ていねいさ

午前中から健康診断。例年にくらべ時間がかかった。会社に戻り,夜まで仕事。家で夕飯を食べ,テレビドラマ「カルテット」を観る。

昨年の中頃,「ていねいさ」という言葉がやけに用いられていることに気づき,少し嫌な気分になった。これについては当時,記したはず。しばしば「ていねいさが足りない」というように用いられ,聞くたびに「雑だ」と言えばいいのにと思ってしまう。「健康さが足りない」→「病気だ」,「正常さが足りない」→「異常だ」,「音感が足りない」→「音痴だ」,たとえは違うかもしれないが,正常をあたりまえであるかのように語られると,どうにも居心地悪い。学生時代から「健康なんて除外診に過ぎない」という見方から抜け出せないためだろうか。あたりまえは決して正常ではない。

今年の健康診断は例年に比べ時間がかかった。というのは,つまり,これまでのデータを比較しながら検査が進められていたからで,検査を受けながら,「あ,ていねいだな」と感じた。

特殊な状態を示すのであれば,まだしも,「ていねいさ」が前提となっていて,その「欠如」を云々(うんぬん)言ってもしかたないと思うのだ。

信長

午後から出社。事務処理を済ませて,あとは企画書の準備に費やす。19時過ぎに事務所を出て,夕飯を買う。駅の改札で娘と会い,一緒に帰宅。

辻邦生の『安土往還記』を読み進めている。こんなテーマだったのかと改めて感じながらページを捲る。学生時代に,当時刊行されていた辻邦生の小説はほとんど読んだけれど,文体と構成・物語の巧みさを味わうばかりで,テーマに思いを巡らせることはなかった。いきおい『夏の砦』を頂点とする初期作品群と,『時の扉』『樹の声 海の声』,連作『ある生涯の七つの場所』の印象が強い。

このところ再読の醍醐味を感じるものの,読んできた本の再読を想像すると途方に暮れる。どの本にも,記憶に留めておきたくなる一節が埋もれているのだろう。50歳を過ぎると,それをするには十分な時間があるように思えなくなってくる。

冒頭からしばらく後,豪商の津田が浮かべた薄笑いから,敵対する二つの勢力のそれぞれに武器を売り渡していることを推察する場面に続いて,以下のような一節がある。

商取引をする以上,たとえそれが武器であろうと,より多い利潤に従って売買されるべきは当然であろう。それともこの堂々と見える男の魂胆のどこかに,それが武器であるからには,どちらか一方に組するべきだという考えがひそんでいるのであろうか。まるでフィレンツェの染物屋の娘が一人の男を思い通してでもいるかのように。それとも有利な一方に賭けるのがおそろしいのか。いずれにせよ首鼠両端の態度のなかには,笑いの動機は見当たらない。もしあるとすれば,彼が自分のそうした二股掛けを,何らかの意味で,悪いことと感じる,そうした通俗的な道徳感覚から生まれている。(中略)だが問題がここにある。

もしそれが背信であり,悪であると感じるなら,そのような自分に従うべきである。通俗的であろうとなかろうとあくまでこの道徳基準に従わねばならぬ。他方,もし両陣営に武器を売り込む決意をする以上,それをよしとする自分がいるはずである。いなければ,それをつくらなければならぬ。道は二つに一つしかない。

ところが津田は二股掛けを悪いと感じつつそれをあえてしているのだ。ということは,低い道徳感覚を抱いているにもかかわらず,それに従うこともしないし,また新しい道徳をつくりだそうともしないということだ。私は妻を殺害した。妻の情夫を刺し殺した。だが,その瞬間,私はそれを悪とする道徳基準をも打ち砕かねばならなかった。こうして私は新しい道徳基準をつくったが,こんどはそうした新しい基準を支え通すために,私は自分のすべてを賭けなければあらなかった。そこには人間の品位がかかっている。人間の意味がかかっている。私はそう感じた。私にとって,この支える意志のみが一つの生きる意味だったのである。

