大いなる眠り

土曜日は体調があまりよくないので,久しぶりに一日家で,掃除をしたりパソコン環境を調整したり。テレビで映画を観たり,Youtubeでドラマを観たり。TP-Link C9のセッティングをもう一度やり直して,何とか安定した。

日曜日は午後から家内と墓参りに出る。高田馬場で軽く昼食をとり,船橋でバスに乗り換える。そのうちにバイパスが通ることになるのだろうか。寺の前を工事中の道路が邪魔して渡れない。コーションテープを2回またいで墓地に入る。バス通りまで戻ると,同じように迷っている墓参りの人に遭遇した。

船橋で休憩し,少し買い物をする。娘は友だちと夕飯をとるというので,駅ビルのパスタ屋で済ませる。高田馬場まで戻り,ブックオフの20%引きで棚をチェックする。村上春樹訳の『大いなる眠り』を購入。

警察庁の課長は電話口で切り出した。
「警官にしかできないが,警官には頼めないようなことなんだ」警察を辞めた二村にぴったりの仕事ということだろうか――

「チャイナマンズ・チャンス」の「野性時代」連載第1回のコピーはこういうものだ。短編小説や連載小説の少なくないコピーは矢作俊彦本人によるものだと,ある時期に思い至った。たぶん『ドアを開いて彼女の中へ』のヴォネガット(のファンからの手紙)を引用したあたりからそう感じたのだと思う。『ららら科學の子』の帯のコピーも作者本人によるものだろう。「レイン・ブロウカー」が「月刊プレイボーイ」に掲載されたときの惹句にしても本人によるものに違いない。そうやってまた初出誌を集める理由が見つかった。

「チャイナマンズ・チャンス」は,『長いお別れ』に続き,『大いなる眠り』を描くことに眼目を置きながら始まったはずだ。連載スタート後半年ほどして,まったく別の話に分かれていくまでは少なくとも。

「ルッキン・フォー・ビューティー」で再び試みられるが,今度は『さらば愛しき女よ』も絡めていたため,そちらに引っ張られてしまい,『大いなる眠り』を描くという狙いは再び果されることがなかった。

10年後,「ビッグ・スヌーズ」でようやく当初の目的が果たされようとしている。思えば,「ヨコスカ調書」で『長いお別れ』が試みられてから18年を経て「グッドバイ」,その数年後に「So Long」を連載してもまとまらず,『The Wrong Good-bye/ロング・グッドバイ』が刊行されるまで結果,25年が経った。

で,『大いなる眠り』の訳者あとがきには「警察にはできなくて,フィリップ・マーロウにできること」とタイトルが付いている。まあ,そういうことだ。

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