風邪

本式に風邪をひいてしまったようで,半日だけ横になるつもりが,結局,午後も本を読みながら眠ってしまった。

キリがつかないので半村良の『闇の女王』を読み終えた。五木寛之っぽく始まり,途中から後の村上龍っぽくなり,最後は半村良のテイストとはいえ,書き流した物語だった。これならばあらすじを知っておけば十分。登場人物に魅力が乏しい。この時期,多忙だったのかもしれないが。

『闇の女王』の読後感がかなりよくなかったというかスカスカだったので,夜から矢作俊彦の『フィルムノワール/黒色影片』を引っ張り出して読み始めた。

クラウドファンディングが無事成功して届いた坂口尚の『12色物語』を,寝る前に2,3編ずつ読んでいる。結局のところ,1980年代までに読んだり聴いたり観たりしたものだけで,あとの人生を過ごしてもたぶん事足りてしまうのだろう。実のところ,30代後半から40代の初め頃まで,そうやって過ごしたような気がする。ここ7,8年,インプットする情報が増え,面白いのだけれど,それとこれとの整合性がうまくついていないのかもしれない。誰に選択を促されたわけではなく,ときどき20代までの嗜好にどっぷりと浸かりたくなってしまう。

mouseの帰還

金曜の夜は自称筋金入りのアマチュアフォークミュージシャンと遅くまで飲んでいた。7月いっぱいで定年だというけれど,あの層がリタイアした後,彼らが抱えていた仕事を繋げるのが難しい職場は決して少なくあるまい。

先週に比べると酒の影響は非道くない。シャワーを浴びて秋葉原に向かう。修理に出していたmouseコンピュータが戻ってきたと連絡が入ったのだ。メモリを交換して,Windows10を再インストールしたとのこと。こんなとき,軽いのは助かる。リュックサックに入れ,とりあえず御徒町に行く。

修理スミのmouseコンピュータをリュックサックに入れ,昼食をとった。山手線を一駅,久しぶりに御徒町のブックオフを覗く。が,めぼしいものは見つからず,カミュの『ペスト』を買っただけで出た。並びのドトールで休憩。半村良の『闇の女王』をたらたらと読む。

9月に久留米日帰り出張が入ったので,向いのJTBで航空券だけは確保する。雨が降り出した。無事チケットを確保したので,家内と待ち合わせた御徒町北口改札に向かう。何だか止みそうにない。娘は友だちと隅田川の花火大会に出かけたのだけれど。

家内とアメ横を散策。来週のWorldHappiness用に帽子を探す。数軒目で手ごろなものを見つけた。アメ横に意外と多くの帽子屋が店を営んでいることにはじめて気づいた。松坂屋の喫茶店で休憩し,夕飯用のお弁当を買って帰る。どこもかしこも冷房の効きすぎで風邪をひいてしまった。

家に戻ってから,mouseコンピュータの設定を始めた。まずメールを繋ぎ,必要な情報をたどる。少し悩んで結局,メーラーはThunderbird,ブラウザーはFirefoxとこれまで通りにした。ウイルスソフトを入れ直し,アカウントを設定する。後は部屋のどこかに置き捨てられたOfficeを探し出して,一式をインストールすれば壊れる前同様の状況になる。

大して使っていないので,mouseは調子がよいとか悪いとは判断する段階じゃない。

困ったなア

少年ドラマシリーズの1つに「困ったなア」というのがあった。原作は佐藤愛子。サクラでテレビ番組のスタジオ観覧者として画面に映るアルバイトをする女の子が主人公だったはず。泣きバイを知ったのはツービートの漫才と松浦理英子の小説だったけれど,それより先にこのドラマで,大爆笑をするおばさんや女の子がアルバイトだと知った。

