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夜からの読書会を控え,『キャッチ=22』の,いまだ上巻を読み終えていない。決してつまらないからではないのがつらい。1章1章が短篇として完結しているかようなアイディアと完成度。隙がないというか,これほどアイディアを詰め込まなくてもいいのではないかというくらいの過剰さだからスピードが上がらない。

はじめは読み飛ばすのが惜しいので,じっくり読んでいたものの,もはや間に合わないことは明らかだ。起きてから本を捲り,家内,娘と昼食をとるために近くの喫茶店に出たときにも読み続ける。何とか上巻を読み終え,下巻に入ったのは16時近く。下巻の厚さがずっしりと左手に伝わってくる。

会場へ向かう電車の車中はもちろん,最寄りの駅まで着き会場に向かう前,つまりは本郷三丁目で,名曲喫茶「麦」に入り,とにかくページを捲った。出かける前には小林信彦の『小説世界のロビンソン』を取り出して,『キャッチ=22』について触れてある箇所をチェックもした。とにかく読書会で語るネタを寄せ集めたのだ。

ページを捲りながら,私は本を見ているという感覚しかしなくなってきた。つまらない小説ならば,それでかまいはしない。繰り返そう。でも,面白いからつらい。そんなこんなで何とか読書会に間に合わせた。

以下は,SNSに引用した箇所から。

『キャッチ=22』は第二次世界大戦末期,イタリア戦線に所属するヨッサリアン大尉をめぐる不条理な物語。ダニーカ軍医は“狂った者がいたら飛行勤務を解く”という規則を説明する。

「オアは気が狂っているか」
「ああもちろんだとも」とダニーカ軍医は言った。
「あんたは彼の飛行勤務を免除できるか」
「できるとも。しかし,まず本人がおれに願い出なければならない。それも規則のうちなんだ」
「じゃ,なぜあいつはあんたに願い出ないんだ」
「それは,あの男が狂っているからさ」とダニーカ軍医は答えた。

キャッチ=22とは,

それは現実的にしてかつ目前の危険を知った上で自己の安全をはかるのは合理的な精神の働きである,と規定していた。オアは気が狂っており,したがって彼の飛行勤務を免除することができる。彼は免除届を出しさえすればよかったのだ。ところが願い出たとたんに,彼はもはや狂人ではなくなるから,またまた出撃に参加しなければならない。オアがもしまた出撃に参加するようなら狂っているし,参加したがらないようなら正気だろうが,もし正気だとすればどうしても出撃に参加しなくてはならない。ところが,出撃に参加したくないというなら,それは正気である証拠だから出撃に参加しなくてはならない。

『キャッチ=22』の解説は松田青子で,『スタッキング可能』は『キャッチ=22』を念頭においているはずだけれど,思い出したのは毎度の矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』冒頭に登場する「イーゴリー法」だ。

(イーゴリー法の)第一条は高らかにこううたっている。
「民族的または民俗的または身体的または性的または性的実践上の,社会的または社会的実践上の,または社会的出自上の,とどのつまりは受苦する存在としてのありとあらゆる少数者へのおおよそすべての差別の撤廃」と。施行されてから早三年,まさかイーゴリー上院議員も,共産主義者やKKKの団員,はてはネオナチ党のテロリストまでが,当の法律違反で地域の民生委員を訴える日が来るなどとは夢々思わなかったろう。提訴の理由は,もちろん,
「社会的実践上の少数者への差別的迫害」
「全く! 永遠のとっちゃん坊やだよ,この国は」と,彼女は言い,また天に唾する真似をした。
「そして,困ったことに,それがこの国の活力でもあるのよ」
「そうなんですか」
「大恐慌の直後にニューディールだなんて,他の誰が考える? いいえ,考えたとしても実行しやしないわ。小僧のイマジネーションと実行力! ヨーロッパに対しても,かつてのソ連に対しても,まさにそれこそがアドバンテージだったのよ」
「禁煙法が,我が国の競争力になるって言うんですか」
「そんなこと,やってみなけりゃ判らないでしょう。何事も,やってみないことにははじまらないじゃないの」

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