不愉快

不愉快なことがあると,辻潤と凍結前のP-MODELを思い出して,こころを落ち着かせることにしている。

それにしても世の中,最低の輩はいるものだ。思い返せば,Webに日記を記しはじめたころのことだから,10年か。何だかやけにさっぱりとした気分。だから,それは10年ぶりのことなのだ。

死の報酬

どこで手に入れたのか忘れたものの結城昌治の『死の報酬』(講談社文庫)を読み終えた。このシリーズの第一弾『死者に送る花束はない』も後味は悪かったけれど,探偵小説としては面白かった。この本も読み終えた感想は先の小説と同じだった。

1970年前後の結城昌治の小説の会話はかなり洒落ていて,デビュー当時の矢作俊彦が参考にした(と何かで読んだ記憶がある)のも頷ける。もちろん,矢作俊彦の小説の会話は遥かに韜晦度(という表現があれば)が高い。

ここ数年,三好徹の小説と交互に読み始めて,いつの間にか三好徹の小説ばかり読んでしまっていたのだけれど,続けて買っておいた『不良少年』を読み始めた。シチュエーションは異なれど,出だしの感じは『抱きしめたい』に近い。時系列からすると矢作俊彦が参考にしたのだけれど,カート・キャノンにしろ何にしろ,自分ならこうすると書き出したに違いない矢作俊彦の小説のほうが面白いのは仕方あるまい。

 

15年

20歳からの15年間で,20世紀末を迎えたときには,この15年で世の中変わったなあと思ったはず。15年の間に,バブル期をはさんで4回引っ越しをし,あげく家庭をもったのだから,世の中が変わらないはずはない。

35歳からの15年間で変わった景色が,実のところ,前の15年間に比べるとあまり多くないことをふと思った。変わったなあという印象から思い起こして,結果,その前に比べれば変わっていないと落ち着いたのはなんだか妙な気分だった。

昨日に引き続き,1984年頃,古本屋で手に入れた1974年に出版された本を読んでいた。当時,10年前の本からかなり古びた印象が先に立ち上がってきたそのことだけを記憶していて,そこで述べられている内容の少なからぬ箇所が,いまだ物事を考えるときの参考になるとは考えもしなかった。

でも,今から10年前といえば2003年で,たぶん2003年に刊行された本に古びた箇所を探してみたくなるほど,古さを感じないように思う。

反精神医学

昭和60年代に,反精神医学系の本を集めていたことがある。宇都宮病院事件があった後,一方で三枚橋病院のことがとりあげられ,悪い石川とよい石川など比較されていた時期だ。

矢作俊彦の『真夜中へもう一歩』が単行本化され,後に福田和也が“新人類の云々”と評してから,この本はその文脈で紹介されることばかりだけれど,連載の頃から大熊一夫のルポをネタ元に,精神科医療について丹念に調べたうえで書き始めた小説のように思う。そういう文脈で語られないことは,たぶん,あったかもしれない精神医療に関するブームが,その後,あまり関心をもたれなくなった証ではないだろうか。

反精神医学自体はうまくいかなかった運動であるけれど,そこで語られた言葉はいまだ胸を打つ。

「先生,ちょっと話を聞いてくれませんか。きのう,私は夜勤で詰所にいたら,病室でだれかが話してる声が聞こえるの。だれがこんな遅くにしゃべってるんだろうと思ってそっと病室をのぞきに行ったら,それがNさんなんです。Nさん,ベッドの上に坐りこんで,最初は私,あれかと話しているのかと思ってたらそうじゃなくてひとりでしゃべってるの。しばらく耳を傾けて何かをじっと聴いているようにしてるかと思うと,何かに答えるようにいろいろしゃべってたから,ようやく幻聴と会話しているんだなってわかったんです。」
(中略)
「……でも,きのうひとりでしゃべってるNさん見ていて感じたんだけれど,あんなに真剣な顔をしてるNさんを見たのも私はじめてだった。いつものNさんはそりゃたしかによく仕事もするし,人づきあいもいいけど,なにかつまらなそうな顔して,なんていうのかなあ,どこかに本当のNさんを隠して生活してるみたいに思えたことがあったの。そんなNさんにくらべたら,とても変なんだけど,きのう見たNさんはともかく本心をさらけ出しているよ言う感じがしたなあ。だけど,しばらくしたらNさん,私に気づいたらしくって,はっとしやようにこっちを向いて何かバツがわるそうにニヤッと笑って寝ちゃったの。そのときのNさんはいつもの硬い表情に戻っていて……。それ見たら,私,何ともなくわびしいような気がしたんです。」
小澤勲:反精神医学への道標,p.14-15,めるくまーる社,1974.

年始

風邪から回復するときの感覚は,子どもの頃から変わらない。汗とともにからだのだるさが少し軽くなる。まだ治りきっていないものの,ここ2日間とくらべると遥かに調子は整ってきた。

遅めの朝食をとり,事務所へ行き,年末に書き終えられなかった年賀状を書いて投函。20歳を過ぎてから,本当に年が明けないと年賀状を書かなくなったのだけれど,ここ数年は仕事上の年賀状にも波及してしまっている。これは年末年始に仕事がバタバタと動いているため以外,何の理由もない。

行き帰りの電車では,赤坂憲雄編の『東北ルネサンス 日本を開くための七つの対話』(小学館文庫 2007年)を読んでいた。赤坂憲雄というと別冊宝島『精神病を知る本』を読んで後,単著や共著をしばらく手にしたものの,東北学を謳った頃からあまり新刊を追うことがなくなった。現代書館の「マージナル」にかかわっていたような印象があったものの,こちらに関係していたのは朝倉喬司で,面白そうな雑誌には,この2人の原稿が載っていた時期をふと思い出す。

「マージナル」はたぶん全号手元にあるのだけれど(といっても全10号だ),現代書館のサイトをみたところ,いまだに半数以上の号は入手可能らしい。年末から五木寛之の『狼のブルース』を読んでいて,「マージナル」にも『東北ルネサンス』にも五木寛之が登場していることに気づいた。『戒厳令の夜』と『風の王国』くらいしか五木寛之の小説は読んだことがないのだが。

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