iPhone

土曜日は朝から有明で学会取材。お台場,国際展示場あたりは年に数回,仕事で出かけるものの,使うのはりんかい線がほとんど。はじめて門前仲町からバスで20分かけて向かう。途中の街並みがあまりに殺伐としている。幕張メッセの造成中にときどき夜中,伸浩のレヴィンで出かけたときの殺伐とした感覚を思い出す。

夕方に終わり,行きと同じバスで門前仲町まで戻る。ブックオフで本を買い,夕飯をとって帰る。

日曜日は体調がすぐれず,薬を飲んで昼まで眠る。午後から部屋を片づけ,夕方,電話とネットのプロバイダ変更の件で来客。速度の不安はあるものの,携帯電話の月額割引は大きい。17時過ぎに打ち合わせを終えた。

家内,娘と一緒に池袋に出る。ブルートゥース接続のキーボードを探す。30分ほどで決めた。タカセの前で待ち合わせ,夕飯をとって帰る。

キーボードは店頭に並んでいるものを片っ端から試し,MOBOキーボードのホワイトにした。少し重いものの,折りたたんで持ち運べるのと,タッチ感のよさで決めた。GoogleのGboardがiPhone対応になったというし,iPhoneを本式に使いまわしてみようと思ったのだ。この感覚はiMac G4を手に入れたときの感覚とどこか似ている。

Dropbox経由で仕事/自宅のファイルと連携し,スケジューラーも同期させた。このサイトの更新がどんな具合に変わるかたのしみだ。

Point

勤労感謝の日。昼前から家内とauショップに行く。3年間使ったiPhone6Plusの挙動がこのところあやしい。バッテリーはへたっているようだし,機種変更を考えた。

とはいえ,別にiPhone8PlusやXがほしい気持ちはない。娘に相談して,すでに生産停止とはいえ現状,手に入る旧モデルのiPhone7Plusに交換しようと決めていた。ところが高田馬場のauショップにiPhone7Plusの在庫はないという。ショップごとに在庫管理しており,ショップ相互の在庫確認や融通はしていないということだ。相談もなにも,することもなく池袋に向かった。

午後から花粉症の舌下免疫療法の初回受診をする予定で,そのクリニックは茗荷谷にある。いきおい新宿ではなく,池袋で探すことにしたのだ。

池袋東口のauショップは1時間待ちだ。ただしiPhone7Plusの在庫はあった。が,容量は128ギガと256ギガのみ。6Plusは32ギガだったので,128ギガを手に入れたら,いったいどれだけのことができるのか想像できない。順番が来たらショートメールが届くというので,一度外に出る。少し前にできた丸善で昼食をとろうと思ったものの,その手前にCoffee Valleyを見つけ,こちらに入ることにした。コーヒーとサンドウィッチ,どちらもおいしい。コーヒーは茗荷谷のfooの味に少し似ていた。

13時前に連絡があり,auショップに戻る。それから2時間。いつも思うのだけれど,この手の店のスピード感で,スタッフの給与を十分カバーできるのだろうか。それくらいゆっくり,さまざまなサービスの説明が続く。ただ,担当の若い男性のキャラクラーが面白く,イライラすることはなかった。彼がマニュアル通り,ある提案を説明した後,私があっさり辞退しても,サバサバとした笑うので後ろ髪をまったく引かれない。こんなスタッフが増えてくれるといいのだけれど。

2時間後,そのままクリニックに向かったものの,危惧していたとおり本日休診だった。いつもは日曜日も診療しているクリニックなので,Googleの検索画面を過信してしまったのだ。しかたなく家に戻る。

6PlusのバックアップデータをiTunes経由で作成し,7Plusに戻す作業を始めた。バックアップデータの作成はすぐに終わった。ところが買ったばかりの7Plusに繋いだところ,OSが最新版にアップデートされていなかったので(当然だけれど),家の無線LANに繋げてアップデートしなければならず,これに一番時間がかかった。無線LAN本器底にパスワードを記したカードが差し込まれているのをすっかり失念し,繋げるために30分近く時間を費やしてしまった。

バックアップを7Plusに戻すのはこちらも数分で終わった。あまりの簡単さにあっけないほど。画面に6Plusで使っていたアプリが反映し,自動でデータのダウンロードが始まる。

