離陸

金曜日は出張を控え,いくつかの準備を済ませる。クリニックに寄って,今週分のヒスタグロビンを打ってもらう。帰りに大松堂書店で文庫になった絲山秋子『離陸』と「新潮」5月号を購入。「新潮」には矢作俊彦のエッセイが掲載されている。駅前の富士そばでビールとつまみを飲みながらページを捲る。池袋でICレコーダーをチェック。USB経由でmp3データをそのままパソコンに取り込めるということで,そんなことはとっくにあたりまえなのかもしれないが,その便利さに驚き,購入してしまった。

新井薬師の文林堂書店で一巻本の辻邦生『春の戴冠』が安くで置いてあるのをみつけ購入してしまう。家に戻ると倉多江美の『静粛に,天才只今勉強中!』の第3巻が届いていた。

土曜日は少し早く起き,バイトに出かける娘と一緒に家を出た。新宿でわかれ,品川まで。弁当を買って,ホームで『離陸』を読み始めた。新幹線の車中はふつうなら眠ってしまうのがけれど,眠くならないので第一部を読み終えてしまった。新大阪で同僚と待ち合わせ,座談会の収録へ。17時に終わり,梅田で別れる。阪急古書のまちをざっと眺め,新梅田食道街のマルマンでCランチとビールで遅めの昼食。新大阪で酒をつまみを仕入れて車中で飲みながら本を少しだけ読む。目が覚めると小田原だった。

仕事でかかわりのある先生がSNS経由で新橋で一杯やったあと神戸に戻るとの書き込み。どこかですれ違ったのだろう。家に着いてチェックするとの先生は乗り過ごして岡山まで行ってしまい一泊されたそうだ。

『離陸』は絲山秋子のいまのところ最長編(たぶん)。この路線で長編を連発すのは難しいだろうなと思うほどの密度だ。短編の速度で長編を突っ走っているような感じがする。すごいな。

CD

MADNESSのライブの余韻がおさまらない。11年前も同じような数日を過ごした気がする。その頃,Web上でライブの感想を検索するのは「はてな」中心だったことを思い出した。

矢作俊彦の対談が掲載されているというので,会社帰りに「キネマ旬報」を買った。遅くなった夕飯を済ませ,CDラックをチェックすると,MADNESSのアルバムはほとんど揃っていた。“THE MADNESS”はなかったけれど,ボックスセットまで,いまだ手元に残っていた。

KING CRIMSONのアルバムは“STARLESS AND BIBLE BLACK”とあと数枚残っているだけだ。あるとき,パソコンに落として,売り払ってしまった。MADNESSのCDに比べると高価で取引されるのが大きな理由だ。それでも,残っていたことに妙な感動を覚えた。

那智君と初めて会ったのは会社合同の野球部の納会だった。20年以上前のことになる。MADNESSの話,それもたぶんボックス盤“the business”の話をした気がする。10年前,紹介を受けて仕事を依頼するために会社に来てもらったとき,その話になった。当時でもそれくらい,めずらしい話題だったのだ。

初めて組んだバンドで,コピーする曲を持ち寄ったとき,私は“Our House”を選んだ。カバーできるわけないのだけれど,できる程度にアレンジしてでも音を鳴らしてみたかった。

CDの“The Rise and Fall”をかけながらキネ旬に掲載された矢作俊彦の対談を捲っていると,その頃,“The Rise and Fall”(もちろんLPで)あたりをかけながら,矢作俊彦の短編を読んでいた時間を思い出した。何の話をしていたときだったろう。昌己に「ル・カレじゃないのかよ」と突っ込まれたことがある。いや,違う。「MADNESSを聴きながらル・カレを読むんだ」と言ったら,「イギリスかぶれだな」と嗤われたのだ。

それからGeorge Marshallの“TOTAL MADNESS”とデイヴ・トンプソンの『2トーン・ストーリー』を引っ張り出し,ただページを捲った。

繰り返しになるが,人生をやり直したいなどとは絶対に思わない。にもかかわらず,あの時間を今,そのままここに据え置きたい,その誘惑には駆られる。まあ,それは子どもの頃,月に一度の土曜の午後のようなものだ。床屋で過ぎる1時間を望むのに等しく,叶わないものなのだけれど。

MADNESS

家に帰り,Youtubeで昨年のライブを見たところ,皆,イアフォンを耳に挟み込んでいた。日本公演でもモニターしていたのだろうけれど,タイミングをはかりかねるスリリングな演奏だ。

“House of Fun”に続く “Baggy Trousers”のメロディがほとんど“House of Fun”になっていた気がするし,サグスの調子が今一つで,数曲はかなり混沌と響いた。よく止まらなかったな,というくらい。演奏自体は11年前のライブのほうがかっちりしていた。でも,そのことにどれほど意味があるのか,ライブの楽しさにそれがほとんど影響しないのが,MADNESSのある意味凄さなのだろう。

クリス・フォアマンのギターをずっと見ていた那智君は,「まったくうまくならないのがすごいですね」と妙な褒め方をした。ミュートしたカッティング一筋で,リードを弾こうなどと思わないギタリスト。プレイスタイルはストイックなのだけれど,マイクを持つとおちゃらける。

11年前のライブは上半身裸にサスペンダーのスキンヘッズがステージ上にあがりダンサーのように踊っているのを誰も制止せずに,さらにもりあがるような無茶苦茶なものだった。今回はさすがにステージにあがる観客はいなかったものの,フロアはイモ洗い状態だ。いくつかのツイートに記されている通り,英国人がとにかく多かった。

後半,“One Step Beyond”から終演(客出しの“Always Look on the Bright Side of Life”を含め)まで,一生のうちでこんな時間を過ごすことができるのだから,いいものだなあとつくづく感じた。前回のライブのときにも同じように感じたのだけれど,50歳を過ぎているから多幸感は増す。

