赤い公園

2曲目以降は最新盤から続く。小出のギターフレーズは津野を踏襲しながら,ところどころオリジナルを絡める。喪失によるオリジナリティと可能性。今回のライブを通して,このオリジナリティと可能性が何度も首をもたげる。オリジナリティとはもちろん津野の作曲・演奏であり,可能性とは曲が秘めていた許容範囲とでいえばいいのだろうか。「ショートホープ」の最後前,フリーキーに楽器が絡むところや「交信」のキーボード,「夜の公園」の初っ端のギターなど(オリジナルを聴くとハウンドドッグを思い出してしまう)が,今回のライブではうまく変化をつけて弾かれていた。

「Canvas」でtricotのキダが加わる。音が鳴った途端,なにがしかの感興が引っ張り出されじわっとしてしまう。「熱唱祭り」のときでさえ,せいぜい1,2回あったようなおさまりのつかない感情が,この後,何度も起きてくる。ツインギターで鳴るラストのリフが無茶苦茶恰好よい。

この日のメインは,ここから演奏された数曲だった気がする。「絶対的な関係」「絶対零度」「ショートホープ」「風が知ってる」「透明」「交信」。同期をはずした赤い公園の着地点が見事に描かれる。繰り返しになるけれど,「ショートホープ」のラスト前は,こういう音をバンドがイメージしていたのだろうという強さを感じた。残念なのは,それはもしかすると喪失による可能性であったかもしれないということだ。

前半,石野のボーカルはやや突っ込み気味に入ってくる。そのまま崩れず,場合によってはボーカルにサッと合わせるバンドとサポートミュージシャンの一体感。この切迫感が赤い公園に加われば無敵だ。

藤本の体調がバンドの解散になにか影響したのだろうかと思いながら会場に入ったけれど,それは杞憂だった。縦横無尽にステージを行き来し,キダとアイコンタクトを交わしながらベースをかき鳴らす姿は,これもまた可能性であったかもしれない。よろこばしさの質はさておき。(つづきます)

赤い公園

1988年12月28日。昭和の終わりまで残りわずか。渋谷クアトロでP-MODELの凍結ライブを観た。気に入ったバンドの最後の姿を観ることになったのはこのときが初めてだ。喪失感とそれにともなうなにがしかの感情が起きたかどうかまったく覚えていない。次の体験がやってくることはなかった。バンドの最後の姿を目の前に,だからいつもとは違う感情が起きるかどうか,半世紀以上過ごしてきても慣れることはない。慣れるような質のものではないのだろうけれど。

P-MODELの次に観た,バンドの解散ライブが赤い公園ということになる。

幸い,チケットを確保できたため,家内と中野サンプラザに出かけた。13列の24(たぶん)は,ステージからみて最初の通路の前,左右ほぼ中央だ。配信があり,後日円盤にもなるだろう。カメラに映り込みそうな席だったので,後ろの人と変わってもらおうかと思っていた。平沢進と斉藤環の対談の際は,同じようにほぼ中央,平沢の真ん前でそれも一列目だったので,後ろの人に席を譲った。

新型コロナ下,観客がみなマスクを着けていることがすっかり頭から抜け落ちていた。席に着くと,立ちあがったら,ボーカルの真正面という位置だ。それにもかかわらず,後ろの人と席を交換しなかったのはマスクを着けているから大したことはないだろうと思ったからだった。

客電が消える前,「くじら12号」「ブレーメン」「バブーシュカ」などなど次々と流れる曲。そのバトンを受けるかのように暗転し開演だ。

舞台はシンプルな骨組みだけの4本の立方体。さまざまなライトが当たり,装置が変わったのではないかと思うくらいに変化する。80年代のこじつけに擬えると,これこそ赤い公園じゃないかというところだ。

オープニングは「ランドリー」。サポートギターの小出は津野のギターを抱えて,若干大き目の音でかき鳴らす。そのことよりも,とにかくこの日のライブは音がよかった。ドラムもベースもすばらしい鳴り方だった。ここ数年,フェスのテントステージやライブハウスで赤い公園の音を聴いたけれど,今日の音のよさはダントツだ。