鼻の下に鉛筆を挟み,「困ったなア」と気の抜けた表情をする主人公の姿を思い出す。

日々,困りごとは現れる。他人の困りごとを目にする。他人のことはさておき,自分のことさえ傍観者であるかのようなフリをするようになったのは,昨日今日に始まったことではあるまい。結果,困りごとは解決の緒につくことなく蓋をされ,次の困りごとに意識が向く。

その程度の困りごとなら,それでいいではないか。

竹内敏晴さんが兵庫の大学で特別講義をされていた時代のこと。暑い夏の昼下がり,大学近くのバス停で降りると,キャンパスに続く道の途中におばあさんがいた。当時の竹内さんより歳だったというのだから,80歳前後だろうか。どうにも困ったようなみえる姿で道に立っている。

竹内さんはおばあさんに近づいたものの,戸惑った。講義の時間は迫っている。「どうかされたのですか」と声をかけたが,おばあさんは要領を得ない。「申し訳ない。私はこれからその先の学校で講義があり,相談に乗る時間がありません」そう言うと,連絡先を記した紙を渡した。「なにか相談したいことがあるようでしたら,ここに連絡ください」。

竹内さんは,自分のすべての時間を相談者のために使えるようにして,はじめて相談に乗ったという。生半可な時間しかないのに相談に乗るなどと無責任なことは言えない,と。「人の相談に乗るということは,そういうことでしょう」。

大阪で打ち合わせた帰り,名古屋までの新幹線の車中で伺った記憶がある。

テレビドラマ「Q10」で「助けてください」がキーワードになったあたりから,世の中から「困ったなア」と「助けてください」の居場所がどんどん狭まっていった気がする。「もの言わぬ傍観者」の立場をずるいと思わなくなったら終わりだろう。

ときどき,自分の所作を振り返り,あ,終わってたと思うことがある。

二杯

夕方から広尾で会議。弁当はゆら川に配達を頼み,人数分のお茶を抱えて行く。

朝は気圧のせいか頭痛がおさまらず,薬を飲んでしばらく休む。午後から出社。雨も小降りになった。20時過ぎに終わり,渋谷駅まわりで休もうかと店を探す。結局,適当な店が見つからずに高田馬場まで行った。

新目白通り沿いにラーメン店がある。入る店,入る店,あまり続かない場所で,隣のセブンイレブンが撤退して,ワンルームのアパートになったようなところだ。ただし,通りを挟んだ向かいは大規模団地,線路を越えれば高田馬場へと続く道で,人の行き来がないとは思えない。

近くに越してきた20年前,ここには弁当屋が入っていて,ときどき利用した。あるとき,弁当のなかの料理が痛んでいたので苦情の連絡をした。対応は悪いものではなかったが,しばらくして閉店した。その後は,現在の店になるまで,何店からのラーメン屋が入れ替わった。

気になるのはチョイ呑みセットだ。アルコールに棒餃子,おつまみがついて1,000円。しかし,この店の前を通るのはほとんどが,高田馬場で飲んできた後だから,入るタイミングがなかった。

高田馬場で店を探していると,そのまま新目白通りまで出てしまったので,ラーメン屋をめざした。

アルコールは生ビールにして,おつまみはたこわさ,しばらくすると棒餃子が出てきた。『海から来たサムライ』のクライマックス前を読みながらつまむ。塩辛いたこわさとビール,棒餃子のバランスがうまくとれず,残りそうなたこわさをエイヤと食べ,ビールを飲み干した。

トイレに行ってから,お勘定を払おうとすると,「あと一杯あります。二杯でこの値段です」。

アルコール二杯に棒餃子,つまみで1,000円だったとは。おそろしくコストパフォーマンスがいいじゃないか。池袋の大都会はビール三杯にマグロで1,000円だというけれど,それではこなしきれそうにない。