とにかく128ギガだ。もう少し巧いiPhoneの使い方があるように思う。

で,Pointについて。とにかく,あれこれにポイントがついて,機種変更の「ここ」にたまったポイントを使ってこれだけ値引きします。今回たまったポイントは,クイックペイで使ってください,などなど。ポイントって,使われない可能性があるサービスだから,企業にとっては顧客の囲い込みをはじめ,用途がさまざまあるのだろうけれど,ポイントがついても,ほとんど心は躍らない。

寒い

このところ電車が少し遅れている。バタフライ効果と呼ぶのはおかしいのだろうけれど,数分の遅れで,結果,会社に着く時間が10分以上違ってくる。10分程度ではあるものの,だからといって早まることはあまりない。

とにかく,ほとんど冬の寒さだ。かさついた指先がその役割のかなりを果たさなくなってきた。

会社を出たのは20時過ぎ。駅前の居酒屋で夕飯をとり,『寒村自伝』を捲りながら帰る。忙しくなってくると,居酒屋で食べる回数が増えてくる。手持ちの仕事が年内には片づきそうにないし,12月締切の企画も動いているから,春先までこんな調子が続くかもしれない。

『寒村自伝』は,とにかく「空想少年の生い立ち」の項だけでも誰か映像化しないだろうかと思うくらいに面白い。横須賀で育ち,横浜の実親のもとに帰され,日露戦争中の大連に行くまでで,寒村はまだ17歳。日露戦争のあたりは次の章に描かれているものの,文章が巧くて読みやすい。明治の暮らしというと,どこか適当なイメージを補完しなければ想像さえできなかったのだけれど,「空想少年の生い立ち」を読むと,生活のリアリティが感じられる。ときどき,結局,変わっていないのだなと嘆息をつくことになるとはいえ。

横浜を舞台に矢作俊彦が寒村を描いたら面白いだろうな。徳川末期から現代にいたる近・現代史の再構築を行なってきた仕事のなかで,欠けている箇所をちょうど繋ぐことになると思うのだが。

Diary

しばらく前,ドネーションソフト・CloverDiaryを使っていた当時のログを引っ張り出し,エディターソフトで開き,タグを打ちながらフォーマットに手を加えていった。ついでに最低限の誤植修正と用語の統一をし,ざっと斜め読みしたときのこと。ああ,この頃,大槻ケンヂのエッセイが面白くなくなり,代わりに自分で書こうとしていたのだなと感じた。結局,それは90年代にスタジオに入り始めたときの感覚と同じだ。

今日のことを書かないという約束事は,つまりネタにしてから書くということだ。それにしては冴えない書き込みが少なくないけれど,まあ身の丈だろう。その頃,元になったサイトのことを昌己に話し,いくつかのネタを読むように仕向けた。しばらくして,居酒屋でその話が出た。「オチをつけすぎだよ」と諭されたことを覚えている。

改めて継時的に目を通すと,すっかり忘れていたことがいくつもあって,正直なところ「これは重宝するな」という感じだ。自分で面白がっているときはわかるし,怒ってもいる。今日のことでなくても,そのときに書き留めておかなかったら,あっさり捨て置かれるようなやりとりが残っていたりする。無理して書かなくてもよいのにと思う日はたびたびだ。

引用を書き写した箇所は,これまでさまざまな形で活用した。コピーしてSNSに書き込んだこともあるし,仕事で使ったこともある。文献については,検索できるリストを(自分のために)つくりたいと思い,相応しいページのつくりかたを探しているのだけれど,いまだ見つからない。

WordPressに変えてから,たいした情報を書き連ねているわけでもない投稿が検索で引っかかるようで,ときどき統計情報を眺めながら,もう少し何か書き足したほうがよいかもしれないと思うこともある。なにせウェブログだというのにツイッターより文字数が少ない投稿がいくつもあるのだから。自分が検索する立場で,このサイトの情報にアクセスしてしまったら,「何だかライコス使っていたころを思い出すな」という手ごたえのなさだろう。

今日(といっても一日,二日前がほとんど)のことを書くようになってから,オチもないし,下書きなしに書いて,アップしてから読み直し,誤字を修正したり,書き直したりする。データをアップする前に校正すればよいのだけれど,この習慣は変わらない。

