整理

会社ではここ数年,この時期恒例の顔合わせがあり,事務所の空気が澱む。来年の企画の確認など,21時近くまでメールを連打する。家に帰ったら,Windows7をまた復旧させるのだけれど,今度こそ大丈夫だろうか。

というわけで,ラップトップの前に陣取る。以前から使っていた外付け,新たに購入した外付けそれぞれを繋ぎ,立ち上げる。この間の流れをここ数日で整理したものの,結局,どちらに何がどのような段階で保存されているか見当がつかない。

まず,システム復元ポイントを少し前に戻してみる。結果は同じ。デスクトップにフォルダが現れるものの,前回の復元でもデータが入っていたフォルダには入っていて,入っていないフォルダには入っていない。スネークマンショーみたいだな。

ネットで検索し,復元には保存された時間とともに,内容に「システム復元」と「バックアップ復元」の2つがある。厳密には復元不可能な記録もあるのだけれど,それはさておき。少し前に戻したポイントのデータはシステムだ。バックアップがあるこの前の日曜日のデータで再チャレンジする。日曜日は,すでにトラブルが起きてしまっているので,その時点に復元してもあまり意味はないような気がしたのだが。

結果は同じ。スネークマンショー状態だ。再度,ネット検索。Windows10上に反映したデータはバックアップデータのはずなので,この間,外付けに保存されたバックアップデータを復元してみようとは思いもしなかった。とりあえず,バックアップデータの復元ウインドウを開くと,かなり下層まで入り込めた。そこに消えたデータが残っているような痕跡が現れる。とりあえず自分のアカウント分もフォルダを復元させてみる。圧縮データが解凍されるように,消え去ったデータが戻ってくる。待つこと数十分。途中,ウインドウズの更新ウインドウが開き,あわや再起動かかりそうなところを,窓際で防ぐ。

ということで,無事,Windows7のデータはもとに戻った。改めてデータをチェックしてみると,これらをすべて別のところから揃えるなんて不可能だということはわかった。復元できたからそう思うのだ,もちろん。

今日はフォルダごと外付けHDDにコピーし,そこからWindows10にコピーすることにしよう。いったい,全体を移すのに何日かけているのだろう。結局のところ,外付けHDDにバックアップとったにもかかわらず,そのデータがWindows10できちんと反映されていなかったため,Windows7でそのデータを解凍することを躊躇ったのが致命的なミスだったようだ。

すべてを正確に把握できたとはまったく思えないものの,とにかくデータが出ただけでもうけもの。

参考サイト こちら こちら

整理

どうした段取りなのだろう。Windows7の復旧ツールをスタートさせてしまったのは。

たぶん,バックアップ先を外付けに指定した後,Dドライブに戻せなくなり,しかたなく復旧ツールを使ったはずなのだ。そのあたりの前後関係をすっかり忘れてしまっている。

とにかく気がつくと,Windows7のデスクトップの状況が,Windows10同様になってしまっている。フォルダを開くと,データは何も入っていない。これにはかなり焦った。焦ったので,記憶があいまいだ。

状況はさらに混沌としてくる。Windows7のバックアップデータをとにかく復旧させなければ。

データを整理する手間は本当に面倒だ。あちこちを当たれば,7,8割方,復旧させることは可能だろう。幸いWebのデータはかなり安定しているので,キャッシュを集めていくことなんてばかげたことをしなくてもバックアップがとれる。いや,一度,キャッシュを集めて,吹っ飛んだサイトを復旧させたことがある。できないことじゃないのだが。

観ながら復旧をすすめていたドラマはすっかり終わり,ニュース番組になってしまった。また夜が近づく。Windows7はなんとかなるのだろうか。

整理

お昼に義父の家にある本の買い取りを依頼しているので出かけた。素人目にもかなりの本は状態がよくない。それでも焼却せずに次の誰かの手に渡る可能性があるなら,少しでもいいので渡したかった。1時間ほどで査定を終えてもらう。今回,手つかずだった本は別の古本屋に相談してみようと思う。

