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勤労感謝の日。午後から家内と外出。東中野経由で吉祥寺まで。暖かいが冷たい風が吹く。東急百貨店の近くで昼食。徹からメッセンジャーで連絡が入る。高円寺にいるらしい。むげん堂で買い物とのことで,吉祥寺と迷って。バサラブックスが開いていたので,予定を確認したところ奥さんと待ち合わせだという。休みの日にむげん堂(私たちのあいだでは,当時,「インド屋」と呼ばれていた)で買い物か。

家内とは17時半に待ち合わせ,で,バサラブックスに行く。雑誌を数冊購入。古書センター,よみた屋と回る。ここでは何も買わず。アトレに戻り,新刊を少し見ていたら17時半になる。家内と落ち合い,喫茶店を探す。結局,喫茶ロゼに入り休憩。薬局で買い物をして,あとは夕飯を調達。東中野経由で中井まで行き,駅前の店で諸々購入。夕飯をとり,テレビを観る。

村上龍の『MISSING』をときどき読み,残りもう少し。

記憶。ぞっとする言葉だ。経験や学習で記憶が定着する機能は人類のサバイバルと進化に役立ったらしい。その通りだと思う。だが,記憶として強く刻まれ,決して消えることがないのは,残像となった,失われたものの記憶だ。正確には「失われたもの」ではない。残像が存在しているので,それは常に「失われている」という現在形になる。今も,今後も,失われたままなのだ。ベッドに入り,目を閉じると,必ず記憶がよみがえる。消すことはできないし,記憶がイメージとなり,言葉がよみがえる。止めることができない。意識とかロジックは衣装のようなものだ。少し針を刺したくらいでは痛みはないし,寒さにも耐えることができる。だか,よみがえる記憶には抵抗できない。呼吸や発汗や血流を止めることができないのと同じだ。

やはりこの小説,平沢進につきつけたくなる。

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