週末

土曜日は朝から元住吉で取材。9時前に駅前のコンビニへと向かう途中,ドラッグストアの前で開店を待つ夫婦。先にある店は「マスクの販売はない」と張り紙されていたようだ。開店前から並んで(ただ,大した人数ではなかった)マスクを買い求めようとする。巨大台風前のスーパーマーケット。3月の製本屋さん,折り屋さんへの仕事の集中の非道さを経年的に見ている身としては,もちろんおかしなことだと言い切れない。

17時過ぎに取材を終え,自由が丘まで。家内,娘と待ち合わせ。少し早く着いたので,ブックオフに行き,結城昌治の文庫本1冊購入。雨が降ってきた。ウインドショッピングをしながら,夕飯をとる店を探す。雨が非道くなってきたので,近くの店に入る。帰りにぐるりと駅前をまわって帰った。

日曜日は午後から仕事。17時過ぎにあがり,駅前の日高屋で「ビッグ・スヌーズ」を読む。家に帰り,少し眠った。家内と娘がお弁当を買ってきたので,それで夕飯を済ませた。

月曜日は午前中そこそこで起きだし,朝食をとる。抗アレルギー薬を飲んでいないので,体調は芳しくない。ただ,なんとかやりすごせる程度でおさまっているのは2年半続けている舌下免疫療法のおかげだと思いたいのだが。午後から,家内と高円寺に。夕飯は大江カレーに入る。途中,妹から電話がかかってきたので少し話す。東中野経由で帰宅。

土曜日,日曜日と平沢進のライブがYoutubeで配信されていた。リアルタイムで少し見て,0時になるまで,もう一度見た。9.11後,“Blue Limbo”“白虎野”の2作は,めずらしく社会の出来事にコミットした作品だなあと感じたことを思い出す。動きとしては,その前の曲の無料配信,いや,その前のエナジーワークスあたりから始まっていたかもしれない。在宅オーディエンスとしてライブに参加するはずが,想定以上のアクセスによりサーバーがダウンし,「参加しない」ことによる参加という選択肢を選ぶことになった。

「参加しない」ことによる参加は,もとをただせば,King Crimsonの“Trio”におけるビル・ブラフォードにたどりつく。この2つについては,東日本大震災直後,まず思い出したことを鮮明に覚えている。このあたり

とはいえ,参加しないことによる参加にも前提が必要だ。それを今回,平沢はどう判断したのか,いや,2日ともライブは終わったのだから判断自体は認識可能だ。セットリストを見直すと,否が応でも9.11と3.11を思い出す。旧作をリサイクルせずにしのがなければならないなら,レイドバックととられてもしかたあるまい。

先日,本郷三丁目の交差点で,署名活動をする高齢者が,五つの赤い風船の「遠い世界に」を流していた。(妥当な言葉ではないとは承知のうえ)それは惨状だった。しかし,惨状をみずからつくりだし,ただ,そこに足を止める人もいないわけではない。いたたまれず,足早に交差点を渡った。平沢の配信ライブを見ながら,「遠い世界に」をCDでかけて署名活動に勤しむ善意の人々を,どうしたわけか思い出してしまった。思い出してしまったのだからしかたない。

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