幽霊たち

19時くらいまで事務所で仕事をする。仕事も家のほうも,やりのこしていることばかりあるようで,気が散ってしまう。

アクションリサーチを契機にポール・オースターの『幽霊たち』(新潮文庫)を取り出し,しばらくぶりに読み返している。

自分がブラックのことを身近に感じれば感じるほど、ブラックについて考える必要がなくなるのだ。言いかえれば、自分の職務にのめり込めばのめり込むほど、彼は自由になるのである。相手と結びつくことではなく、相手から隔たることが拘束を生む。

池袋駅あたりで一杯飲みながら続きを読もうと思ったものの,タイミングを殺がれ,高田馬場まで行った。しばらく前,HUBに変わってしまったパブでジントニックのダブルとピクルス。オリンピックのサッカーが放送されていた。店のなかの様子はまったく変わらないし,がちゃがちゃ煩い店員に遭遇しなければ,以前とそれほど変化ない。ただメニューにハギスがないのがつまらない。

矢作俊彦はポール・オースターの小説をハードボイルドとしてはもちろん認めないし,ありがたがる輩にも罵声をあびせかけたけれど,だからといって読まずに済ますのは惜しいと思う。主人公が心情吐露する様と,にもかかわらずモラルはからっぽなあたりが気に入らないのかもしれない。いや,モラルはあるのだけれど,独りよがりの善意が見え隠れする。『幽霊たち』を読み返していると,そうしたことよりも先に,短いセンテンスが心地よく,巻き込まれ具合が愉しい。

20時を過ぎたので店を出た。ブックオフで福永武彦,辻邦生のエッセイ集と他数冊を買って家に帰った。  

網野史観

宮崎駿の「もののけ姫」がテレビで放映されていたので,娘と一緒に観た。

何年か前に同じように放映されたときに観たような気もするが記憶にないので,初めてのことだ。

昔,エヴァンゲリオン放送後,はじめてのブームが起きたとき,「クイックジャパン」で庵野秀明インタビュー記事が掲載された。大泉実成と竹熊健太郎がインタビュアーなのだけれど,自分語りがあまりに多すぎて,その箇所は辟易したものの,その分タイムリーな感じが出ていた。雑誌の記事は本来,そういうものなのかもしれない。阪神淡路大震災とオウム真理教事件から時間が経っていないことも加わり,1996年あたりというのは少し様子が違う空気感があったことを思い出す。

網野善彦の本をポツポツと読み始めたのは平成になってからのことだと思う。宮田登との対談集『歴史の中で語られてこなかったこと』は,面白くて,何度か読み返した。冒頭の語り下ろしに「もののけ姫」の話題が登場する。そのことだけは覚えていた。

「もののけ姫」の冒頭から数十分,網野史観にこれは忠実すぎるのではないか。よくもまあ,このテーマでヒットしたものだと,ビール片手に観ながら思った。

「クイックジャパン」のインタビューで庵野は当時,公開前だった「もののけ姫」に期待していると,独特のレトリックを通して語っている。

20年前の映画についていまさら言ってもしかたないけれど,「カリオストロの城」と「風の谷のナウシカ」を押さえておけば宮崎駿はそれでいいという感想は変わらなかった。

FULLNESS OF WIND

朝,娘を起こし一緒に朝食をとる。先に出て,ひばりヶ丘まで電車で向かう。

病院の待合室で家内と待ち合わせて病室へ。義父は点滴交換のようで,しばらくナースステーション横に間仕切りされた面談室で待つ。しばらくして病室に入ると,一昨日よりは落ち着いたように見えるものの,また一回り小さくなったような感じがする。声に張りがあり腹の響きを感じる。さすがにこの力強さにはかなわないと思いつつも,それゆえホッとする。

医師が病棟にあがってきたので,先ほどの面談室で説明を受ける。

義父から,さしあたって済ませたい書類の発送について聞く。車のキーを預かり,駐車場に止めたところから車検証と免許証をもってくる。この病院は継ぎ足しながら増床,機能対応してきたため,迷路のように病院の全体像がつかめない。

書類を携えて病室まで上がる。オリンピックの開会式が始まったことを伝えたものの,だるさがつらいので観る気にはなれないという。入院書類へのサインするとき「おかしいなぁ,なんだか力が入らないんだ」と言われると胸が詰まってしまう。子どもの頃から習字に馴染み,教員時代には書道も担当していたので,字の書き方にはとてもうるさい人だ。そう思うだけ。そこから先,人の身にはなれないなと思う。

