1979

古本屋で『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』(東浩紀編,青土社)が300円で売っていたので購入。週末にペラペラと捲っていたところ,いろいろひっかかるところがあった。

深谷は高校時代の友人だ。太っていて,眼鏡をかけ,おかっぱを少し長くしたような髪型。後に大塚英志の写真をみたとき,深谷そっくりだと思った。1年のときに同じクラスになり,彼が最初の友だちだった。どういう経緯だったか覚えていない。話題は音楽と漫画,アニメの話に終始した。彼は中学時代,剣道を勤しんでいたという。そんな感じはまったくしなかった。

当時,「宇宙戦艦ヤマト」は「さらば」の映画騒ぎがひと段落つき,映画版「キャプテンハーロック」の戦艦の形がポコチンみたいだとか,「サイボーグ009」のアニメは迷走しそうだとか,たわいのない話ばかり。
そうしたアニメよりも深谷は,日本サンライズのアニメ,「ザンボット3」「ダイターン3」など,ガンダムに至るシリーズがいかにすごいかを日々語る。今よりまったく規模が小さかったコミケにも当時から出入りしていたようだった。私はそれらのアニメを見ていなかったので,適当に相槌を打っていたように記憶している。

それよりも当時の私は,1時間の数本しか走っていないバスを待つ間に入った書店でたまたま買ったアダルトウルフガイシリーズ(角川文庫版)以来,気になっていた平井和正がスタートさせた真幻魔大戦,幻魔大戦はいったいどうなるのか,というよりもこれはSF小説なのか悩みながら読んでいた記憶がある。数年後,徳間書店から刊行されたムック「幻魔宇宙」は非道い毒気を放ったが,その萌芽はこの時期にあったはずだ。

70年代後半の,いや昭和50年代前半の日本サンライズ産アニメについて,80年代にはかなり語られたように記憶している。その後,(私が目にしていないだけかもしれないが)精緻なものはあまりみられないように思う。先の本で“出来の悪いアニメをあえて語る”というくだりは,昭和50年代の日本サンライズ産アニメにはピタリ当てはまるから,あえて固有名詞を伏せたのかとも思ったものの,文脈からすると,どうも違いようなのだ。だから,このあたりの経緯がスッポリ抜けていたように感じた。なおさら,記憶がフラッシュバックしてきたのだ。

この調子で昔話をつらつらと連ねていたら,恐ろしい分量になってしまいそうだ。

DJ

新宿西口からバスで出て,高円寺陸橋を左折,環七をしばらく進んだあたりで仕事があった。数年前,娘の音楽発表会のため,2年続けて,この界隈の小体なホールにきたことがあるものの,土地勘はまったくない。そのときも,夕飯は中野まで出てとった記憶がある。

仕事を終え,昼飯を食べようと商店街に入ったものの,孤独のグルメよろしく,旨そうな店どころか,商店街と名がついているのに店が少ない。カウンターと数卓のみのカフェがあったので,とりあえず中へ入った。

ランチのパスタとアイスコーヒーを頼み,読みかけの『雑司ヶ谷R.I.P.』を捲る。と,スーパーカーの曲が続けて流れてきた。有線ではないだろうし,FMやインターネットラジオっぽくもない。その後は違うバンドの曲になったので,店のBGM用に選曲したもののようだった。

運ばれてきたアンチョビとトマトのペペロンチーノは,辛さよりも量の多さに圧倒されてしまい,文庫本もそこそこに,食べ終えるのに苦労した。

勘定を済ませる際に,スーパーカーが好きなのか尋ねてみた。

「お店を開くといったら,友だちが選曲してくれたんです」とiPod miniを目で指した。選曲して,そのままiPod(mini)をプレゼントする。その感覚がやけに新鮮だった。

Theme

松家仁之の『沈むフランシス』(新潮社)をなんとか読み終えた。そう長くはない話なのだけれど,たとえるなら樋口毅宏の“雑司が谷”シリーズを読むほうが,どれだけ清清しいかと思ったくらいに,いやな読後感だった。

少し前には「元・編作家が減った」と現役編集者が語るほど,物書きで生計をたてる生活と出版社に属する生活を天秤にかけ,後者に腰掛けるサラリーマンが少なくない時期があった。

それが,このところ元・編作家が続けて登場している。以前に比べると,編集者で生計をたてていくことが容易でなくなったのかもしれない。

この小説家は,先に調べたとおり,元・新潮社の編集者だったそうで,当時,クレスト・ブックスを立ち上げ,軌道に乗せたことが評価されているとのこと。クレスト・ブックスは,最初に読んだ『朗読者』があまりに印象がよくなかった。文庫になってから読み面白かったジュンパ・ラヒリの作品は,クレスト・ブックスというよりも,新潮文庫という印象だ。

