Pay

11月にiPhoneの機種変更をして以来,これまであえて使わなかった機能を利用できるように調整した。先に書いたとおり,大容量のハードディスクとMOBOのキーボードを手に入れたのがきっかけだった。フリック入力のストレスから解放されたiPhoneは,これまでとは別のデバイスのように見える。

オンラインストレージ上で会社,自宅とデータを共有し,電子決済機能も使いはじめた。Bluetoothのスピーカーも手に入れて,たぶん,かなりのことはiPhone一台で済むようになったはずだ。

電子決済機能については,今週になってから代金の支払いをほぼ100%,iPhoneで済ませ,財布を開いていない。などと記したものの,世の中では,すでにあたりまえのことかもしれない。

ビッグ・スヌーズ

週末に「新潮」2月号を手に入れ,まず,矢作俊彦の「ビッグ・スヌーズ」第2回を読んだ。国分拓「ノモレ」後編や,吉本ばななの中編,文芸誌は面白くなったものだと思った。(1月号を読んで驚いた藤野可織の「スイスへ」は今月,載っていなかったものの)

矢作俊彦がはじめて文芸誌に登場したのは治田明彦編集長時代の「すばる」で――大判の頃の「野性時代」を文芸誌ととらえるならば,5年ほど遡ることになるけれど――昭和60年代初めのことだった。その頃の文芸誌はまったく面白くなくて,というよりも,この前書いたように,同じ時期の小説は私にはほとんど面白さを感じなかった。

平成に入ってから「ららら科學の子」の連載が「文學界」で始まった。ときどき面白い小説が載っていたけれど,だからといって次号が出るまでに読み終えたものはほとんどなかった。2000年代に入り,論壇誌「論座」に「百愁のキャプテン」の連載が始まったときは,「文學界」よりも「論座」の方が遥かに面白かった。連載後半,いつ載るかわからなくなった頃,新人小説家として絲山秋子の小説に出会った。そのあたりから,文芸誌が少しずつ面白くなった。

「悲劇週間」が「新潮」(!),「常夏の豚」が「文學界」,「月下の鉤十字」が「すばる」に連載されたここ10年と少しの間,あれほどつまらなく感じた文芸誌がかなり面白い。「新潮」に関しては「フィルムノワール」連載の時期は内容にかなりばらつきがあって,なんだかつまらないなあと思ったこともあったけれど,それでも昭和の終わりから平成の初めにかけてのつまらなさ加減と比べるならば,遥かに読むページは増えた。

「新潮」2月号,「ビッグ・スヌーズ」に続いて松家仁之と加藤典洋の対談が載っている。数年前,矢作俊彦が「新潮」に書いたリレー日記のなかに,以下のようなくだりがあることを思い出した。

芸術新潮のM君から泣き顔で連絡。
パチンコ屋のことを『煙草臭いアウシュビッツでありチンジャラ煩いグアンタナモ』,人間を抑圧する装置としては似たようなものだと書いたら,そんなものの比喩としてアウシュビッツを持ちだすのは不謹慎,非人間的な行いだから書き直させろと,編集長に命じられたらしい。
すごいね。わが国の国際化は。編集長はイスラエルの人か? と聞くと,日本人だという返事。人道を云々するなら,なぜグアンタナモは良くてアウシュビッツだけ駄目なのか。少なくとも回教徒ではないようだ。
半分はM君を二週間以上待たせた負い目から,もう半分は嫌がらせから,アウシュビッツをダッハウと書き替えて戻すと,かの編集長氏はすんなりOKしたとのこと。吃驚。何教徒かは知らないが,頭が不自由な方なのは確かだ。
矢作俊彦:小説家52人の2009年日記リレー,p.83,新潮,2010年3月号.

ここに登場する「編集長」が松家氏だと思われる,と以前,読書会のブログサイトに書き込んだことがある。

まあ,どうでもよいことだけれども,2月号の対談は読んでいない。まだ,と付けるべきかわからないものの。

「ビッグ・スヌーズ」が順調に進むかどうかは次号がカギだろう。ここまでは「野性時代」に連載された「チャイナマンズ・チャンス」の出だし(中盤以降,まったく別の小説だから)を拾い上げて,若干位置関係を修正したところから始まっている。当時,「横溝正史の世界をロス・マクで描く」というようなコピーを読んだ記憶があるのだけれど,あれはいったい何だったのだろう。

on reading

その頃,まだ水上勉の小説を読もうとなど思いもしなかった。昭和の終わりから平成の初めにかけて,自分にとってあまり面白いと思える小説が刊行されなくなった。矢作俊彦は『スズキさん…』刊行までコラムでつないでいた印象があり,北杜夫や辻邦生の旧作を読む時間も短くなった。江戸川乱歩や内田百閒を読み返しながら凌いでいたような気がする。

