S60

徹が武蔵小金井に引っ越したとき,何か手伝いをした記憶はない。ただ,昌己と伸浩,和之で早々に新しいアパートに出かけたときのことを覚えている。

その日,私はなぜかラインベルト・デ・レーウらのカルテットによるCD,メシアン「世の終わりのための四重奏」を持って行った。徹の部屋のロフトで聴く四重奏は妙に似合っていた。相変わらず,部屋には腰より高い家具を何も置いていなかった。

徹がQY10を手に入れたのはその頃のことだったと思う。新井薬師のスタジオにもQY10が登場した。ただし,同期をとるには中途半端で,数回,QY10とセッションのようなことをした後,展望――つまり面白さが薄れてしまった。徹に彼女ができて,スタジオに顔を見せなくなるのは,ほとんど同じ時期だ。いまだにQY10の字面を見ると徹が彼女を連れてきたときを思い出す。そのことは10年以上前,どこかに書いたはずだ。

その少し前。和之が結婚することになり,披露宴の出し物をどうしようか相談するために徹の部屋に集まった。結局,ポール・モーリアの曲を打ち込み,それにそれぞれ勝手な歌詞をつけて歌おうという話に落ち着いた。どうしてそこに落ち着いたのか話し合いの経緯はまったく覚えていないが,今でも,だれかの披露宴で出し物をという話になったとしたら,同じ選択をするかもしれない。

ポール・モーリアの楽譜をきちんと買ってきて4曲を選ぶ。私は「オリーブの首飾り」に決めた。アレンジはそれぞれ勝手にして,各人つくった歌詞にも口出しはしない。それだけがルールだ。土曜の午後から始めて,結局明け方までかかったような気がする。その程度の労力で出し物をつくってしまったといえば身も蓋もない。(このあたり

皆,社会人になっていたので,夕飯は宅配ピザをとることができるような懐具合になっていた。にもかかわらず,その頃,徹がぺヤングの美味い食べ方を発明したと自慢げに語った。この話も以前書いた(微妙にニュアンスが違うけれど,このあたり)。近所のコンビニに出かけ,創刊されたばかりの「ミスターマガジン」で望月峯太郎の「お茶の間」を,「CUTiE」で岡崎京子の「東京ガールズブラボー」を立ち読みし,帰りにぺヤングと酒を買って帰る。それが1991年の週末の過ごし方だった。(続きます)

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