少年ジャンプ

ここ1年の間,コンビニコミックを読む頻度が大幅に増えた。実家への行き帰り,結局,うとうとしてしまうことはわかっていても,手持無沙汰に1冊,2冊と新古書店で購入してから電車に乗り込む癖がついてしまったためだろう。

1980年の声を聞く前後からだろうか。「少年ジャンプ」を読まなくなった。結局,読んでいない期間の方が,読んでいた時間を大幅に上回っていた。江口寿史は読んでも鳥山明は読んだことがない,というあたりが境界線になると思う。

一番読んでいた頃は,月刊で「キャプテン」が連載されていた頃のことだ。週刊では「荒野の少年イサム」と「包丁人味平」,怖いもの見たさの「アストロ球団」が毎週,誌面を飾るのだ。当時,土曜日の昼飯を食べに出かけることが多かった近くの中華料理屋のテーブルの下から,新しい「週刊少年ジャンプ」を探し出し読む。月刊誌は床屋で読む。月に1回のその時間がとても楽しみだった。

塾に通うようになると,待ち合わせのパン屋の店先に据えられたマガジンラックから取り出して,友人がくるまでの時間,肉まんやおでんをつまみながら読むのだ。

ここ1年の間,読んだコンビニコミックは当時のマンガばかりだった。「キャプテン」に「プレイボール」,「包丁人味平」も全巻読んでしまった。「荒野の少年イサム」が復刻された。それらのすべてが実に面白かった。あまりに面白かったので,読んでいなかった時期のマンガを捲ってみたものの心が躍らない。

 

Capital Cities

朝,FMラジオからカジャ・グー・グーとニュー・オーダーをバックにゲイリー・ニューマンが歌っているような曲が流れてきた。一時,よく流れていた記憶もあるけれど,バンド名まで検索しようとは思わなかった。スマホを使い始めて,結局,あれこれ検索してしまう機会が増えた。

で,キャピタル・シティーズの“Safe And Sound”だった。1980年代にヒットしていた曲のカバーだといわれてもまったく気づかないと思う。

引擎/ENGINE

矢作俊彦の『 引擎/ENGINE』(新潮文庫)を読み終えた。増刷の際に修正が入ったと読んだ記憶があるので,単行本を引っ張り出し比べてみたところ,最初のあたりから手が入っている。もっとも凄いのは最後のくだり。時代を一気に4年くらい引き寄せて差し替えられた箇所があった。これは文庫本化の際に手を入れたのだろう。

  • 1 単行本(p.5.)

    銀座の上空にたれこめた雲の裾を朝日が切り裂き,光が狭い通りをしたたかに打った。
    町はまだ寝静まっている。最初の新聞配達が通り過ぎたばかりだ。
    (中略)
    游二は運転席と荷室の仕切り戸を,また閉じた

  • 1 文庫本(p.7.)

    銀座の上空にたれこめた雲の裾を朝日が切り裂き,光が狭い通りを強かに打った。
    町はまだ寝静まっている。最初の新聞配達が通り過ぎたばかりだ。
    (中略)
    游二は運転席と荷室の仕切り戸を開けた

  • 2 単行本(p.337.)

    目の前で同盟国が攻撃されても,この国の軍隊は反撃もできない。

  • 2 文庫本(p.438-439.)

    今のこの国は,中国の台頭と格差社会で不安と憎悪が充満している。(中略)この一撃でアメリカのプレゼンスの衰退は十年は早まるだろう。国会では交戦規定の大幅改定と敵地攻撃論が議論される。ツボにはまれば,世論が改憲をリードするかもしれない。
    (中略)
    憲法九条にノーベル平和賞なんて動きに焦ったのもあるんだろう。(中略)あれは国際社会とか呼ばれているクソッたれな社交団体からの拒否反応だ。日本を普通の国にはさせないってメッセージだ。米中露,それに英仏,第二次大戦の戦勝国クラブ,つまり“戦後レジーム”は,今も健在だってことだよ。