アンコールで“Night Boat to Cairo”が演奏されるやいなや,小柄で白髪を切り揃えた60歳を越えるだろう英国人カップルが,こらえきれずに中央の柵を飛び越えてフロア前方になだれ込む様子を見た。ああ,やっぱりいいライブなんだな。

ライブを終えて,風邪の引き始めにもかかわらず汗が冷えてきたシャツを着替えることもないままの那智君とともBrewDog Roppongiに入った。あまり言葉を重ねることもなく,ビールとハギスで,ただただ幸せだったライブを思い出していた。

翌日,何だか細々としたことがどうでもよくなっていた。まるで憑き物が落ちたかのように,それは。演奏されなかった曲だけれど,ふと思い出して以来,繰り返し鳴っている。いい曲だな。

セットリスト

  1. Can’t Touch Us Now
  2. Embarrassment
  3. The Price
  4. NW5
  5. My Girl
  6. Herbert
  7. Wings of a Dove
  8. Good Times
  9. Cardiac Arrest
  10. Blackbird
  11. Sun and Rain
  12. Yesterday’s Men
  13. Mumbo Jumbo
  14. Grey Day
  15. Tomorrow’s Just Another Day
  16. You are My Everything
  17. One Step Beyond
  18. House of Fun
  19. Baggy Trousers
  20. Our House
  21. It Must be Love
  22. Mr. Apple(アンコール)
  23. Madness(アンコール)
  24. Night Boat to Cairo(アンコール)

MADNESS

年度初めの月曜日。にもかかわらず,今日一日はMADNESSのライブのためだけにあるようなもの。定時で仕事を切り上げ,丸ノ内線と日比谷線を乗り継いで六本木に向かった。

車中で,段々とスキンヘッズなのか,極端に頭髪の乏しい人なのか,見分けがつかなくなってきた。六本木で降り,仕事の電話を一本してエスカレータを上がる。慣れ親しんだ駅なので,キャッシュディスペンサーの位置も覚えている。念のために財布に少しだけ悪銭を加えて,外に出ると雨だ。会社を出たときはよい天気だったのに,かなり強い。もってきたスポーツタオルを被り,EX THEATER ROPPONGIに向かう。

整理番号は150番台だった。あまり待たずに入れたものの,その間,雷に雹,強風が乱れまくる妙な天気。室内に入り,開場をまっていると,扉のあたりに那智君の顔が見えた。トイレでTシャツに着替え,服をリュックサックに押し込む。コインをビールに変えに行くと那智君がいた。ビールを飲み干し,一緒にフロアに入った。聴こえてくるBGMはキンクスの「ビクトリア」。らしいったらありゃしない。

11年前の経験から,とても楽しそうなんだけれど,フロア前面に入るのは止すことにした。段差がついた手すり柵,ややクリス・フォアマン寄りに陣取る。セッティングにしばらくかかり,定刻を15分くらい押してMADNESSがステージ上に姿を現した。

とにかくナッティボーイズ二人の存在感が強烈だ。そのせわしなさは前回の来日公演のとき,決定的に欠けていた。まあ,欠けていてもいいのだけれど,今回のステージを見て,このせわしなさはずっと,MADNESSが抱えてきたものなんだろうなと,妙にしみじみ感じた。

新譜からの曲と80年代のヒットナンバーが交互に披露されていく。サグスは時差ボケなのか調子はいま一つだった。ステージ上のモニターがうまく返ってこないのかもしれないが,キーが合わなかったり入り方を間違える場面が何度かあった。後半はベースのチューニングがかなり甘く感じられるような聴こえ方もした。以前,ここで赤い公園をみたときにも感じたような気がするので,このホールの音の癖かもしれない。出だしを間違えたり,アラを上げれば他にもあるけれど,それらすべてを吹き飛ばすバンドとしての存在感と曲が鳴っている場の多幸感。とにかく楽しくてしょうがない。

サポートは3人の管とパーカッション。パーカッションは音源を鳴らしたりコーラスも担当していた。不思議だったのは,“Wings of a Dove”あたりのコーラスパートは音源を使っているはずが,どうやってあのアバウトなリズムと同期させているのだろう。クリックを聴いている感じはまったくしなかった。(続きます)

頭痛。薬だけ飲んで横になる。昼前に起き朝食。家内は娘と外で待ち合わせ。少し部屋を片づけた。

昼食をとるために家を出たのは16時過ぎになっていた。歩いて東中野まで。伊野尾書店で石丸元章『覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢』,志田忠儀『山人として生きる』を購入。他の本を探していたのだけれど,結局,この2冊を買ってしまった。

山手通りと早稲田通りの交差点近くにあるからあげ屋で遅めの昼食。初めて入ったものの二度と入ることはないと思う。

東中野のブックオフまで歩き,文庫数冊購入。来た道をもどってカフェ傳で休憩。『覚醒剤と妄想』を読む。19時前に出て,家に戻って続きを読む。

『覚醒剤と妄想』は,1990年代に光を当てて,そこから現在を考えていくスタイルのように思えるのだけれど,ここに示された思考はとにかく1980年代だ。オウム真理教のとらえかたなどは,1980年代に20代を経た(もちろんそうなんだが)層には非道く腑に落ちることばかり。ときどき懐かしささえ覚えた。

前半は「ケミカル」に対し「条件反射制御」という対抗軸では,主体も何もなくなりそうな話なんだけど(主体思想批判の書か? などと突っ込みを考えながらページを捲った),中盤から後半に至って,本のテーマが吹っ切れたあたりから俄然面白くなる。

これ,きちんと抄読会などで取り上げたほうがよいと思う。読書会では取り上げづらい本ではあるが。(加筆予定)

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