Revise

【1】仲間と映画をつくろうとシナリオを書いた。「抱きしめたい」と「言い出しかねて」と「王様の気分」。どれもあとで小説(単行本『神様のピンチヒッター』に収録)にしたんだけれど,「言い出しかねて」というのは,どのみち映画にできるわけなかった。なにしろヘリコプターは落ちるし,車は燃える。当時のオレたちでは手に負えなかった。「抱きしめたい」は,いちおうフィルムにして1時間くらいはまわした。でもその時点でヒロインの女の子と喧嘩になっちゃって,結局,嫌になって,やめちゃったんだ。
矢作俊彦インタビュー年譜「小説家になんてなりたくなかった」,p.73-74,別冊・野性時代,1995.

【2】20代の頃書いた短篇小説を読めばわかるけど,全部狭い場所であんまりあちこち動かないでしょ。全部知っている場所で,撮影させてくれそうな場所なんだよ。小説だからそんな舞台を選ぶ必要はないのに,元のシナリオが撮影させてくれそうな場所ばっかり書いているから,現実の場所になっちゃうわけ。
矢作俊彦インタヴュー,p.20,nobody,No.19,2005.

image1image2単行本『神様のピンチヒッター』ではじめて初期の中・短篇を読んだとき,小説第1作「抱きしめたい」に比べると,「夕焼けのスーパーマン」は読みづらい,「王様の気分」は今一つだと思った。すでに『マイク・ハマーへ伝言』『リンゴォ・キッドの休日』を読んでいたので,あの唯一無比の文体 1比べるとガチガチで風通し悪く感じた記憶がある。

しかし今回,読み返してみたところ,かなり面白かった。こんなに格好よかったっけ? というのが正直なところだ。

「ミステリマガジン」1972年9月号に掲載された「夕焼けのスーパーマン」のなか,「二村警部」はこのように登場する。

 電話ボックスは,クラブから五十メートルくらいの所に在った。梟式の光電管が入れた灯は未だ煌々として,逆光が手前に佇んだ男を全くの影にしていた。
 痩せぎすで,背のそう高くない影が俊郎へぶらぶらと近寄って来る。口元に当たる辺から小豆粒くらいの光が弧を描いて路上に散った。活性炭をふんだんに含んだ煙草の,粉っぽい匂いに,俊郎の嗅覚がいやいやをした。
 お互いの顔が見えだして二人は立ち止まる。影だった男が,手の甲で鼻を掻いた。
 「なるほど」と俊郎が言った。「警官とさよならを言う方法は本当に発明されていないようだ」

image31972年,二村がその後,矢作俊彦の小説の主役を張るどころか,40年以上にわたり小説を生業にすることさえ,思い描いていなかったに違いない。「二村警部」の初登場場面は淡々としている。これは稲葉俊郎と由を中心に描かれた物語だ。『気分はもう戦争』の“TAKE  ⑥ TRAIN”と比較してみていくことだってできる。しかし二村を中心に検証していくとなると,魅惑的な物語から視点は離れてしまう。

ここでは,「夕焼けのスーパーマン」は,二村の物語ではないことを確認すればよいのかもしれない。

にもかかわらず,次作「王様の気分」で二村は主役の座を獲得する。とともに,「抱きしめたい」以降の中篇シリーズは連作であると宣言されるのだ。何かが変わったのだと考えることを躊躇う理由はない。しかし,何が変わったのだろう。

引用【1】に「夕焼けのスーパーマン」があげられていないので,本作は書き積み重なった映画のシナリオではなく,オリジナルではと思ったのもつかの間, 【2】をみると,「夕焼けのスーパーマン」はピタリ当てはまる。やはりシナリオ経由の小説なのだろう。10年後,「週刊漫画アクション」に 掲載された「THE PARTY IS OVER」とつなげても違和感のない感じがする。

Notes:

  1. 一人称に加え,三人称にもかかわらず一人称のような語り口で進めていく文体の格好よさのこと。「リンゴォ・キッドの休日」以前の小説は三人称で書かれているものの,登場人物に対する感情移入が遠慮がちな分,レトリック上,損をしているように感じる。

28

「アンテナ」全曲完全再現を終え,続いて「ジョゼと虎と魚たち」のサントラから“ジョゼのテーマ”。「惑星づくり」のようなテイストで,トランペットがいない分,展開は落ち着いていた。

“飴色の部屋”からゆっくりとした曲が続き,その後,“地下鉄”。武道館ライブ以来のような気がする。たたみかけているかのようなアレンジで,相変わらず恰好よい。

アンコールは最近の曲が演奏された。ラストの“琥珀色の街,上海蟹の朝”は本式のラップ。サビのところしか聞いていなかったので,それは驚いた。

くるりの瞬発力が何だかとても楽しかった。年末のKing Crimsonのライブで,パット・マステロットがジェイミー・ミュアーの“フリーなパートをなぞっている”(おかしな表現だとは承知のうえで)ような演奏がずっとひっかかっていて,それでもライブ自体はよかったのだけれど,ライブの楽しさってこういうことだと示されたような感じがした。

セットリスト

  1. グッドモーニング
  2. Morning Paper
  3. Race
  4. ロックンロール
  5. Hometown
  6. 花火
  7. 黒い扉
  8. 花の水鉄砲
  9. バンドワゴン
  10. How To Go
  11. ジョゼのテーマ
  12. 飴色の部屋
  13. ハイウェイ
  14. さよなら春の日
  15. 地下鉄
  16. さっきの女の子
  17. Hello Radio(アンコール)
  18. かんがえがあるカンガルー(アンコール)
  19. ふたつの世界(アンコール)
  20. 琥珀色の街、上海蟹の朝(アンコール)

