をもつつもりはまったくない。ただ,その寄って立つ前提はいまだ更新され得ないように思うのだ。いや,ね。踊ってばかりの国のように,スピノザの神があるなら,それは後生大事に抱えるものではないのだろう。

5/31

朝,ローソンでアイスコーヒーを買って出社する時期。セブンイレブンとは異なり,ローソンのアイスコーヒーは店の人がカップに氷を入れ,サーバーから注ぐ仕様だ。人によってこの氷の入れ具合が違う。通勤の流れで立ち寄るローソンの朝番の人は,氷の量がかなり的確だ。渡されたカップをサーバーにセットして待つと,ふちギリギリくらいでちょうどおさまる。だいたいの人は氷の量が足りず,ふちからそこそこ下のあたりで留まる。コーヒーがこぼれ出してしまうのは論外とはいえ,ふちにたどりつかないのも情けない。サイズMで注文したにもかかわらず,ふちまで余裕があると,Sを押してしまったのではないかと錯覚する,いやしないけれど。

これは巧みなバァテンダーに通じるところがあるように思う。マティニをグラスにきれいなところまで注ぐバァテンダーの技だ。手元の技を目にする機会が減るなか,コンビニにはときどきすごい技をもつ人が立っている。

19時過ぎまで仕事をして退社。帰りにブックオフに寄り,文庫数冊と単行本を購入。島田一男の『黒い津軽海峡』後半を読み進めている。途中から犯人側の視点で描かれる章が挟まれ,倒叙法までとはいかないまでも,島田一男にしてはめずらしい構成の作品。お色気シーンの後に,「おれは何をやっていたんだ!」と後悔する海堂に「そのとおり」と突っ込みながら読むには手頃な内容。主人公の判断がほとんど役に立たないあたり,早すぎた「24」という按配にも読める。

赤い公園

とりあえず一区切り。

くるり,キュウソネコカミと一緒のライブで初めて赤い公園を観て,その後,HAPPYの対バンだった踊ってばかりの国を観たあたりまで,この10年くらい,くるりをメルクマールにバンドのライブを観てきた。くるりは同期とクリックなしを行き来し,同期なしの演奏は主にアウトロで延々とあおる感じだろうか。踊ってばかりの国は曲の長さがどれくらいになるか始まってみなければわからない。同じ時期に通った3つのバンドのライブのなか,赤い公園は同期をはずし,無茶苦茶すればよいのにと何度も感じた。「ふやける」でさえ,ある種の型からはみ出ない行儀のよい印象だった。一時期のアコースティックセッティングにはバンドの可能性が透けてみえたように思う。

ゲストが退場し,メンバー3人で演奏された曲のなか,たとえば「YO-HO」での藤本のシンセベースは,フォーマットを変えざるを得なかったバンドに見えがちなぎこちなさを微塵も感じなかった。

後半に入り,ソロ回し(これまでの赤い公園のライブで行なわれていた記憶がない。あったのかもしれないが)に驚き,石野のボーカリストとしてのステージングはますます冴える。

MCについては詳細に起こされた記事がWeb上にいくつもある。ひつと感じたのは,このバンドは喪失とともに歩んできたということだった。「黄色い花」は(たぶん)喪失に向けたエールであろうし,いや,その前やその後の喪失さえもバンドの楽曲として取り込んできた。最後の喪失については語ることがない。ローレン・バコールの自伝を引っ張り出せば,引用できる箇所くらいは見つけられるだろうが。

本編ラストは「オレンジ」。で,その後のアンコールの拍手がすさまじかった。これまで何度か観た赤い公園のライブはもとより,くるりや踊ってばかりの国,P-MODELやキング・クリムゾンなどのライブで感じたことのない音圧。そのうえ,リズムが崩れない。

アンコールを3曲演奏して赤い公園のラストライブが終了した。

赤い公園

2曲目以降は最新盤から続く。小出のギターフレーズは津野を踏襲しながら,ところどころオリジナルを絡める。喪失によるオリジナリティと可能性。今回のライブを通して,このオリジナリティと可能性が何度も首をもたげる。オリジナリティとはもちろん津野の作曲・演奏であり,可能性とは曲が秘めていた許容範囲とでいえばいいのだろうか。「ショートホープ」の最後前,フリーキーに楽器が絡むところや「交信」のキーボード,「夜の公園」の初っ端のギターなど(オリジナルを聴くとハウンドドッグを思い出してしまう)が,今回のライブではうまく変化をつけて弾かれていた。

