mouse不調

夜に蝉の鳴き声が聞こえた。

仕事を終え,家内と19時半に高田馬場で待ち合わせ。娘は友人と夕飯を済ませてくるという。芳林堂書店で旅行ガイドブックと萩尾望都『ポーの一族』。元もぐら食堂だったところで夕飯。この前来たときに比べるとゆったりと食事できた。ブックオフを覗いて帰る。

少し前からmouseのコンピュータの調子が悪いというので格闘。打ち負かされてしまう。立ち上がるものの,エラーメッセージが出て再起動を繰り返す。エラーメッセージが定まらないのも面倒だ。“SYSTEM THREAD EXCEPTION NOT  HANDLED”であったり,Windows10バージョン1703エラーだったり,その都度,Webで検索した対処方法をとるものの,結果,再起動の繰り返しだ。セーフモードで立ち上げて,不具合をチェックしても途中で同じ状況に至る。バックアップだけでもとっておいたほうがよいだろう,というところまでで寝てしまった。

昨年12月に手に入れて,半年強。まだ無料保証期間中だから,まずはサービスセンターに持ち込むことにする。iMac G4も不安定でだった気がする。記録を遡ると,同じように12月に購入し,8月前には調子が悪くなっている。

何とかバックアップをとれればよいのだけれど。当面の間,Windows7のラップトップを使うことになりそうだ。

『海から来たサムライ』をまだ数十ページ読んだだけでも,まあ30歳代半ばでこういう物語を構成したものだと,溜息まじりに感心してしまった。『斬ばらりん』(原案),『ARAKURE あらくれ』から『海から来たサムライ』(『サムライ・ノングラータ』,司城志朗との共作),『悲劇週間』,『アマ☆カス』,『月下の鉤十字』で幕末・明治から第二次世界大戦が終わるまでの世界を描き,『あ・じゃ・ぱん』を柱に,戦後日本にありえたはずの世界を縦横無尽につくりあげてきた。世界観が強固ゆえ,1985年に見据えていた先と2005年の作品は見事に呼応するのだ。

ダディ・グース

暑さのためか,朝の偏頭痛が続く。からだはだるいし。

会社の事務所が入ったビルに着くとエレベーターの電気が点いていない。階段を上り事務所まで行くとビル全体が停電なのだという。窓を全開にし,風通しをよくしたものの仕事にならないので,様子を確認に1階まで降りる。しばらくすると復旧した。20時くらいに事務所を出た。家に戻ると『少年漫画劇場7』が届いていた。

『少年漫画劇場7』(筑摩書房,1971年)には,鶴見俊輔の解説,河島光広の家族,うしおそうじに並んでダディ・グースの「月光仮面暗殺物語り」(エッセイ)が掲載されている。かなり特殊な人選が面白い。入社したばかりの松田哲夫が企画・編集したシリーズだそうで,とはいえ,この人選が鶴見俊輔,松田哲夫どちらによるかはわからない。

ダディ・グースのエッセイとしては,「ミステリ・マガジン」1974年4月号(ダーティー・グース名義,ただ,これは編集部による誤植かもしれない。早川書房に校正力を求めてはならない)に宍戸錠のステージについて記したもの(参照)と本作しか読んだことはない。あとは単行本『少年レボリューション』のあとがきくらいだ。ダディ・グース名義として1974年くらいまで,他にもマンガではなくエッセイなどを書いたのであろうけれど,1980年代でさえ探すのは難しかった。いまとなってはなおさらに。

「月光仮面社会主義共和国建国秘録」(「終末から」)も本書と同じく筑摩書房から出ていたので,村上知彦のツイートを見なければ,「建国秘録」だって,いまだダディ・グース作と思い込んでいたに違いない。「リンゴォ・キッドの休日」で文体を武器にするまでの数年間の作品がほとんど検証されていないとあってはなおさらに。

「月光仮面暗殺物語り」については,別サイトで更新することにして,言葉の選び方に少し違和感をもったところもある。「抱きしめたい」で矢作俊彦としてデビューするまでに何があったのか,なかったのか,さらに知りたくなってきた。

ダディ・グース自体,いまだに「マンガ・ユニットの時期があったのでは」と囁かれる状況のなかで(しばらく前,竹熊健太郎によるインタビューがボツになったのは本当に惜しい),多方面から矢作俊彦作品についての面白い検証が出てきてほしい。

で,会社に置きっぱなしにしてあった文庫版の『海から来たサムライ』を読み始めた。

週末

午後から八王子で仕事。朝,茗荷谷に行き,totoruで朝食。荷物を抱えて八王子に向かう。バスに乗り換えて東海大学八王子病院まで。17時に終えて,コンビニで荷物を送り,カートだけ引っ張って帰る。途中下車して,ブックオフを覗く。

以前,来たときは2フロアで展開していた記憶があるのだけれど,地下にやや小ぢんまりとして本が並ぶ。矢作俊彦『ドアを開いて彼女の中へ』(新潮文庫版),結城昌治『春の悲歌』(集英社文庫),五木寛之『ヒットラーの遺産』(講談社文庫)を買って八王子駅に戻る。

かきあげを肴にビールを一杯。吉祥寺に向かう。家内を待ちながら,iPhoneで平沢進の大阪公演を少し視聴。家内と公園口に降りる。バサラブックスの店頭均一で辻邦生『嵯峨野明月記』(中公文庫),思想の科学1987年8月号,浅羽通明『思想家志願』(幻冬舎)。

