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全感覚祭の疲労が今頃,からだに響いているのか,昨日,徹の家までの行き来で疲れたのかわからない。全体,調子がよくない。昼ごろまで眠り,食事をとった後,しばらくしてさらに1時間ほど眠ってしまう。かぜが長引いている気もするが。

ようやく15時過ぎから部屋の掃除を始める。オリオン☆一箱古本市とみちくさ市に並べる本を探しやすいように,というか,日頃,無茶苦茶に並べているので,とにかく全体が把握できない。本が増えすぎなのだ。徹にBTを渡したかわりに『本で床は抜けるのか』の文庫本をもらってきた。まだ余裕あるはずだけれど,どうにも心もとない。

インターネットラジオで京都三条ラジオカフェを流しながら掃除を続ける。本を揃え,不用なものを捨てる。先日の台風のとき,災害時用の乾パンなどが賞味期限をかなり過ぎていることに気づいた。このあたりも一気に処分した。夕方から家内は娘と新宿で待ち合わせで外出。19時過ぎくらいから,掃除の合間合間に,数年前,那智君にイギリス土産でもらったギルビーのジンを水で割って飲む。ミニボトルで,このサイズを見ると飛行機でただただ眠るためにもらうアルコールを思い出す。30年位前,パリからの帰りに,大韓航空機でタンカレーのミニボトルとトニックウォーターをもらったことがある。雨で離陸が大幅に遅れ,離陸後も揺れが激しかった。調子は芳しくなく,胃がひっくり返っても,乗り物酔いのためかアルコールのためかわからなくていいや,と思った。どちらかはっきりせず,わからないからよいということもあるのだ。気がついたらシベリア上空まで進んでいて,あのあたりは揺れがほとんどないので,その後,とても快適だった。

片づけの片づけをはじめ,テレビを流しながら,ビールと缶詰で晩酌をはじめる。21時過ぎに娘がお弁当をもって先に帰ってきたので,遅めの夕飯。MacBook Airのバックアップがなかなかうまくいかず(NASに飛ばしているからだろうけれど),NASの設定をチェックして,とりあえず動き出すのを確認した。

矢作俊彦の連載「百愁のキャプテン」を引っ張り出し,「アマ★カス」と比べる。数年前にも同じことをした気がするな。「アマ★カス」で新たに書き起こした箇所は,最初と最後だけ,あとは「百愁のキャプテン」のエピソードを後半の方から前に戻って再構成し,そのためにつなぎの文章を入れ,さらに「チャイナマンズ・チャンス」の1エピソードを挿入して仕立てたということで,たぶん間違いない。ただ,「百愁のキャプテン」では,矢作俊彦の小説にさまざまな姿で登場する傑の後裔,テングリ・ジャップと試写室でかかる映画が記憶転換のスイッチの役割を果たしていたのに比べると,「アマ★カス」は映画のカットつなぎのような手法で風景描写で場面展開していくのがまったく違う点だ。要は映画のカットつなぎだけれども,石森章太郎のマンガのコマに喩えるのが相応しい。異なった時制をどのように1つの軸にするか,そのアイディアで小説とみると,「アマ★カス」と「百愁のキャプテン」は,もとになる物語は共通であっても,「違う小説」ということになる。「アマ★カス」には,テングリ・ジャップ自体,一切登場しないし,試写室の場面もない。

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