「Canvas」でtricotのキダが加わる。音が鳴った途端,なにがしかの感興が引っ張り出されじわっとしてしまう。「熱唱祭り」のときでさえ,せいぜい1,2回あったようなおさまりのつかない感情が,この後,何度も起きてくる。ツインギターで鳴るラストのリフが無茶苦茶恰好よい。

この日のメインは,ここから演奏された数曲だった気がする。「絶対的な関係」「絶対零度」「ショートホープ」「風が知ってる」「透明」「交信」。同期をはずした赤い公園の着地点が見事に描かれる。繰り返しになるけれど,「ショートホープ」のラスト前は,こういう音をバンドがイメージしていたのだろうという強さを感じた。残念なのは,それはもしかすると喪失による可能性であったかもしれないということだ。

前半,石野のボーカルはやや突っ込み気味に入ってくる。そのまま崩れず,場合によってはボーカルにサッと合わせるバンドとサポートミュージシャンの一体感。この切迫感が赤い公園に加われば無敵だ。

藤本の体調がバンドの解散になにか影響したのだろうかと思いながら会場に入ったけれど,それは杞憂だった。縦横無尽にステージを行き来し,キダとアイコンタクトを交わしながらベースをかき鳴らす姿は,これもまた可能性であったかもしれない。よろこばしさの質はさておき。(つづきます)

赤い公園

1988年12月28日。昭和の終わりまで残りわずか。渋谷クアトロでP-MODELの凍結ライブを観た。気に入ったバンドの最後の姿を観ることになったのはこのときが初めてだ。喪失感とそれにともなうなにがしかの感情が起きたかどうかまったく覚えていない。次の体験がやってくることはなかった。バンドの最後の姿を目の前に,だからいつもとは違う感情が起きるかどうか,半世紀以上過ごしてきても慣れることはない。慣れるような質のものではないのだろうけれど。

P-MODELの次に観た,バンドの解散ライブが赤い公園ということになる。

幸い,チケットを確保できたため,家内と中野サンプラザに出かけた。13列の24(たぶん)は,ステージからみて最初の通路の前,左右ほぼ中央だ。配信があり,後日円盤にもなるだろう。カメラに映り込みそうな席だったので,後ろの人と変わってもらおうかと思っていた。平沢進と斉藤環の対談の際は,同じようにほぼ中央,平沢の真ん前でそれも一列目だったので,後ろの人に席を譲った。

新型コロナ下,観客がみなマスクを着けていることがすっかり頭から抜け落ちていた。席に着くと,立ちあがったら,ボーカルの真正面という位置だ。それにもかかわらず,後ろの人と席を交換しなかったのはマスクを着けているから大したことはないだろうと思ったからだった。

客電が消える前,「くじら12号」「ブレーメン」「バブーシュカ」などなど次々と流れる曲。そのバトンを受けるかのように暗転し開演だ。

舞台はシンプルな骨組みだけの4本の立方体。さまざまなライトが当たり,装置が変わったのではないかと思うくらいに変化する。80年代のこじつけに擬えると,これこそ赤い公園じゃないかというところだ。

オープニングは「ランドリー」。サポートギターの小出は津野のギターを抱えて,若干大き目の音でかき鳴らす。そのことよりも,とにかくこの日のライブは音がよかった。ドラムもベースもすばらしい鳴り方だった。ここ数年,フェスのテントステージやライブハウスで赤い公園の音を聴いたけれど,今日の音のよさはダントツだ。

舞台装置に音響。バンドが音を鳴らすうえで,観客としては脇に置いてしまいがちな要素があらためて大事なことをしょっぱなから感じた。それらを完備するために必要な予算やライブの収支。ここ数年,赤い公園の活動に対し,どうしても感じてしまったちぐはぐな感じを,最後の最後の払拭してくれたことと,にもかかわらず,この間,万全の体制でバンドを進めることができなかったのだなと思い至る。某巨大掲示板で,そういった視点からだけでバンドを切る言説にまったく頷首することはなかったし,いまも何の感興も湧かない。ただ,最初からこれくらいのステージを用意するチャレンジをしてほしかったと,バンド以外のあれこれに思うのだ。(続きます)

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