日帰り

起きたのは4時過ぎ。支度を済ませて5時を少し回った頃,家を出た。ちょうど雨が雪に変わったあたり。

西武新宿線は始発から2本目くらいにもかかわらず,すでに5分ほど遅れている。通勤時間帯ならばまだしも,早朝の5分は乗り継ぎに響く。案の定,高田馬場駅で山手線を一本見送り,品川駅に予定より遅く着いた。ただ,この時間からのぞみ号の本数はそこそこあるので,新大阪,大阪と順調だ。

阪急宝塚線に乗ったのは何年振りだろう。20分ほどで豊中に着いた。タクシーで葬儀場に行き,供花の代金を支払い,黒ネクタイを買う。出がけに見つからなかったのだ。

叔父,叔母たちに挨拶をし,葬儀に列席。そのままマイクロバスで火葬場に行き,叔父を見送る。骨上げまで食事を取りながら時間を潰す。骨上げ,葬儀場に戻り初七日。

臨済宗のお坊さんのお経を初めて聞いたことになるのだろう。静まったなか,突然,「喝!」と怒鳴り声が轟くものだから一同,驚いてしまった。

喪主であるいとこが,まるでマンガの吹き出しのように感情を吐露するので少し驚いた。感情と言葉がほぼストレートに繋がっていることだけは羨ましい。

叔父とタクシーで新大阪駅まで一緒に行く。親戚の話題で,なんだか思いっきり歳をとった気分になった。

叔父と別れ,新大阪駅でビールと枝豆。会計が合わないような気がしたけれど面倒なので戻らずに,そのまま切符を買ってのぞみの乗り込む。

辻邦生『背教者ユリアヌス』の第1巻を読みながら名古屋の手前で眠ってしまう。目を覚まし,コーヒーでも買おうと思うものの車内販売が来ない。結局,品川までそれは来なかった。

大崎で埼京線に乗り換え池袋まで行く。少し休憩し,家に戻る。

長い1日が終わったのは0時を過ぎてからのことだった。

記録

日曜日は家の掃除。

月曜日は午後から校正を受け取りに住吉まで。夕方,印刷所に別の企画の入稿データを渡す。

火曜日は,仕事の件で筋金入りのアマチュアフォークミュージシャンと打ち合わせ。18時から和来路で少し飲んで帰る。

水曜日は健診に備えて早めに退社。夜,叔父から電話があり,豊中の叔母のつれあいが亡くなったとのこと。結婚式,父の葬儀にも列席してくださったこともあり,金曜日の葬儀には伺うと伝える。日帰りで大阪。このところ短い時間での遠出が続くな。

その間,徹に「連絡するように」と記しハガキを出した。昌己も出したそうで,唐突に揃ってハガキが届くと訝るのではないかと思いはするものの,さて,どうなることやら。

絲山秋子『忘れられたワルツ』(河出文庫)を再読中。「NR」を読むと山野浩一の「メシメリ街道」を思い出した。いや,思い出すほど忘れていないので,なんて言えばよいのだろう。

ふつう

「葬式とオーロラ」は「本物のありかを揺さぶる」(北山修が昔,ほんものとにせものの間にニホンセイノモノがあると記したように)ので,別途。

「ニイタカヤマノボレ」「NR」を読むと,絲山の小説だ,これはと納得してしまう。と書きながら,あたりまえだけれど,ここの収められた短編はすべて小説であって論文ではない。小説としておもしろいことを前提にしたうえで,部分的にコピーして,そこから喚起された記憶を書き連ねている。小説をただ切り刻んでいるだけかもしれず,こういう引用のしかたがよいのか覚束ない。

最初の震災のあと,ひとびとの言うことがわかりやすくなった。とてもクリアになった。白と黒,0%と100%で物事を考えるのはわたしの悪い癖だといつも注意されていたのに,みんなもそうなってしまったようだった。サンセイとハンタイ,イイとワルイになった。あまりにも事実がわかりにくいから感情的になったのだった。ひとが感情的になっているとき,わたしは真っ白になった脳みそを抱えて戸惑う。ひとの感情がわからないから,共感しろと言われるのが一番困る。冗談がわからないし,嘘かもしれないと思ったら相槌を打つこともできない。

わたしは作り話がきらいだ。誇張もきらいだ。鉄塔が好きなのは誰もロマンチックだなんて言わないからだった。鉄塔にあるのは事実だけだった。そしてわたしの拠り所は,いくら人から屁理屈だと言われても,事実だけだった。

宮澤賢治の「われはこれ塔建つるもの」を思い出す。でもあの塔は真実であって,事実じゃない。真実から「ふつう」を語ることができても,事実から「ふつう」を語ることはできまい。

開き直ってからひねくれかたがひどくなった,と鯖江君は言う。
なにが?
おまえのことだよ
かわってないよ
まえは素直だったよ
大人になったからだよ
と言うと,ふつうそんなことはないと鯖江君は言った。
ごめんわたしふつうがわからないの。フツウとミンナはわからない
努力しないからわからないんだよ
理由もなしに努力なんてできないよ

いや,世の中には「努力できる才能」というものがあってだね……。

ふつう

久しぶりに新刊,といっても文庫本を買った。辻邦生の『背教者ユリアヌス』(中公文庫)と絲山秋子の『忘れられたワルツ』(河出文庫)。どちらも単行本を持っている。文庫が刊行されたばかりなので,単行本を読み直すのではなく,文庫本で読み直したくなった。