この小説は,だから,クレスト・ブック・ステイストの作品をドメスティックで刊行すれば受けるだろうという,中小広告会社の営業マン的発想で描かれた作品のような印象を受けた。この物語を描きたかったのかが正直,感じられなかった。第一,クレスト・ブックスは翻訳シリーズなのだから,原著の編集に本人はまったくタッチしていないにもかかわらず,それをドメスティックでと感じさせてしまう著者の短絡さのような何かがどうにも先に匂い立つ。

前半で,福岡伸一の動的平衡のたとえをそれなりの巧みさで織り込んだりしているものの,ならば福岡伸一の文章を読んだほうが美しさは勝っている。スノッブな固有名詞の使い方は,50代前後には馴染みのもので,固有名詞の新鮮さは感じられない。

いや,この程度の小説がそれなりの評価を仮に受けるのであれば,新しい書き手の作品をいっそのこと読まないで済ませたほうが,潜みながら読書を愉しむことができるのではないか,などと思った。

少女漫画

倉多江美の漫画は読み続けたものの,それ以外の少女漫画にはあまり惹かれなかった。

『キャンディ・キャンディ』は読んだ。萩尾望都,竹宮恵子などは少年漫画雑誌に連載されたいくつかの作品のみ,大島弓子は読んだとはいえ,まったく琴線に触れなかった。

ところが,大島弓子のパスティーシュだといわれる三岸せいこの漫画は単行本2冊に加え,当時「ぶーけ」に掲載された未収録ものまで読み,先日も実家で本を片づけていた際に読み返した。で,こちらはいまだに面白かった。

と書いていて,当時,「ぶーけ」を毎号購入していたことを思い出した。たぶん,笈川かおるの「花を抱えたゲリラ」連載の頃だったはず。Wikiで検索すると,笈川かおるの漫画をはじめて読んだのは1979年の「ぼくが探偵をやめたわけ」で,同じ頃,単行本『借りてきたネコのブルース』を買った。「すずめ報告」から「へへへの方程式」,「インターミッションパートⅡ」,そして「花を抱えたゲリラ」あたりは新作が出るたびに読んでおかなければ,と思うほどのファンだった。「花を抱えたゲリラ」は後に単行本化された際,加筆・修正があったものの,その箇所の絵柄があまり馴染んでいなかったので,連載をそのまままとめたほうがよかったのでは,と感じたことを思い出す。

先日,笈川かおるの単行本が何冊も出てきたので,アルコールでカバーをぬぐったついでに『すずめ報告』を読んでみた。ラブコメそのもので,どうして当時,琴線に触れたのか考えこんでしまった。ネームのうまさというか,掛け合いが韜晦ひたひたにリズミカルで,それだけは感心した。
その後も,「羽衣一景」シリーズ,「愛のご一家」,「夏だったね」あたりまでは書店で見つけると購入したものの,その後,読み返すことはなくなり,数年前,古本屋で「ばってんBOX」という単行本を見つけて買ったのが最後だ。

笈川かおるの作品の代わりになったのが内田美奈子の漫画。御厨さとみの漫画経由で知ったはずなのだけれど,そのあたりの記憶は失せている。SUN COMICSというか「DUO」絡みの単行本を読んで,驚いた。ネームどころか物語さえも,都会派小説(ああ,恥ずかしいネーミングだ)っぽさを強烈に示していた。当時,吉田秋生が同じあたりを狙っていて,そちらのほうが人気を博していたものの,私にはこの頃の吉田秋生の漫画は面白くなくて,ようやく「海街diary」シリーズになって本式に読むようになった。
ただ,「GOODBYE」以降(一作のみ,「ヘビーウェザー」が「コミックトム」に掲載されたものの),「赤々丸」や「BOOM TOWN」になると,追いかけるまでの魅力を感じなくなった。
『DAY IN, DAY OUT』を読み返したところ,こちらは相変わらず面白かった。ただ,御厨さとみ以外,ルーツを感じないのだ,内田美奈子の漫画には。いったい,どのような経緯でこんな漫画が生まれたのか,いまだに知りたいと思う。

ネットで調べると,これらは1981年から1985年くらいの間のことのようだ。昭和50年代後半の幸福な,しかし,二度と戻りたくはない時期は,だから私にとっては少女漫画との幸福な出会いの時期とも重なるのだ。

その頃,「ぶーけ」の編集者が,男性に人気のある執筆者は笈川かおると三岸せいこだと語っていた記事を読んだ記憶がある。理由はわからないけれど,それはそうだろうと,と思った。

WordPress

WordPressを使いはじめてから2年少し。このテーマに変えたのがどのタイミングだったかは記憶にない。

Webに書き留める所作をはじめてから10年くらいになる。この間で,一番ストレスのないセッティングだと思う。私が1年以上,あれこれ悩んでいたような導入時の基本的な知識も必要なしに使い始められるサーバも各種あるようだ。

Logはそのまま残してあるものの,少しずつこのデータベースに一本化しているところ。

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