義父の病室を後にし,入院書類を書くために院内の喫茶店に入り,コーヒーを頼む。事務的なことを家内は言っただけなのに,私は途端,胸が詰まり,泣いてしまう。返事にならない。困ったものだ。テレビではオリンピックの開会式が華々しく映し出される。言葉を出せないものだから,スマホでツイートをチェックする素振りしかできない。

何とか深く息をつく。

江古田

会社帰りに江古田に行った。改札を抜けると,いつも雑多な記憶がよみがえる。

今はブックオフくらいしかなくなってしまったものの,昔は南口を出て左手に1軒,ブックオフの向かいにも1軒の古本屋があった。新江古田へ向かう通りにもあったし,踏切を越えたところと,練馬総合病院へ行く途中にも古本屋があった。「粗食」で名の知れたプアハウスの近くには楽譜屋だけでなく,古本屋もあった気がする。

よく利用したのはブックオフの向かいにあった店と南口を出てすぐの店だ。ブックオフの向かいにあった店では中井英夫の追悼写真集『彗星との日々』を買ったはず。南口すぐの店では蚊を追い払いながら外の均一棚を眺め,多くは家内の買い物待ちの時間に入った店内では文庫本がとても良心的な値段だった。記憶のなかでのことだから,実際どうであったかは不確かだ。

娘が生まれた翌日。その雪の夜に,昌己とイラストレータと3人に終電まで江古田コンパで飲んだ記憶はたぶん死ぬまで抱えていくに違いない。好き好んで終電になったわけでは決してなく,店の主人(マダム)に飲まされたからだ。このときの顛末は何度か記した。

国内唯一とされるイスラエル料理店,チョコレート餃子などというものまでメニューに並んでいたLEE。たかが四半世紀程度の記憶にすぎないものの,魅力的な店がいくつもあったし,幸いそのうちのいくつかは今も店を開いている。

北口の古本屋を久しぶりに覗くつもりだった。古いミステリ小説が並ぶ店だ。ところが記憶にある店の場所はシャッターが下りたまま,看板も見当たらない。閉店したようだ。こういう光景にあまり驚かなくなった。

ところがブックオフで数冊本を手に入れてから先,困ってしまった。軽く飲んで帰ろうと思って店を探しながらぶらぶらしたものの,適当な店がない。江古田で店探しに困るとは思ってもみなかった。結局,椎名町まで中途半端に戻り,古本屋を一軒覗いてから駅前で飲んだ。

 

子どもの役割

朝一番で,義理の父の家に向かう。検査結果の説明があるので,一緒に病院へ出かけた。私は四半世紀にわたりペーパードライバーなので,病院まで20分ほどの運転は義父の担当だ。

今年92歳,一人暮らしで家事全般は自分でこなす。週5日,ジムでトレーニングを続けてきた義父が右腹部に痛みを感じ始めたのは1か月くらい前のこと。食事をとると痛みが増すため,徐々に食事量を減らした。いきおい体力は落ちる。尿意はあるものの,なかなか出ない。トイレが夜間頻回になり,睡眠不足で日中,うとうとするようになった。ここ数年,月に数回,会社帰りに寄っては酒を飲みながら夕食を共にしてきた。昔の話から政局,景気の話まで,さまざまな話をした。体調の様子を聞いてからはおでんを買ったり,何種類かの甘酒を携え,出かけた。

地元の病院でCT検査,内視鏡検査をしたものの,原因はわからないという。都下の大きな病院を紹介され,先日,検査にだけ1人で行ってきた。

入口の自動受付機にカードを差し入れ,手続きは完了した。午前9時。すでに外来患者で込み始めている。はじめに採血室で採血と採尿をし,消化器科外来まで上がった。

少し待ったものの,すぐに診察室に入り,簡単な説明があった。義父を先に待合室に送り,数分間,説明を受ける。厳しい事態に向き合わざるを得ない。別の科を紹介され,1時間近く待ち再び診察室に。今度は歯に衣着せず,かなりシビアな説明だ。時間が押しているのか,義父の話を聞くよりも,自分の説明を優先しようとする態度が伝わってくる。ただ,義父はどのように治し,元の生活に戻ることをしっかり抱えている。その医師には興味がないことは明らかだった。それに異を唱えてもしかたないと,どこかに醒めた感覚がもたげてくるのは不愉快だ。あれとこれが繋がっていないことだけは,それでもわかった。

再び,子どもの役割を果たすことになるのか。

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