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くるりのライブに出かけた。台風でラスト中止になった音博以来,5か月振りのライブ。

東京テレポートで家内,娘と待ち合わせたものの,時間を30分間違えていたと連絡が入り,先にDiver Cityのフードコートで待つことにした。仕事のメールが入ったので返信を一本送り終え,開演15分前にやってきた。

時間がないのでドリンクを交換せずに,そのままフロアに入る。

シリーズNOW AND THENはアルバム「アンテナ」まででストップしている。ベスト盤リリースのツアーとはいえ,「NIKKI」からの曲が多いかもしれないと思いながら待っていると,いきなり「ワンダーフォーゲル」から始まった。シーケンサの同期はなしに,ドラム森信行,ギター山本幹宗,キーボード野崎泰弘の編成。2曲目は「トレイン・ロック・フェスティバル」,「魔法のじゅうたん」と続く。この曲が演奏されるのを前回観たのは,キーボードが鈴木正人だったときかもしれない。

ゆるいMCの途中,「まじめにやれ!」とヤジが飛ぶ。一瞬,空気が重くなった。そのときに沸き起こった妙な気持ちに,ああ,ライブっぽいや,と感じた。

その空気を抱えたままの「愉快なピーナッツ」は,とにかくベースの音が素晴らしかった。レンガのような質感とでも形容すればよいのか。

このあたりでドラムがクリフ・アーモンド,ギターは松本大樹に変わる。怒涛の「NIKKI」中心のセットに様変わりする。

長崎

中華街を横切り,路面電車の停留所を探す。長崎の街並みはやはり昭和40年代の横浜に似ている。海と山の近さは神戸風だけれど,中華街から一本海沿いのあたりの感じが,長崎にはまだ残っている。

路面電車で大浦天主堂下まで行き,拝観。夕方になっていたので,人通りは落ち着き,静かな観光地をいう雰囲気だった。路面電車で出島まで戻る。

カフェわかば堂は,それこそシルクセンターあたりそのものという佇まいのビルの2階にある喫茶店。店主のシマカワコウヂさんは,もともとはバァテンダーだそうで,音楽紙芝居楽団「うちゅうばくはつがくだん」で活動されている。わかば堂のスタートは北千住で,数年前に長崎に新たに店舗をつくられたとか。長崎の話,東京での活動の話,シマカワさんのお話は面白く,コーヒー,ケーキもおいしい。

  • うちゅうばくはつがくだんの公演予定(3月

シマカワさんは100枚以上の絵をもとに紙芝居を演じるそうだ。テーマは聞き語りをもとにした東京空襲のもの。青山空襲の話が出たので,思わず北杜夫の『楡家の人びと』の最後について伝えてしまった。

コインロッカーに預けた荷物をとり,JR長崎駅に向かう。長崎には一度,学会出張で来たことがあるものの,あのときはたぶん福岡から電車で長崎まで来て,帰りも長崎を経由した。駅前と学会上の記憶しか残っていない。長崎市の位置はもとより,長崎空港,ハウステンボスとの位置関係など初手から把握していない。ガイドブックを捲り確認したところ,長崎からハウステンボスまで1時間半近くかかる。空港を中間にして長崎市とハウステンボスは南北に離れて位置していたのだ。

駅でハウステンボス行きの電車を確認すると,18時過ぎの便があった。で,車中1時間半。日が暮れたなかを家内,娘ともどもうとうとしながらハウステンボスをめざす。

20時近くに駅に着く。なんだか海浜幕張駅っぽい。(つづきます)

長崎

週末を利用して,家族と長崎にきた。

10年以上前,仕事で長崎にきたときは,空いた時間に「梟の城」を見たこと,道路の傾斜に躓き額を強打したこと,島原でも仕事があり,真っ暗ななかを電車で戻ってきたことを思い出した。

出発8時台の飛行機を予約したため,家を6時過ぎに出た。このところの強風で,弟一家から「飛行機がかなり揺れた」と聞いていたので心配したものの,幸い大して気にならなかった。

長崎に着いたのは10時半くらい。リムジンバスで市街地に向かう。リムジンバスで過ぎる町に暮らす人の生活はほとんどイメージできない。できないからバスの窓から道と建物の様子を眺めてしまう。

バスセンターのコインロッカーに荷物を置いて,出島のあたりをぶらぶらする。1960年代の映画に出てくる横浜のような景色。

BLUEPRINTで昼食をとる。洒落た店。路面電車で思案橋に向かう。飲屋街を越え,辺りの店を見てまわる。大正堂書店に入った。まず店先に『沈黙』公開記念の遠藤周作フェアの箱がつくられているのがみえた。店内のキリシタン関連書籍,原爆関連書籍の圧倒されるラインナップを見て,地域の古本屋ってこういう役割なのだなと改めて思った。宇都宮の山崎書店もそうだった。時間があまり取れず,何も買わずに店を出た。