舞台装置に音響。バンドが音を鳴らすうえで,観客としては脇に置いてしまいがちな要素があらためて大事なことをしょっぱなから感じた。それらを完備するために必要な予算やライブの収支。ここ数年,赤い公園の活動に対し,どうしても感じてしまったちぐはぐな感じを,最後の最後の払拭してくれたことと,にもかかわらず,この間,万全の体制でバンドを進めることができなかったのだなと思い至る。某巨大掲示板で,そういった視点からだけでバンドを切る言説にまったく頷首することはなかったし,いまも何の感興も湧かない。ただ,最初からこれくらいのステージを用意するチャレンジをしてほしかったと,バンド以外のあれこれに思うのだ。(続きます)

5/26

営業事務はその時期によって行なうことは変わる。いや,同じことを繰り返しながら,違うことを進めるイメージだろうか。失礼ないいかたかもしれないが,ルーティンを覚えてしまえば,日→週→月→年と一定の変化のなかに身を置くかのよう。この1週間,新鮮ではあるものの,この仕事のプロになろうとは思えない。

編集と営業事務(経理を含む)の違いを看護と介護の違いに照らしてまとめるとこんな具合になる。

疾患や障害,加齢などにより,それまで営んできたようできなくなったその人の生活を維持・継続していくためには,1)その人の代わりにできる支援(介護,この場合,家事援助)と,2)看護(生活行動援助)が必要になる。

介護(家事援助)は,その人が行なってきた生活のなかで,代替可能なもの・ことを指す。炊事,掃除,洗濯などだ。対価を払うことで自分の代わりにプロに行なってもらうことができる。

看護(生活行動援助)は,1)その人の代わりにできない行動(呼吸,食事,排泄,移動,清潔など)を,2)それまでその人が行なってきたように支援するプロの仕事だ。

営業事務はどこか家事援助に似ている。編集が看護に似ているというのはいろいろと読み替えが必要であるだろうけれど。火田七瀬よろしく家事援助でその家に入るところから,家族の状況が見えてしまうことがあるように(まあ小説のなかでの話だが),営業事務を通して会社の状況が見えてしまうこともあるのだろう。知り合いの会社に入った経理のパートがなかなか続かないのは,数字をとおして,そのあたりを感じてしまうからかもしれない。

編集を通して,会社の状況をみることは,実のところむずかしい。30年近くこの仕事を続けてきて,今さらにそんなことを感じる数日だ。

5/24

パートに入ってもらう方が今日から出社。簡単なオリエンテーションをし,まずはルーティンワークに入ってもらう。引き継ぎのマニュアルをもとにこれで当面,切り抜けられるだろうか。18時半過ぎに退社。池袋で閉店間際の食料品売り場に行き,夕飯用にお弁当を調達。帰宅し,夕飯をとる。テレビを観ながらサイトの調整。

島田一男の『犯罪列島』を読み終えた。鉄道公安官シリーズ晩年だろうか。構成は他の作品に近いものがあったような記憶。というか,この手の構成で長編を多作したのだろう。トリックに眼目を置かない推理小説を書き続けられたのは,もしかすると初期にハードボイルドの作風を取り入れたためかもしれない。

週末

土曜日は午前中,マンションの理事会。想定していたよりも波風がたたずに終わる。もう少し荒れるかと思ったが,まだまだおだやか。それでも疲れてしまい,少し横になる。昼過ぎから家内と外出。新事務所に荷物も持っていき,カートを置いたままにして新井薬師前まで。昼食をとっている間,雨が降る。あいロードにワインと食材などを揃えた店がオープンしていた。覘いてみると,とてもおもしろい品揃えだけれど,このあたりの住民には高めではないだろうか。まわりに特色のある店が揃いはしているので,それなりにうまくいくかもしれない。

中野ブロードウェイからサンロードを歩き,折り返す。中野ブロードウェイの4階に行き,文庫を数冊購入。新しいお店に戻り,夕飯を買って駅まで。中井で家内が買い物をする間に事務所に戻りカートをもってくる。帰宅。

日曜日は本をカートに積んで新事務所まで。本を降ろし茗荷谷に。カートを置いたまま,丸の内の起業関係のところまで。26日に予約を入れて,しばらく資料の整理。茗荷谷に戻り,机のなかの私物をカートに積んで帰る。新事務所に置いて帰宅。疲れてしまい1時間ほど眠る。夕飯,Windows10のたまったアップデートをかけて,NASの整理など。0時過ぎに眠る。

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