昼食をとり,出社。二階から本をおろすのに何回も往復したので疲れてしまい,仕事は早めに切り上げた。夕飯をとって帰り,高田馬場のブックオフに秋元波留夫『99歳精神科医の挑戦 好奇心と正義感』(岩波書店,2005)が108円で出ていたので,井手英策『日本財政 転換の指針』(岩波新書,2013)と併せて購入。テレビドラマを観ながら,パソコンのデータを移す作業を続けた。

ところが,バックアップデータと転送データ,リカバリーがごちゃごちゃになってしまう。さらに,バックアップデータを反映させようとすると,データ破損のためか,途中で中止になる。

整理してみる。

当初,Windows7の転送ツールを使ってデータを移そうと考えた。そのために用意したのが1Tの外付けHDD=Aだ。数年前から使っている500Gの外付けHDD=Bは残りのメモリが200Gを切っているので容量不足だった。

Aに転送データを作成できた。ところがWindows10にはこのツールを使って,データを移すことができないという。慌ててバックアップデータをAに保存し,これを開いてデータを反映させることにした。

ただ,Windows7には家内と娘のアカウントがあるにもかかわらず,バックアップデータを開く段階で,Windows10には2人のアカウントをまだ作成していなかった。メールアドレスをネックに感じていたのだけれど,これはよくよく考えると,メールアドレスなしでもつくることができるという記事を読んだので,先に二人のアカウントをつくっておかなかったことが第一のミス。

Windows10にデータを移したところ,無事,Windows7のデスクトップにあったフォルダが現れた。続けて,メールデータを移行させようとするとうまくいかない。Thunderbirdからデータをエクスポートするにはアドオン“ImportExportTools”を使えばよいとあった。Windows10で誤作動しないか不安だったものの,とりあえずWindows7を立ち上げ,Thunderbirdに“ImportExportTools”を加える。エクスポートしたデータは外付けBにフォルダをつくって置くことにした。外付けAはデータの移行時に時間がかかり,その後,少し不審な動きをしたので,メールデータだけならBに保存できるはす。

無事,私と家内のメールデータは外付けBにエクスポートできた。

Windows10のThunderbirdに“ImportExportTools”を加えて,外付けBからインポートする。少しトラブルがあったものの,私の分と家内の分,それぞれのメールデータが反映できた。

ホッとして,デスクトップのデータを整理しようと開く。ところが,フォルダのなかにデータが入っていない。そういうフォルダがいくつかできてしまっていた。サイト用にまとめてあったデータや画像データなど,もう一度データをまとめなおすには手間がかかるものが入ったフォルダに何も入っていないのが面倒くさい。今や必要のない仕掛の一時データは全部反映されていて,まったく事の優先順位などおかまいなしのバグだ。まあ,そういうものなのだろうけれど。(続きます)

保存

義父の家の片づけは急ピッチで進む。衣類と書類の多さは,自分の親のマンションを整理したときにも感じたけれど,戦中から戦後を生きた世代にとって地層のようなものなのだろう。加えて,布団,座布団類の多さ。

田舎育ちの両親が都会に出てきたとき,「布団一組あれば,何かのときには質に入れて急場を凌げる」といわれたそうだ。その記憶から,子ども(私や弟,妹)が家を出るときに綿を打ち直した布団を一組もたされた。たぶんそういう急場の凌ぎ方は昭和50年代に廃れてしまったのではないかと思う。テレビドラマ「黄色い涙」の頃を境にしてという感じがする。

もたされた布団はいまだに家にある。マンションのウォークインクローゼットからはじき出され,先日まで,マットレスの下の方に重ねて睡眠時のフットレスト? のようにして使っていた。今年の夏は忙しくて,ほとんど布団を干す暇がなかったため,ダニが出てしまったようで,足首に続けざまの噛痕が残ってしまった。週末,数か月ぶりに干したあの布団は,そうすると日なたの匂いとともに十分に膨れる。それでも,来客が泊まるスペースをほとんど確保できない今の家に,来客用の布団が必要になる時間を見出すことは難しい。