この導入が,その後,“尾張の大殿”=織田信長と見事に対比されている。そしてそれは,矢作俊彦が描き続けてきた物語とどこかでつながっている。つまり,アメリカン・ハードボイルド・ディテクティブ・ノベルではないハードボイルド小説だ。以前,高橋源一郎との対談のとき,矢作俊彦が織田信長が象のなかで夢見る小説を書きたいと語っていた。『安土往還記』を読みながら,そのことを思い出す。辻邦生の小説とつなげられたら,矢作俊彦は嫌な気分になるだろうか。

谷口ジロー

1980年代が始まりしばらく経った頃,熱病に浮かされたように矢作俊彦が書く文章を探してまわった。その後,名前も忘れたA5判中綴じのアダルト雑誌に突然掲載された,同じく名前も忘れた執筆者の一文にあったように,それは「紙ナプキンに記されたメモ書きでも矢作俊彦の文章なら何でも」というくらいの熱病だった。

少しすると,この小説家がいくつかのペンネームを使い分けていることに気づいた。書店や古書店に入るたびに「自分が知らないだけで,この棚に並んでいる本や雑誌,マンガのなかに矢作俊彦の文章が埋もれているかもしれない」,そう考えるだけで,「とにかく浚えるものは何でも浚おう」そう思うのにそれほど時間はかからなかった。

そのようにして,私は1980年代,数多の本や雑誌を「矢作俊彦の文章が載っていそうなもの」と「そうでないもの」に区分けしていった。本と雑誌の見方は以後,今日まであまり変わっていない。

原作者「関川夏央」とクレジットされたマンガを何冊も買って読んだのは,だから「関川夏央」が矢作俊彦のいくつかのペンネームの1つではないかと感じたからだ。当時,きまぐれに記していた日記には“誤読”の痕跡が残っている。しかし,それらのマンガには矢作俊彦の文章に似たところがあるものの,のめり込めない。関川夏央原作のマンガをほとんど描いていたのは谷口ジローだった。私はカスタムコミックを毎号買っていたので,他にほんまりゅうや松森正の画による作品も読んだ。谷口ジローのマンガを読むよりも,関川夏央が矢作俊彦のペンネームでないことは容易くわかった。

谷口ジローはすでに「マンハッタン・オプ」シリーズで矢作俊彦とタッグを組んでいた。シリーズ第1巻のカットはまだ,硬質なタッチでどこか無理をしているように感じたものの,第2巻になると雰囲気がフィットしてきた。

ケチがついたためか「Official Spy Hand Book」シリーズは2作で途絶してしまったものの,数年後,「眠れる森のスパイ」でシリーズは事実上再開し,まとまった。いや,単行本としてという意味ではなく。

雑誌「GORO」に連載された「サムライ・ノングラータ」は当初,とてもよくできたマンガだったけれど,原作が遅れたからだろうか,後半はなかなか盛り返すことができないまま終えてしまった。

「NAVI」で自動車教習所(矢作俊彦は運転免許を保持していない)入学エッセイの挿絵を谷口ジローが担当したときは,すでに80年代の力強いタッチは消え失せ,どこかひ弱で,人物の立ち居振る舞いは後期萩尾望都にも似てギクシャクしてしまった。もちろん,矢作俊彦の文体も変わっていたけれど,谷口ジローのタッチの変化は悲しいだけだった。

10年ほど前,小説現代の増刊号として「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」が掲載されたとき,カットを谷口ジローが担当した。結果として,これが矢作俊彦と谷口ジロー,最後の共作になる。

最初,この絵を見たとき,とにかく目に力のない絵が気になった。今見ると,大して変わっていないじゃないかと少し思うものの,書店の店頭でこの絵を見たときの“落胆”を覚えている。

当時,Webで谷口ジローが久しぶりの矢作俊彦との仕事に力を入れているという趣旨の文章を読んだ記憶があるのだけれど,変わってしまったなあ,と。今,検索してみても谷口ジローのブログはひっかからないから,どこかに記したものだったのかもしれない。とにかくそういう文章を見た記憶がある。