上司から,高橋和己や水上勉と言われても,だからどこかピンとくることはなかった。本はずっと好きだったけれど,当時は,ここ数年に比べると驚くほど冊数を読んでいない。学生時代には夏休みに1日1冊読むことにして,暇を見つけては古本屋に通ったものだけれど,それから数年を経て,結果,好きな小説が絞られただけだった。好きな文体を暗記するほど読み,それ以外の文体は受け付けないというような具合に。

2000年を過ぎ40代に入ってから,ようやく読む冊数が増えた。文体へのこだわりが薄れ,好きな小説は暗記するくらいに読み返すという習癖から解放された。文体への嗜癖は今もあるけれど,全体,文体がここまで変わってしまっては,こだわりだけでは読む本が見つからない。

その頃,まとめて開高健の小説,エッセイを読んだ。好きなのは文体だけれど,矢作俊彦の文体をあこがれたのとは受け取り方が変わった。それがきっかけになって,結城昌治や三好徹,半村良などを読むようになったのはせいぜいここ7,8年のこと。水上勉も,この流れで手にしたはずだ。

上司が亡くなった年齢を遥かに越えてしまったにもかかわらず,私より年上のイメージはいまだに覆らない。大人になってたぶん,初めて知人の死に接したのは上司のときだった。以来,両親を含め,見送る人が年々多くなる。

成人式

自分の成人式には出席しなかったので,それがどんな様子なのかよくわからないまま,その後30数年が経った。

一昨年だったか,家内が娘が成人式のとき用の着物の予約に出かけた。式まで1年半以上,下手すると2年近く前の計算になるかもしれない。そんなに早くから何をするのかまったく見当がつかなかった。

写真館での撮影から数か月経ち,ようやく成人式だ。成人式を迎える娘を1人,客に迎えれば,なんだかんだで2年近くやりとりが続くというのは店にとってはメリットがあるのだろう。ただ,写真を撮って,式に出るのに,それだけの時間をかけるのがあたりまえだと言われると,なんだかなあという感じがする。

新宿区の成人式は京王プラザホテルで開催される。着付けをするので娘は朝7時過ぎに家を出た。11時過ぎに終え,会場に直行だという。昼過ぎ,私は家内と携帯の設定について尋ねるために高田馬場で出たものの,結局得るものはなかったので,そのまま新宿に向かった。西口を都庁まで歩き,昼食を取ろうと思ったものの,めぼしい店が開いていない。14時をかなりまわってしまったので,京王プラザホテルでとることにした。

ところが,成人式を終えた人,人,人でホテル内の店は軒並み10数組待ちだ。しかたなくバーラウンジで順番を待つことにした。娘に連絡すると予定は終わったとのことで合流した。

バーラウンジから出てくる客は続くのになかなか順番が来ない。どうやら厨房がオーダーでパンクしているようだ。ようやく15時前に入り,サンドウィッチとコーヒーで昼食。16時くらいに食べ終わり,ホテル内で簡単な記念写真を撮影した。タクシーで西口地下まで行き,高校の同窓会に出る娘,付添の家内を見送る。

高田馬場でブックオフに寄り,家に戻ったのは17時過ぎ。ビールを飲みながら,iPhoneのデータをパックアップした後,携帯メールのアカウントを設定しなおす。機種変更をしてから,登録していないことに今頃になって気づいたのだ。Webでインストール方法を確認。とりあえずiPhoneで設定することはほとんど終わったような気がする。

その後,旧モデルの買い取り額がauWALLETにポイントで入ったので,プリペイドカードにチャージした。支払がQUICPayで済むならば,当分現金を持ち歩かなくてもよいはず。

夕飯はぺいざんに行く。雨が強くなってきた。食事を終えもどると,娘と家内が先に帰っていた。

『飢餓海峡』は残り100ページを切る。

墓参り

昼から墓参り。14時くらいに家を出る。伊野尾書店で「新潮」2月号を買い,大江戸線で練馬へ。改札をつなぐ通りにあるカフェで昼食をとる。ひばりヶ丘で花を買い,タクシーで寺まで行く。下手すると17時近く,陽が落ちてから墓参りしたことを思えば,今日は早くに済んだ。歩いてイオンモールに。家内,娘と一時間後に待ち合わせることにしたものの,その一時間を潰すのに苦労する。しかたないのでベンチに座り本を読んでいた。その後,帽子を買い,バスで田無まで。中野に本店がある「さらしな」で夕飯。ブックオフに寄るが,買いたくなるような本は見つからなかった。

『飢餓海峡』を読み進めながら,途中で「新潮」を。「ビッグ・スヌーズ」第2回は順調。次回がどうなるかで,この小説の行方が決まりそうな気配だ。

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