このくだりは,いずれも以下の文章に続く。

専守防衛っていうのは,自国の領土内でしか戦争をしないってことだぜ。そんな戦法を重んじる軍隊は,世界のどこにもない

結城昌治は,真木シリーズの二度目の文庫本化のときだったろうか,物語の時代背景を後ろ倒しするために手を入れたところ,特に人物造形上,かなり無理のある内容になってしまった。

それに比べると,凶手が4歳年をとった程度。増刷であれだけ手を入れた『ロンググッドバイ/THE WRONG GOODBYE』でさえ,文庫化されたときに,さらに修正が入っていた。以前にも記したけど,その所作は,生前,増刷のたびに『虚無への供物』に手を入れ続けた中井英夫を思い起こす。

矢作俊彦の小説(共作は除く)のなかでもっとも禍々しい『 引擎/ENGINE』は,それゆえに幸福な一夜が大人のお伽噺のような印象を残す。

読み返さないと全容を理解するのが難しい。しかも,決して魅力的とは言いがたい登場人物。にもかかわらず結局,今朝から再び,冒頭のページを捲り始めてしまう。今度はメモを取りながら物語を追ってみることにする。

第2期

【1】――(前略)『リンゴォ・キッドの休日』も,映画から始まった企画なのでしょうか。 矢作 あれは,横須賀を舞台にした映画をつくろうと思ったんだけど,どうやってもお金が集まらなくてさ。当時坂本万里さんという人が僕が関係していたラジオ番組の制作会社に時々顔を出していて,その人に映画をつくりたいけどお金が集まらないと言ったら,どこかの小説の賞に応募して賞に入れば賞金がもらえるだろうと言うから,あわててそれを小説に書きなおしたんだ。それが『リンゴォ・キッドの休日』だよ。結局,最終選考まで残って落ちたんですよ。普通の人なら,こうなったら絶対に通るまでやろうと思うかもしれないけど,僕は同じ事を二度する気はないから。それでもっと楽な方法はないかなんて考えてた。 矢作俊彦インタヴュー,p.19,nobody,No.19,2005.

【2】(前略)『リンゴォ・キッドの休日』も,初めはオール讀物新人賞に出せっていわれて書いたんだ。そしたら,それも落ちた。それで頭に来て落ちたやつをそのまま『ミステリマガジン』に載せた。 矢作俊彦インタビュー年譜「小説家になんてなりたくなかった」,p.76,別冊・野性時代,1995.

二村永爾シリーズ第2期は,「ミステリマガジン」1976年12月号,翌77年1月号に分載された中篇「リンゴォ・キッドの休日」で幕を開ける。矢作俊彦の小説ではたぶんはじめて,物語が一人称で展開される。語り手である二村永爾は,その後,40年にわたり矢作俊彦の小説の主役の座を譲ることがない。小説家自身,そんな未来を描いていなかったかもしれない。

休日の警官が個人的に相談を受けた事件だ。この,やや込み入ったシチュエーションを編み出したことで,二村永爾の目を通して語られる一連の小説は,わが国の旧来の私立探偵小説,松本清張の小説よろしく決して魅力的とはいい難い警察官の捜査による小説,いずれからも距離を置いた場所で,モラルの移行に眼目をおいたレイモンド・チャンドラー直系のハードボイルド小説として位置づけられることになる。単行本化を経て後にハヤカワ文庫に収載されたときのオビの惹句「二村永爾の歩く道はマーロウの歩いた道だ」は決してオーバーな表現ではあるまい。

チャンドラーからの引用をはじめ,今日に至るまで<比類ない>と形容と称される矢作俊彦の文体は,すでに完成されている。もしかすると,ラジオドラマの脚本をこなすなかで,魅力的な一人称の文体をつくっていったのかもしれないけれど,すくなくとも10数年にわたり,この文体を武器に矢作は魅惑に満ちた小説を発表していく。連載ではダディ・グースのイラストが華を添える。 
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