EPEEで夕飯。かなり混んでいた,というよりも満席。パンはもとより,野菜類も美味かった。最後に頼んだ,しらすと山椒のリゾットは和食みたいな不思議な美味しさ。東中野からタクシーで帰る。倉多江美『静粛に,天才只今勉強中!』6巻が届いていた。

日曜日は,このところの偏頭痛の続きで,11時くらいまで横になる。かなり遅い朝食をとり,したくをして歯科の定期健診に行く。30分ほどで終わり,帰りにパンを買って,家で娘,家内と昼食。あまり調子が回復せず,横になる。夕方から起きだし,パソコンまわりを片づける。失くしたと思っていたあれこれが見つかる。いやはや。18時から平沢進大阪公演2日目を観る。

『ドアを開いて彼女の中へ』は,刊行時買った文庫本はWorldHappinessに持って行って,びしょ濡れになってしまった。しばらく古本屋で探していたのだけれど,なかなか見つからなかった。これだけでなく,自分で30年,40年読み続けてきた本に比べ,古本屋にはどうして状態のきれいなものが並んでいるのだろう。いや,自分が読み続けてきた本はへたれてしまうのが問題ではあるのだが。

今日は,ダディ・グースが書いた文章(マンガではなく)が掲載された本が届くはず。四半世紀前にそのことを知ったにもかかわらず,先週まできちんと探さなかったのはなぜなのだろうかと,また考える。

古本まつり

朝起きると偏頭痛。薬を飲み,横になる。午前中はほぼ休んでしまい,お昼から仕事。19時であがり,池袋の三省堂書店で始まった古本まつりを覗く。

この前の池袋西口の古本まつりでも感じたのは,同じような規模で古本屋が集まっても,自分との相性がよいときと,そうでもないときがあることだ。今回の古本まつりは,相性がいまひとつだった。買ったのは,1970年に新装版で出たカポーティの『遠い声 遠い部屋』と石川賢の『神州纐纈城』(上・下,講談社漫画文庫)。前者が200円,後者が各300円で,うれしい価格ではあったものの。

小一時間眺めて,他にミランダ・ジュライの本とマインド・コントロール関係の本を買おうか迷ったくらいだった。あとは筑摩書房の「現代漫画」シリーズにダディ・グースの作品が掲載されているはずで,ちょうど棚に並んでいたのでページを捲ったもののそれらしい作品は載っていなかった。新保博久が『世紀末日本推理小説事情』のなかで引用紹介しているネームがあって,その出典が筑摩書房のシリーズだったはず。はず,というか,この前,新しく買った本棚にその本を並べたときに,ページを捲り確認したのだ。うろ覚えなので,違うシリーズかもしれないが。

『世紀末日本推理小説事情』をチェックしなおしてから,会期中にもう一度出かけるかもしれない。と,思ったら別のシリーズだった。さらにマンガでもない。文章を寄せているらしい。結局,ネットで注文してしまった。頽廃だ。

赤い公園

赤い公園のボーカルが8月いっぱいで脱退するという。ボーカリストが,よくも悪くもバンド内でコマーシャリズムとの接点をほぼ担当していただけに,今後,どんなふうにバンド活動が変化するか期待する気持ちのほうが強い。

昔,ロバート・プラントが何かのインタビューで,「ボーカリストは曲の1/3くらいしか参加しないで,あとは暇だから」といって,その後,「曲に思い入れはあまりない」だったか「つまらない」だったか答えたのを読んだことがある。赤い公園もライブで,ギター,ベース,ドラムだけで曲を進めている時間がかなり長い。よくライブのラストに演奏された「ふやける」は,歌が絡まない展開が長く続く。

ボーカリストはステージ上である種の孤独を抱えている。デヴィッド・ボウイのように“Moonage Day Dream”の後半,ステージから引っ込めればそれはそれで恰好よいけれど,数多のボーカリストは,とりあえずステージ上にい続ける。マイクを振り回したり,踊ったり,ギタリストとポーズをとったりしながら。

で,ボーカリストが脱退したバンドを上げていたら,思いのほか多いことに驚いた。ピーター・ガブリエルに脱退されたジェネシスは,ボーカルとメインソングライターを一度に失った。これに比べれば赤い公園はまだましだ。キング・クリムゾンは1stリリース後,メイン・ソングライターとドラマーを失い,2ndでボーカリストも出て行った。この間,たった1年足らず。にもかかわらず,解散と復活を繰り返しながら,いまだ新曲のみならず昔の曲を現在に合わせてアレンジしながらライブ活動を続けている。

ジョン・フォックスを失ったウルトラボックスは,ジェネシスパターンだ。二度も同じような状況に陥ったのは,シド・バレットを失い,ロジャー・ウォーターズに脱退されたピンク・フロイド。マリリオンにルースターズ。マンドレイクはボーカリストが脱退してから平沢がボーカルをとるようになった。結果,それが今の平沢につながっているのだから,何が奏功するかわからない。

HR/HMに至っては,ボーカリストが変わらないバンドを探すほうが大変なんじゃないか。よく知らないが。

ということで,Youtubeにアップされている赤い公園の動画をつらつらと見ていたのだけれど,あらためて,恰好よいアレンジというか演奏というか,このバンドが解散しなかったこと,それだけでもよかったなと思った。

ただ「木」だけは,今の体制でもう一度,ライブで聴いてみたい。8月のチケットとろうかな。

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