27

「アンテナ」のアルバム順に演奏は始まった。

“Morning Paper ”は2曲目だから,vol.2のときのように全体引っ張り気味の演奏とは異なり,緩急をつけ,曲の輪郭がくっきりしている。

“ロックンロール”は,ダッダッダッダッと4つ打ちのバスドラに尽きる。ドラムに合わせてテンポを上げた演奏で,その早急さが曲に躍動感のようなものを漲らせる。

“黒い扉”でこの日の一度目のピークに至る。つまりは岸田繁のギタリストとしての力,それは決して狭義のテクニカルさとは違う自由で卓越した表現力,即応性のようなものを見せつけられた。サポートギタリストはがんばっているものの,どこか“なぞる”ような演奏で,それは経験の深さによるものなのかなと思いながらステージを見ていた。

“バンドワゴン”の至福感は,“リバー”にも似て,私には苦手のはずなのだけれど,ライブで鳴らされると,衒いもなにも失せてしまう。

“How To Go”は圧巻だった。すごいものみちゃったなあというのが正直な感想。そのすごさを,少しずつ言葉にしてみたくなる。終わってからの鳴り止まない拍手のなか,結局,私自身,拍手を止めることができなかったことについても。

 

26

神奈川県民ホールで,くるりのライブを見た。NOW AND THEN vol.3ということで,「アンテナ」全曲再現が謳い文句だ。

サポートメンバーの交代なしに,vol.2のバンドサウンドを維持しつつ,さらに高みに向かう演奏が恰好よかった。

神奈川県民ホールは,今どき貴重な古いタイプのコンサートホールだ。16年前にここで学会があったとき,ボランティアスタッフとして動き回ったことを思い出す。あの日は台風一過で,バスルームシンガーではないジャズボーカリストの放射線技師から聞いた話は以前,記した。

打ち合わせを済ませ,東海道線で横浜まで出たものの帰宅ラッシュの真っ只中だった。乗り継ぎがよくて開場には時間があるので,市営地下鉄へは乗り換えず,関内から行くことにした。小雨のなか,久しぶりに日本大通りを歩く。

開演ギリギリの到着になりそうだったため,家内,娘とは現地集合にした。結局,席に最初に着いたのは私だったのだけれど。1階右奥,最後列から2列目。

1曲目は“グッドモーニング”。「アンテナ」の曲は,改めて聴きなおすとコーラスの役割が大きいのだなと感じた。前回よりも2人のコーラスがはまっている。(つづきます)

みちくさ市

好天のなか,先週末にみちくさ市があり,年数回の一箱古本屋店主になった。

本を発送する前日まで,何を並べようか考えがまとまらない。ただ,これまでに比べて文庫本を多めに,また新書を並べてみることにした。おかげで箱はいつもより軽い。

当日,鬼子母神境内で,はるのパンまつりがあると聞いていた。人の流れを期待する一方で,携えた本,雑誌に女性向けの本がほとんどないことは明らかだ。そう思って講談社現代新書を数冊引っ張り出したり,迷走が続くなか当日を迎えた。

受付を済ませると,はにかみさんが荷物を移動してくださった。11時前にセッティングを終えて,Kindle fireを用意。BGM用にアマゾンプライムからダウンロードしておいた「ピローズ&プレイヤーズ VOL.1 & 2」を小さく鳴らす。ところが,店は都電の踏切から近いため,音はほとんど聞こえない。どこかスイッチが入らない感じのまま,前回もお隣だった塩山さんに挨拶したあたりで開店。

最初に売れたのは「東京日和」。そこからが続かない。12時を過ぎてもまったく動かないため,並べ方を変えたり,BGMを原田郁子に変えたり,あたふた。まさに“Drifter”。というか夢野久作の小説に登場する,主人公にもかかわらず傀儡子に操られているような感覚だ。

パンまつりに足を運んできた家内がいつもより早く助っ人に来たので,気分転換を兼ねて早目に昼食に行く。久しぶりに目白のkazamidoriに入った。

午後になると少しずつ動きはじめた。ただ,午前中から暑いこともあり,全体ぼーとしていて,途中,多摩やさんが寄ってくださって,ツイッターの話など振ってくれたにもかかわらず,すっかり妙な話をしてしまう。おもしろ本棚の皆さん,昨年お隣だったまいにちさん,駄々猫さんなどもいらしてくださり挨拶はするものの,開店後の店主からはほど遠いテンション。だめだったな。

塩山さんに何冊か抜いていただいたあたりから動きが出て,15時以降にパタパタと続く。全体,私が店番しているときより家内のほうが売れたのは明らかだ。

結果は芳しいものではなかったものの,文庫本,新書を中心にもってきたため,帰りの自転車は気持ちほど重さを感じなかったのが救い。

「本ってね、何に対して値段がついてるかというと、物体としての本、つまり紙と印刷インクに対して値段がついてるんですよ。もし活字による表現に値段がついてるんだとしたら、みんなが買いたがる本は高くて、誰も欲しくないような本は安くなきゃいけない。」
矢作俊彦(安彦良和との対談より)

たぶん古本屋は,書き手を飛び越えたところで,ここをバイパスするはずなのだけれど,結局,紙の重さが売り上げに比例することを痛感した。次回はその天秤から降りたところで店を張れればと思う。

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