この店くらいがちょうどいい塩梅だ。ただ,すでにつまみも餃子も手元に残っていない。文庫本の続きを読みながら,冷えた生ビールを飲み干した。

再び高田馬場方面に戻り,ブックオフで数冊買って,同じ道を歩き,ラーメン屋の前を通り越して家に戻った。

モラル

星野博美が『銭湯の女神』をまとめたときに出た書評で,“新たなモラリストの誕生”というタイトルがあったように思う。当時,“他人の身になる”というテーマを抱え込んだまま数年経ていた頃だったので,無理やりこじつけて企画にならないかと考えたことを思い出す。

犬養道子の訃報を聞き,1980年代以降の著作は,偉大なモラリストの足跡だったのだな,とため息をつく。一方で,犬養道子のモラルを固めたのがおもにキリスト教であること,また自身の日々の困難さと必ずしも合致していないところが星野博美との違いだな,と再びため息をついた(その意味では1970年代までに書かれた原稿に,より自身の困難さは反映されている。ただ,この時期の“出羽の守”的言説はなかなな共感しづらい。エッセイとしてはとても面白いので,ほとんど読んでしまったけれど)。

キリスト教を背景にした犬養道子と神谷美恵子の活動には,どこか共通するものがある。そしてこの二人が示す夢は,世の中にとって大切だと思うのだ。

数日前,岸政彦さんが平凡社で企画されている神谷美恵子コレクションか何かの腰巻用に記した文章をめぐり,出版社側の非道い対応を詳らかにされた件があった。その後,岸さんみずから,きっかけとなった文章を載せられたので読んだ。確か,略歴をていねいに紹介しながら,神谷が未治療のハンセン病患者の様子を“野獣のように”と形容したあたりをとっかかりにまとめたものだった。

少し違和感をもった。

ハンセン病患者を隔離してきた制度,社会に対する神谷の眼差しは,フーコーの『臨床精神医学の誕生』を訳した仕事とつながり,それは一貫して医師としてのスタンスからのものだろう。

今後,吉田司や山口泉が宮澤賢治を検証したような仕事が,神谷に対しても行なわれるかもしれないが,医師でありクリスチャンである神谷は容易く動員されるようなことはなかったと思う。また,他者を操作するかのようなこともしなかったのではないか。

以前,『街の人生』のなかで拒食症や性同一性障害の方への聞き取りを読んだときにも,今回と同じような違和感をもった。私が医療系の編集者を生業としているから感じてしまうのだろうけれど,岸さんは医療と接点をもつ内容に触れるときの取り扱いかたが独特だ。まるで,「治りたい」という気持ちに近づきそうになると,サッと距離をとるかのように感じる。

「治りたい」気持ちは,社会を破壊しうる地獄の窯なのかもしれない。蓋を開けたからといって,そこに社会が映し出されるよりも,もっと個人的なドロっとした臭気を漂わせながら沸々とした何かを見てしまうだけ。

答えがあらかじめ示されていない中,医療者がもつ患者・家族それぞれの生活への視座とそのための実践は,ときどき夢なのではないかと思うほど美しく汚れている。そして,町中の人を通して,その姿が伝わりづらいことに,もどかしさを感じる。

岸さんは「現在を生きる私たちが,神谷の文章をそのままのかたちで,素朴に読むことは非常に難しい」とするものの,そのときどきにそのままのかたちで読むことからしか,何もはじまりはしない。もちろん,何かをはじめなければいけないなんてことはないけれど。

長嶋愛生園を訪ね,公表の術もなく聞き取りを続けた徳永進の今日に続く苦闘は,鶴見俊輔の活動は言うまでもなく,神谷の本を素朴に読んだところから始まったはずだ。徳永は,故郷を捨てるよう強制された元患者が本当の故郷に帰りたいと思ったときの宿泊先として「こぶし館」をつくり,維持運営してきた。そこには美しく汚れた生活が染みついている。

岸さんの文章は,神谷が書き残したものを,そのままのかたちで読むことしかできないと示しているのかもしれない。神谷自身が夢物語をつくったのではない。そのときどきの私が,神谷の夢物語をつくったのだから。

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