一箱古本市

土曜日は排水管清掃が来るので,朝から部屋を片づけた。午後からは翌日のみちくさ市の準備をようやく始める。

文庫本を多めにもっていこうと思い,あれこれピックアップするうちに,とても面白いラインナップになった。ただ,本の状態はあまりよくないし,別にみちくさ市に来なくても手に入るものがほとんどなので値付けに苦労した。夜からはパソコンに値札のデータを打ち込み,はがきに印刷。家内と娘に切ってもらった値札を本に挟み込む。23時を過ぎてようやく作業を終えた。

日曜日は曇り空。気温は低い。本を入れた段ボール箱をカートに載せて家を出た。高田馬場で乗り継ぎ,目白駅から歩く。セブンイレブンでコーヒーを調達して,受付を済ませた。セッティングを終えたのは11時をまわってしまった。

最初に売れたのは『世界反戦詩集』と『相模原事件とヘイトクライム』。続いて帽子をかぶったMさんに松下竜一『その仕事14 檜の山のうたびと』を購入いただく。このあたりで午前中を過ぎ,12時をまわってもあまり本は動かない。家内がやってきたので,早めに昼食をとる。目白まで自転車で行き,寒いので酸辣湯麺を食べたのだけれど,胡椒系ではなく唐辛子系の酸辣湯だったので重かった。

戻ってきてから家内と店番を交代。私がいない間に,吉野せい『道』,堀淳一『ケルトの島・アイルランド』が売れたとのこと。ときどき,売り場に向かうおもしろ本棚の皆さんが立ち寄ってくださり,二階堂奥歯『八本脚の蝶』,燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』を購入いただく。これで売り上げがかなり底上げされた。

娘の了解を得て並べた本のうち,ドラえもんの学習シリーズは完売。子ども向けに並べた他の本も14時すぎにはなくなった。毎回,目標売上冊数の数分の一相当の児童書を携えてくればよいのだなあと,4年近くみちくさ市に参加して,ようやくコツがわかってきた。からといって毎回似たようなものを並べるのは妙な感じがする。

15時くらいまでで動きはほぼ止まる。大熊一夫の『ルポ精神病棟』が売れたのだけれど,ちょうど私が店を留守にしていたときだったので,どんな方が買ってくださったのかわからない。実はあれ,値付け間違えて高くしてしまったのだ。

ミニフェアと称して並べた結城昌治と吉野せい。結城昌治はまったく動かず,吉野せいは2冊もっていって1冊売れた。同じ作家の本ばかり並べても芳しくないのはこれまでの経験からしてもわかっているのだけれど,ときどき並べたくなる。以前並べた江戸川乱歩の評論,内田百閒,小林信彦は数冊売れはしたものの,全体からみるとそれほどの動きではなかった。

15時過ぎに一通りの店を眺める。笈川かおるの『借りてきたネコのブルース』が並んでいるのを見つけ,思わず買いたくなった(手持ちがあるのでやめた)。おもしろ本棚のみなさんのブースで,近藤よう子『水の蛇』『五色の舟』を買って戻る。

16時少し前に店をたたみ,受付に挨拶して家内と帰る。途中,目白通りにできたカフェで休憩。おも本の皆さんと遭遇。一日,路上に立って本を売る以外のことをしないというのはいいなと思った。

荒畑寒村の『寒村自伝』を読み進めていた。とにかく明治時代の生活を描いた「空想少年の生い立ち」が面白い。ただ,そこから一転,日露開戦にいたる時期,工廠が動員される様子は次のように描かれる。他者を「動員」しようとしはしまいかという自分への戒めを,いついかなるときにも持たなければ,と思う。

職工は文字通り昼夜兼行,わずかに深夜に時間の仮睡をとるのを許されたにすぎない。弁当なども深夜に食う分を加えて一日四食ずつ家族に運ばせ,数日間ぶっ通しの昼夜連続作業にもうこれ以上ははたらけないほど疲労した時,やっと帰宅を認められる始末であった。
(中略)
日をおうて過激の度と加える労働が,職工の間に発病者を増すことはまぬがれ難い。脚気を患っている多くの職工が青竹の杖にすがって,工廠の門をくぐる姿を見るのは珍しくなく,新高のハッチを中甲板に降りると,青ぶくれした生気のない顔が悩む脚を投げ出して坐り仕事をしている。それを見ると,幽界にさもよう死霊に出会ったような不気味さを感ぜずにはいられない。

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