谷口ジローの訃報に接して,新作を読むことができなくなった悲しさとは違う,いや新作を読むことができなくなった悲しさではなく,なにがしかの感慨を覚えたのだ。

週末

土曜日は午前中に少し掃除をして,お昼は家内,娘と近くのインド・ネパールカレー店でとる。そのまま茗荷谷で床屋に。混雑していて終わると18時前になっている。池袋三省堂書店で開催中の古本市を覗く。文庫1冊,マンガ2冊,長崎原爆投下前後の医師の日記を買う。待ち合わせていた家内と夕飯を買って家に戻る。

日曜日は朝から海老名で取材。2年ぶりくらいに海老名に降りたところ,ららぽーとができていた。人の流れがJRのほうに変わっていて,かなりの賑わい。昼過ぎに終わったので,何軒か古本屋を覗きながら帰ろうと思う。

とりあえず新百合ヶ丘で降り,駅ビルのブックオフを覗く。シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル 再論』がようやく見つかった。坂口尚『VERSION』(上)も。新百合ヶ丘に降りたのも久しぶり。海老名のほうが賑わっている感じがする。

向ヶ丘遊園に行き,インドールで昼食。ブックオフに入るが何も買わず。線路沿いの古本屋に行こうと思ったら,いつの間にか潰れていた。

高田馬場のブックオフで108円文庫本を3冊購入し,夕飯を食べて家に戻る。

Amazon

データの整理に時間がかかり,21時近くに事務所を出た。ふつうの冬の一日。

『沈黙』に続けて,辻邦生の『安土往還記』が読みたくなった。

江戸川区に引っ越した時期に,あのあたりの空気の影響なのか,持っていた本の状態が軒並み悪くなった。染みが浮き出したりページがくっついてしまったり,紙がざらついたり,それは非道いものだった。数年後,親は千葉に引っ越した。すでに家庭をもっていたので置く場所に困り,選別しないまま私の本を一式預かってもらった。

千葉の実家を整理するときに,あらめて本を確認したところ,そのあまりの状態の悪さに辟易した。繰り返し読んだための状態の悪さならば,まったく気にならない。手元にある『どくとるマンボウ航海記』(角川文庫版)や『八十日間世界一周』(角川文庫版)は読み返しすぎて草臥れかた甚だしいけれど,手放す気になることはない。悲しいことに,そういう状態ではなかった。

そのとき,かなりの本を処分した。著作集を含め,辻邦生の一連の本も処分したなかにあった。非道い状態ながらも『北の岬』は取り読み返したため,当時読んだ文庫本のまま手元にあるのはそれくらい。ハードカバーでは『背教者ユリアヌス』に『フーシェ革命暦』,どうしたわけか『時の扉』はある。一冊ごとの区別がつきづらい辻邦生のエッセー集は,幸い被害が軽かったので一抱え置いたままだ。

書店に入るたびに『安土往還記』を探したが見つからない。絶版ではなさそうなので,単に置かれていないということだろう。いつの頃からか,カウンターで本を注文しようとは思えなくなった理由はよくわからない。結局,Amazonを利用することになる。1冊だけ配送してもらうのは忍びないため,岩波ブックレットの「相模原事件とヘイトクライム」と一緒に注文した。これは店頭で一度買い逃し,その後,書店で見つけられなかった。

年末の飲み会で,Amazonプライムの話になったとき,昌己は信条としてAmazonを利用しないという。信条なのだから,その是非を問うものではない。昌己に倣うとすると,品揃えが自分の趣味と合う書店が近くにないかぎり,大規模書店で本を探さざるを得ない場合が多くなるだろう。古書店はさておき,もともと本との出会いとはそういう類のものだったと思えなくはない。加えて,「同じネット書店でもAmazon以外を使えよ」と。紀伊國屋書店やジュンク堂書店,三省堂書店のWebサイトで本を探すくらいなら,お店に足を運ぶ。しかし……。

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