ツィゴイネルワイゼン

夜は弟一家と高田馬場のタベルナで夕飯をとる。12歳になった姪は背丈は大きくなったものの,ふるまいは子どもの頃と変わらない。ほぼ貸切状態で2時間ほど,あれこれと話す。ニューヨークは民主党の牙城だから,トランプに対して批判的な意見が多い。どうなるかわからないし,というのは日本も同じなのだろう。

夢に徹が出てきた。鈴木清順の訃報のせいだろう。夢のなかの徹は,相変わらずサラリーマン生活をしていた。

その頃,すでに「陽炎座」まで公開を終えていて,たぶん「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」は意外と早い時期にビデオ化された記憶がある。その違いをうまく言葉にできないものの,当時から「ツィゴイネルワイゼン」は好きだけれど,「陽炎座」は今一つ,というのがわれわれのなかで常識のようにまかり通っていた。

「ツィゴイネルワイゼン」と「陽炎座」いずれも観たけれど,どうしてもセットにして考えることはできない。それはたぶん私は「ツィゴイネルワイゼン」を観てから内田百閒の「サラサーテの盤」を読んだことが,結果として関係しているのかもしれない。徹や昌己がどうして同じように感じたのかは聞いたことがない。

旺文社文庫において内田百閒の小説,エッセイ,座談・対談,日記に歌集まで網羅するラインナップでの刊行が始まったのは1979年,『実説艸平記』の刊行は1983年とある。だから当時,旺文社文庫で内田百閒を読み始めたわれわれは,映画「ツィゴイネルワイゼン」を観て,ほとんど事前の情報なしに「サラサーテの盤」を読んだ(文庫の解説に映画のことを触れてあったような気もするけれど)。反対にすでに「サラサーテの盤」を読んでいて,映画「ツィゴイネルワイゼン」を観た人は,これも想像にすぎないけれど,映画公開時にある程度の年齢だった人なのではないか。内田百閒というと,漱石門下で「夢十夜」の続きのような作品,つまり『冥途,旅順入城式』に収められた作品を描いた小説家としての印象が強かった。「サラサーテの盤」もその系統の短編だ。ノンブルをつけずに本(『冥途』だったと思う)をつくってしまったため,乱丁がかなり出たというエピソード,「いやだからいやだ」などとともに知られていたのだろう。

旺文社文庫で多くのエッセイを初めて読み(もしかしたら六興出版でエッセイを読み始めた読者がいるかもしれないが),その面白さを発見したわれわれにとって,「ツィゴイネルワイゼン」が1980年に公開された意味は,だからかなり大きい。

そんなことを思い出した。

3/19のみちくさ市で鈴木清順を偲び,「ツィゴイネルワイゼン・セット」(仮称)を並べることにした。セットの中身は『実説艸平記』と大谷直子+稲越功一の写真集。当然,1セットのみ。

カルテット

娘はバイト先の同僚と食事会だという。夜は,家内と待ち合わせて茗荷谷のtamayaでとった。昼にお弁当を買ったことは何回もあるけれど,夜に入ったのは初めて。野菜が旨く,グラスワインは格別。もっと早くから入ればよかった。コストパフォーマンスがよい。

家に帰り,「カルテット」を観はじめると,娘が帰宅。3人であれこれ話しながら観た。

昨日,申し込んでおいた3月のみちくさ市,出店できることになった。お礼のメールを送り,ブログに参加の告知をアップした。新しめの本で読み終えたもの。かつ,手元に置いておかなくてもいいと思えそうな本を少し多めに,あとは書棚や床に積まれた本のなかからピックアップして並べる予定。

「カルテット」は回想場面中心で,夫婦の価値観の違いをていねいに描いていく。ただ,あの先に,いつの間にか価値観が重なっていく瞬間が増えていき,それが家族のダイナミズムにつながると思うのだけれど,そこを描いてしまうとこれまでのドラマのエピソードに繋がらないので,あそこで留めたのだろう。

昔,加藤和彦の『それから先のことは』というアルバムを初めて聞いたとき,安井かずみの歌詞がよくわからなかったのだけれど,あるときから印象がガラリと変わった。家族をもったことが一因だったのかもしれない。

「カルテット」第6回は,後半3分の展開に騒がれているけれど,かえってあの3分で落ち着いた感じがする。時間弱を短くしただけで,あれはこれまでと変わらない流れだから。

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