土曜日の検討会へと向かう電車のなかで,『忘れられたワルツ』を読み終えた。「ふつう」をめぐる短編集だ。東日本大震災後の「ふつう」。ゲシュタルトとネオテニー。絲山が書く小説のモチーフの1つである何もしない神。一度読んで,メモをとりながら再びページを捲った。

冒頭,「恋愛雑用論」の後半,東日本大震災後の時間軸のなかでのモノローグ。

 ……東京に行った友達が電話で一方的に喋った後あんたはのんきでいいよねと吐き捨てた。一方で両親や姉は私よりもっとのんきに見えた。実家とこっちと両方被害を受けることはないから何かあっても大丈夫な方にいけばいいと笑うのだった。
 私は友達に違和感を覚えた。家族にも違和感を覚えた。テレビにも政治家にも違和感を覚えた。でもそのうち強い気持ちは薄まってできることだけをすればいいと思うようになった。それが正しくないことも勉強不足なこともわかっている。でもどこに,ひとがふつうに生きていくことについて正しく話せるひとがいるというのか。

「すべての事実は真実の敵でござる」と宣言したドン・キホーテであれば,ふつうについて正しく話せるかもしれない。でも,それはふつうでない人が言うから正しいのであって,「ふつう」と「正しさ」は両立しづらい。

矢作俊彦の短編「キューカンバ・サンドウィッチ」を思い出した。登場人物の「ふつう」に,突如,車を持っておらず,ときどき下駄ばきでやってくるようなクリスチャンが現れた後,登場人物たちの「ふつう」はどう変化し,また変化しなかったかを鮮やかに切り取る。

登場人物の「ふつう」が他者の「ふつう」と出会ったときの変化が物語を進める動機づけとなる。矢作はこの「モラルの移行」こそがハードボイルドだと言い切った。『忘れられたワルツ』に収められた各編には東日本大震災後のモラルの行く先が描かれている。これは,ある種のハードボイルド小説集として読むことも可能だろう。

「強震モニタ走馬燈」の主人公と強震モニタを日々観察する友人の会話。

 「じゃあ,地震の予想するの?」
……
 「予想なんてそんなことしませんよ。できません誰にも」
 「じゃあなんで」
 「いっちゃん,三年生のときヒヤシンスの水栽培やりましたよね」
 「小学校だよね?」
 「ええ,それで毎日見てるけど別に花が何月何日に咲くなんて予想しなかったでしょう? いつか咲くけどいつ咲くかわからない,そんなもんでしょう?……咲いちゃうとヒヤシンスはつまんなかったんです……もし今大きいのが来たら,いっちゃんがここに来たことだって全部意味が変わるんですよ。今日じゃなくても,明日でも,明後日でも,全部意味って変わります……だからな,毎日が震災前なんですよ」
 「そんなに地震のことばっかり考えててやんならない? ふつうだったら,もうしばらく忘れてたいよ」
 「もうふつうなんてなくなっちゃったんです。いっちゃんと一緒に学校行ってたときのふつうと今のふつう,違うでしょ。ふつうがあったのはせいぜい十年くらい前までじゃないですか。今現在,五年後のふつうなんて想像できますか? できないでしょ」

母親が亡くなる前の感覚を思い出す。ベッドサイドに集まった家族は,いつの間にか“目的”がすり替わっていることに気づかない。それは,ふつうに時間が来て,仮眠用の部屋に戻る所作を誰もとらなかった違和感とともに。

小学校時代の友人の1人が話題になった場面。

「……フェイスブックで探してみたら?」
「だって子供の頃と違うでしょ。いいよ,思い出してみる。寝ちゃうかもしれないけれど」

……それはダメ男の走馬燈だった。……動機が不純だからダメなんだ。……いまの六歳上の恋人だけは走馬燈に入れるまい,と井出は思った。この駄馬の群れにカテゴライズしてしまったら,思い出すことはあっても,もう新しく話すことなんてなにもなくなってしまう気がした。もう少しだけ,と井出は思った。もう少しだけ大事にしてみた。

50歳前後,学生時代の友人たちと再び年に数回会うようになったとき,話題が「思い出すこと」しかなかったあの雰囲気を思い出す。でも,いまや「思い出すこと」なんてほとんど出てこない。動機なんてないからなんだろうか。(続きます)

I’m waiting

娘が20歳になったので,茗荷谷で待ち合わせて夕飯。当日,予約したル・ピラートに入る。娘が選んだ前菜の1つ,生牡蠣のおいしそうな様子に驚く。全体,やさしい味わいのフレンチを久しぶりに食べた感じがする。デザートをとりながら,娘の誕生日できたというと,さらに蝋燭を立てたデザートを一皿サービスしてくださった。1970年以来の寒さのなかを3人で家まで帰る。

昌己とのやりとりによると,同じゼミの女性が出した年賀ハガキの返事に徹は,飲み会に誘ってくれないと書いてあったという。よもや,受け身だったのだとは思いもしなかった。腹に据えかねて,徹から連絡を絶っているとばかり思っていたのだけれど,よくよく考えてみると,まあ,昔からそういう奴だったのだ。でも,裕次郎じゃないんだから。

そのように聞いたので,とりあえず「連絡してくれ」とハガキを出すことにした。やれやれ。

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