家一軒整理するなかで目の前に現れるのは,一組の布団どころではない。似たような背景が,目の前のものと繋がる。いや,繋がってしまう。存在を知らなければ,そのまま過ぎたものが現れる。貴重かもしれないけれど,その貴重なものを家は結果,数十年にわたってただ保管してきた「だけ」なのだ。保管してきただけのものを,どうすればよいのだろう。自分に置き換えて暮らしを眺める時間はすでにない。時間があったときには自分に置き換えようなどとは思わないから,結局,親たちが残したかったものを,子どもは引き受けることはほとんどできない。

仕舞い込むスペースを確保できる条件があれば,それらはさらに20年くらいの間,この世に残る。サン=テグジュペリいうところのそれは遠近法の差だ。いずれにしても,悩んだり考えたりする時間が少しでももてたならば,それで十分じゃないか。いくばくかの負い目を背負えば,思い出すことができるかもしれない。そう思うしかあるまい。

同じ時期にパソコンを買い替えた。

最初に手に入れたパソコン,PC98のFDは一枚も残っていない。他のフォーマットに変換した記憶さえない。当時,プリントアウトした用紙が一束,それでもまだ手元にある。ポケットの奥をかき回すように,だからその一束を読み返すことは容易い。おかしなものだ。

次に買ったMacのPerfoma575はまったく飾り物だった。「おばあちゃんとぼくと」は娘が少しは遊んだし,「キッドピクス」は年賀状用のイラストデータをつくるのに使った。でも,それくらいのもので,データはいうまでもなく,痕跡が残っているのは手製の年賀状数枚くらいかもしれない。

饅頭iMac G4を手に入れたのは2002年の秋のことだった。10年くらい前,キーボードの接触がおかしくなってからはほとんど使っていない。汎用性のあるデータをUSBメモリに移して,あとはそのままにしてある。特にメールのデータはうまく移行できなかったので,iMac G4のなかにほとんど残ったままだ。ただ,残っている「だけ」。そろそろiMac自体,廃棄することを考えているから,それとともに保存されたデータは雲散する。自分の40歳代にまつわるデータが消えるのは,意外とよいことかもしれない。

ここ6,7年はWindowsを使っているが,OSはこの間にXP,7,そして10と変わっていった。概ね互換性があるので,ここ6,7年の間のデータは生き残っている。豚の記憶には劣るものの,人が暮らしていくなかが,手札として抱えておくのはその程度で十分かもしれないと思う。

メールは保存していてもしかたないものがほとんどだから,かなり整理した。手紙を整理するよりも踏ん切りがつきやすい。音声データや画像データは削除しづらい一方で,クローンがあちらこちらにあって,限られたデータ保存量を食い潰す。複数の箇所に置いてあると,探しているときは見つけやすいものの,それをまた別の場所にコピーしてしまう悪循環。

データを移行させていると,結局,自分がどうでもよい日々を送ってきたことが現になるだけで,だんだんむなしくなってくる。まあ,それは今回に始まったことでもなんでもなくて,以前からデータを移すたびに感じてきた。

今さら言ってもしかたないことだ。

Windows10への移行

mouseのセッティングを終えた後,Windows7のデータを移行させる。

Webで検索したところ,Windows7にインストールされている移行ツールが10では使えないというので,外付けハードディスクにバックアップをとり,そのデータを復元する。データの復旧に予想以上に時間がかかった。

とりあえず今回のセッティングのキモは,モニターからの距離をどれくらいとれるかだ。32インチの大きさにはリスクもある。

データ移動用にはELECOMの1.0TBの外付けHDDを購入した。ポイントを使って3,000円くらい。mouseのHDDはあまり大量にデータを保存できる容量ではないため,移行が済んだら,こちらもデータ保存用として使う予定。耐久性はどうなのだろうか。ついこの間,会社の外付けで非道い目にあったばかりだ。

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