杉作J太郎

『杉作J太郎が考えたこと』(青林工藝舎,2011)は名著だ。特に東日本大震災後の原稿は,そのままあちこちに貼り付けたり回覧したくなるくらいに,まっとうなことが語られている。まあ,J太郎が世に出したもので,まっとうなことが語られていないものなど(ほとんど)ないのだが。何度読み返したかわからない。

本書のあとがきに,もとになるおよそ10年にわたる連載を読み直して,エロに関する記述が圧倒的に減っていることにみずから気づき愕然とするくだりがある。

J太郎になぞらえていうと,綱渡りしてきたこのサイトのなかに,「笑い」「自嘲」に関する記述が減っていることに気づいたのは最近のことだ。そんなの,今に始まったことではなく,サーバ上にデータをアップしはじめてしばらくして,学生時代のばかばかしい話が尽きたことは薄々感じていた。読んでいる本の抜書きや日常,矢作俊彦やくるりなどについて,まとまった文章を書いたり画像をあげたり。そんなふうに変化したのは当然のことだ。

元々,「今日のことは書かない」というゆるい縛りだけでデータをアップしてきたので,「笑い」や「自嘲」につながることは記されなくなってもどうということはないはず。なのだけれど,ここしばらく何を書いたのかすっかり忘れてしまい,数か月前のページをクリックしては,あまり出来のよくない他人のブログを読むような気持ちがする。

週に数回,まとまった文章を更新続けるサイトを目にする。しかし,自分以外で,中途半端な感じのサイトに遭遇することはあまりないような気もしてきた。それが特徴といえば特徴なのかもしれない。広告を入れないというポリシーは何とか続いている。これは以前記したように,20代で見聞きした広告業界に対する忌避感ゆえなのだけれど。

こんなとき,J太郎だったら,どう考えるのだろうかと思いめぐらせる。

やってみなければわからないなんて

通り過ぎるあちらこちらがクリスマスの飾りで賑わっている。それにしては全体,なんだか静かな感じがする。

相変わらずシューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』を捲り,昨日からはアマルティア・センの『人間の安全保障』(集英社新書)も捲り直しはじめた。北杜夫,夢野久作,石森章太郎,望月三起也の本を読み,音楽はKing CrimsonにP-MODEL。YoutubeでSKYの2ndを見つけた。ほとんど1980年の年の暮に同じようなことをしていたという記録が残っていても不思議でない。いつが頂上だったのかはわからないけれど,すでに何らかの折り返しは1980年あたりまできているのかもしれない。

1980年代のはじめにロバート・フリップ経由で,というよりは滝本誠経由で『スモール・イズ・ビューティフル』という本があることを知らなければ,数年後,講談社学術文庫に同書が登場したとき,もう少し違った読み方ができたような気がする。

グルジェフ,ウスペンスキー,ベネット。コリン・ウィルソンにフィリップ・K.ディック。バラードや山野浩一,それらに連なるものとしてシューマッハーを認識していたので,おおよそそれはまっとうな考え方ではなく,オルタネイティヴを実践するためのOSのような役割だと思っていた。学生が労働や技術,科学についてあたりまえに認識するには圧倒的に実践が不足していた。

イギリス経験主義万歳ではなくて,やらなければわからないことがある。当時はそれを嫌っていたし,たぶんニューウェイヴは経験主義に対するアンチテーゼとして登場したはずなのだ。折り返してみて一番違っているのは,そこに対するとらえかただろうと思う。

言うだけで実践が伴わない。それはシゲさんに言われたことそのもので,でも,当時,われわれは誰もほとんど実践をしていなかった。殊に私は。そしてまた,シゲさんも実は,言うだけだった面があるのではないかと思う。シゲさんが亡くなった年齢より10年歳を取った私が一体,何を実践したのかはさておき。

自分で稼ぎ始め,何とか自活できるようになり,所帯をもつ。子どもが生まれ,家を買い,両親を看取る。そのあたりでようやくオルタネイティヴへの認識が1980年代と違っていることに気づく。フリップが小さくて可動性のある知的なユニットを謳い文句にシーンに復帰したとき,ドライブ・トウ・1981とか1984への退行とか,スローガンを掲げたとき,オルタネイティヴの切実さはKing Crimsonが稼働していた当時より遥かに実践的だったに違いない。

自分で稼がない身にとっては平井和正の『幻魔大戦』程度でも十分にオルタネイティヴだったような気がする。半ばネタではあったけれど。

「中間技術」だとか「地産地消」だとか,そういう考え方と実践の大切さが自分と等身大になり得るには,時間が必要なのかもしれない。そこを一気に飛び越えてしまうと,似て非なるものに変質する危険性を孕んでいる。

そんなとき,筋肉少女帯の「モーレツ ア太郎」を繰り返す。あの歌は「時間をくれ」という叫びなのではないかな。

移動

午後から,義父の家を片づけに出かけた。年内にきれいにする必要があり,限られた時間で,どこまで整理できるか綱渡り。

家全体の整理は義弟さんにまかせ,本や箪笥のチェックを済ませた。家族が暮らした家を更地にするには,切り捨てざるを得ないもののほうが多いことを思う。残るものは限られている。残したいものは際限なくある。

