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懸案のうち,一件は大過なくまとまった。週明け,挨拶に行く予定。それは懸案のうち,ささいなもので,他は牛歩よろしくなかなか進まない。

20時過ぎに仕事を終え,帰宅。「ビッグ・スヌーズ」を数ページ読む。織原征夫の登場にも旧作を思い出す。

二村永爾シリーズでは作中,作品間の横のつながりが示唆されることはほとんどない。ヤマトや由,小峰課長など,複数の作品に関連する登場人物はいるものの,旧作について触れられることが『THE WRONG GOODBYE/ロング・グッドバイ』まではなかった。

それが変化したのは連載「チャイナマンズ・チャンス」だ。作中,会話のなかで旧作の事件について少し触れられる。また,二村が旧作のヒロインを思い出したかのような描写もあった。その後は,「オフィシャル・スパイ・ハンドブック」風に接ぎ木されたため,たぶん連載のままのかたちでまとまることはないだろうけれど。

「ビッグ・スヌーズ」で,神戸の淡口組(「リンゴォ・キッドの休日」)や,『真夜中へもう一歩』に登場した織原が出てきて(織原は別のシリーズにも顔を出すのでめずらしいとは言えないものの),今回,自然なかたちで,作品間のつながりを出そうと意図したのだろうかと感じた。

『WRONG GOODBYE』では変貌してしまったホテル・ニューグランドを,ある意味,ストレートに叩くが,「ビッグ・スヌーズ」の織原とのやりとりでは,もう少し巧みに(文学的に?)表現される。前作は1979年にオリジナルが描かれ,単行本化の際,設定を20年後ろ倒した。整合性をとるために手を入れたなかに,どうしてもナマな部分が出てしまった。オリジナルに登場する「微笑」を「女性自身」に変えざるを得なかったあたりはさておき(それでも「微笑」が象徴するものは「女性自身」とは違うのだが),オリジナル連載部分の加筆・修正はどこか浮いている気がした。

「ビッグ・スヌーズ」における矢作俊彦の大きなチャレンジは,21世紀の若者描写だろう。理,魁をいかに描くかが本作の肝だと思う。実のところ,「殺意にヨロシク」(単行本未収載)の犯人? 以外で,矢作俊彦は感情移入しづらい若者を描いたことがほとんどない。掲載誌を当たっておらず,記憶をたよりに書いているので,違うかもしれないが。

まるでフロイトの「不気味なもの」のような若者を,ここまで小説のなかにうまく溶け込ませている。連載既出はまだ10回分以上あるので,読み返しながら,何を感じるかたのしみになってきた。

Windows10になったラップトップは,更新データがたまっていて,再起動を繰り返す。ようやく更新はなくなり,iTunesもアップデートし終え,プリンタとの接続を調整するあたりまで辿り着いた。

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