隣り合わせの居間と茶の間にそれぞれ配置されたテレビとブルーレイレコーダーのうち,片方を梱包する。義弟さんの車で家まで運んでもらった。家のテレビより大きく見えるので使わせてもらおうと携えたはいいが,家に帰ると同じ32インチだった。Mac miniを買おうかどうか悩み,結局,選んだのは少しスペックを上げたmouseのminiだ。

最寄の駅まで歩いて数分。商店街で日常の買い物は事足りる。自転車で新宿や池袋まで行けない距離ではない。そうした土地に20年近く住むと,日常,車の必要性を感じることはほとんどない。娘が小さい頃,夜間に病院の救急外来に行くときも,タクシーが手当できないことなどなかった。

義弟さんの車に荷物を積み,家まで送ってもらう途中,久しぶりに夜の青梅街道を上った。車中で娘さんが免許をとった話になり,それがマニュアル免許だというので教習所で珍しがられたのだという。いきおい話は高齢者やオートマ車の事故報道になる。昭和の終わりから平成のはじめにかけての数年間,伸浩のレヴィンを運転したときの記憶が蘇る。

移動の問題なのだ。

転売

風邪がどうにか治まり,怠さと眠気がスッと体から抜けた感じの目覚め。

数日ぶりに定時に会社へ出かけられた。帰りは大塚経由で古本屋,本屋を覘いたけれど,結局,何も買わなかった。新聞の折り込み広告にMac Book Proが20台限定で50,000円ほどで発売されるのを見た。ネットで検索すると4年前のモデルとはいえ,自力で拡張可能なMac Book Proとしては最後のモデルらしく,購入意欲が湧く。

今朝は7時過ぎに起き,8時に電気店の前に並ぶ。3人目。2人目は独語の激しい60歳過ぎの人で,4人目以降は転売目的のグループ数名。5,6年前にWindows PCを目当てに並んだときにも感じたのだけれど,あの転売目的のグループはどことどのようにつながっているのだろう。「転売目的の人には売らない」というチラシの注意を横目に「転売以外で誰が並ぶかよ」と言い合っているワイルドさ。

9時半に抽選券が配布され,近くの駐車場で抽選会が始まる。20台に対して90人近く列をつくったようだ。結局,外れてしまい,寒さが身に沁みる。大槻ケンヂが形容するところの“競艇場の駐車場で,イリーガルな博打に精を出すまるで「バイオレンスジャック」の一場面のような光景”。池袋だから「黄金都市編」か。

朝食をとり,事務所に出かける。座談会の原稿をまとめはじめた。アルバイトを終えた娘から連絡が入ったので昼食を一緒にとる。その後も仕事。

朝の寒さのせいで,風邪がぶり返さなければよいのだが。

2010年いっぱいまでメインマシンはiMacだったものの,その後はもっぱら自宅でWindowsを使っている。またMacに戻ろうかと考えているが,どうも昔と勝手が違うので悩ましい。

夢野久作

夢野久作の小説を読んだのは,昭和50年代が始まってしばらく経った頃のことだ。講談社文庫版全3冊の『ドグラ・マグラ』を読み,そこから一連の角川文庫を読み漁った。古本屋には三一書房版の全集が揃っていたので,これも購入して読んだ。買ったのは宇都宮の山崎書店だったと思う。少し後,箱入りの全集がほとんど同じ金額で並んでいるのを発見し悔しかった記憶がある。

三一書房版全集を通して,結局,埴谷雄高,鶴見俊輔,平野謙,荒正人らの名前を知った。中井英夫の小説は先に読んでいたにもかかわらず。

角川文庫版の『瓶詰の地獄』の解説は中井英夫が書いていたはずで,だから,角川文庫で最初に買ったのだと思う。にもかかわらず,『瓶詰の地獄』の手紙の並び順のアイディアについて,最初に読んだときは,どういうことかわからなかった。筒井康隆ファンの高校の友人に貸したときかもしれない。平然と,並び順について説明され,そういうことかとき理解した。江戸川乱歩から入って,探偵小説,推理小説を読み始めていたものの,初めて読んだメタ系だった。「赤い部屋」や「人間椅子」を,どのように位置づけるかによってそれは違ってくるのだろうけれど。

『ドグラ・マグラ』の「狂人の解放治療」「阿呆陀羅経」は,その後,反精神医学関連の書物を読む契機になった。その意味では夢野久作の小説から受けた影響はかなりあるはず。

ただ,変格派探偵小説とくくられるのが昔から気になっている。広義のスパイ小説,もしくはヘミングウェイと並ぶ戦争小説の書き手なのではないかと思うのだ。それは久生十蘭にも共通する。たぶん,夢野久作の小説のかなりの部分は体験談が元になっているのではないだろうか。文章が決して上手ではない,しかし強烈な文体はもっているあたりを一度,外してみると,そんなふうに見えるのではないだろうか。

夢野久作が不幸であるとするならば,あの文体は対話ではなく,独白であるところかもしれない。

Top